天草丸、松岡洋右を乗せて出港

杉原千畝と老朽船「天草丸」

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杉原千畝の映画が公開されて、注目を浴びていますね。

 一方、日本全体でユダヤ人たちを救おうとしていた事は思い出され無いようで、これを心配する方々も声を上げ始めておられます。

杉原だけでは救いきれなかった

藁にもすがる思いで、杉原が発行した「命のビザ」を手に入れたユダヤ人難民たち。

しかし、まだ迫害の手から逃げ切ったわけではありません。
 

広大なソ連を東へ向かわねばなりませんでした。シベリア鉄道でおよそ2週間もかけて極東のウラジオストクへ。

ユダヤ難民の非難経路

ユダヤ難民の非難経路

ウラジオストックからは日本の船便があるとは言え、大挙して押し寄せる難民に対する「拒否反応」は実際のところ、日本の外務省にもありました。

本邦在外官憲カ歐洲避難民ニ與ヘタル通過査證ハ全部貴館又ハ在蘇大使館ニ於テ再檢討ノ上行先國ノ入國手續ノ完全ナル事ノ確認ヲ提出セシメ右完全ナル者ニ檢印ヲ施ス事

これは害務省からウラジオストック総領事館に対して発せられた公電で、ちゃんと外務省の記録に残っているそうです。

『どこや知らんけど、わが国の役人がヨーロッパの難民(ユダヤ人)に出しちまったビザやけどな。ぜーんぶお前のとこ(ウラジオ総領事館)か在ソ連大使館で再チェックせえよ!んでもって、受入国(杉原が出したのは滞在可能10日の通過ビザ)の手続きが完璧なことを証明させたれや!証明でけへんヤツは入国認めたらあかんでえ』

シャグリン氏のビザ

ユダヤ人の一人、マルセル・シャグリン氏の通過査証(ビザ)

後で触れるように、外務大臣の意向を汲んでいるとはとても思えません。
ユダヤ人たちが持っているのは「蘭領キュラソー島」が目的地。
杉原が急いで発出したビザに対応した入国許可など、あるはずがありません。

追い払え、と言うことですね。

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これを受けたのが、普通の総領事ならユダヤ人を日本に船出させることは無かったでしょう。

しかし、時のウラジオストック総領事(代理)は一味も二味も違っていました。

帝國領事ノ査證ヲ有スル者ニテ遙々當地ニ辿リ着キ、單に第三國ノ査證カ中南米行トナル居ルトノ理由ニテ、一率檢印ヲ拒否スルハ帝國在外公館査證ノ威信ヨリ見ルモ面白カラス
(昭和16年3月30日発電)
『かりにも大日本帝国の領事が発出したビザを持った人が、遠路はるばるウラジオストックまでやってきた。行き先の国が中南米だと言う理由で、一律に(日本入国の)検印を拒否すると言うのは、帝国在外公館の威信を傷つけることになり、よろしくありませんな。』
出先が逆に本省を脅してます。
こんなやり取りは都合5回も繰り返され、ついに害務省が折れて(たぶん松岡外相も介入したんでしょう)ユダヤ人の乗船・入国が認められます。
このウラジオストック総領事代理は根井三郎。

官民合わせて

根井三郎は杉原千畝の2年後輩、満洲のハルピンにあったロシア語中心の外国語大学、「ハルピン学院」の出身でした。
気骨のあるのも当然だったかもしれませんが、逃げるユダヤの人々に手を差し伸べたのは「お役人」だけではありません。

ユダヤ人たちをウラジオストックから輸送したのは、「天草丸」という客船でした。

このフネのことは、この記事の最後にある因縁を紹介させていただきますが、昭和15(1940)年の秋から翌春までの約10ヵ月、ウラジオストックと福井県の敦賀港との間を片道4日掛けて29往復。6000名に及ぶユダヤの人々を救い出しました。

「天草丸」をチャーターしたのは、神戸にあった大日本帝国で唯一つのユダヤ人の団体である「日本ユダヤ人協会」で、その注文を受けたのがJapan Bureau(現在のJTB)でした。

 JTBが大口の注文を貰ったら、当然のことですが添乗員がつきますね。
このときは大迫辰雄という社員が担当となり、ユダヤ人”旅行者”を献身的にお世話したようです。
ウラジオストクから敦賀まで冬の日本海を4日間かけての航海は波が高くて大変だったそうです。
海は荒れ、避難で弱りきったユダヤ人は船酔いと寒さと下痢でさらに痛めつけられ、船内は異臭に満ちていました。
そんな中で大迫社員は厭な顔一つせずに食事の世話や病人のケアまであらゆる仕事をこなしながら、日本への上陸に備え乗客の名簿を作らなければなりませんでした。
ユダヤの人達は同じ姓が多いですし、そもそも私達にとっては耳なじみの無いお名前が多いのでだいぶ苦労したそうです。

また、日本に上陸するにはパスポートが必要でしたが、持っていない人が殆どです。
その人達は身分保障のためにユダヤ人協会から現金が支給されていた(滞在のための費用を持っていることが条件でした)のですが、それを配るのも大迫社員の仕事でした。

 ようやく港に到着したユダヤ人は「敦賀が天国に見えた」と言ったと伝えられています。

敦賀市民も

害務省(の厄人)はいやいやユダヤの人々を迎え入れましたが、敦賀の市民達は彼らを暖かく迎えています。いえ、すべての日本の国民が大きな同情を持って難民を迎えました。

難民上陸を伝える朝日新聞

難民上陸を伝える朝日新聞

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現代とは状況がちがいますが、「困っている人は助ける」のが日本人の本質なのでしょうね。

難民上陸を伝える福井新聞

難民上陸を伝える福井新聞

ユダヤ人たちは日本に来るまでにも各地で苦労してきました。財産を奪われた人も少なくはありませんでした。
そんな人達が、やっとの思いで敦賀まで隠してきた時計や宝石を換金したのが「渡辺時計店」。
店の規模からは過大に過ぎる買取に応じていたそうですが、大東亜戦争の空襲で全てが灰になってしまい、画像の時計だけが残りました。

ユダヤ難民が渡辺時計店に売った女性用の時計

ユダヤ難民が渡辺時計店に売った女性用の時計

時計はお店のお嬢さんが気に入って貰いうけ、肌身離さずに持っていたために戦火をまぬかれたそうです。

ビザの期限は10日

ユダヤ人たちのビザの有効期限は10日だけでした。
杉原は外務省に「日本滞在30日」のビザを申請していたのですが、本省から拒否されていたのです。
日本にたどり着いたものの、次なる受け入れ国は無いも同然のユダヤ人たちにとって10日間で出国することなどは不可能なことでした。

そこでユダヤ協会が滞在延長を要請したのが、ユダヤ教の研究者の小辻節三でした。

小辻は南満州鉄道の総裁時代の松岡洋右の部下だったことがあり、外務大臣になっていた松岡に直訴したのです。
ユダヤ難民が上陸した頃の敦賀港

ユダヤ難民が上陸した頃の敦賀港

「私は独・伊と同盟は結んだが、ユダヤ人を殺す約束まではしていない。」と言って松岡洋右はやり手官僚らしい秘策を授けたのでした。

「良いか、小辻さん。滞在延長を決める権限は自治体にあるんだよ。もし自治体がユダヤ人の滞在を認めるなら、外務省は口出しできんよ。」

ユダヤ人はまだ決まっていない落ち着き先への船便待ちのために、神戸に集まっていました。

この言葉を受けた小辻は、滞在許可を発行する神戸の警察署幹部を料亭で接待しました。打ち解け気心が知れた頃合いを見計らい、ユダヤ人難民たちが直面している窮状を説明したのです。

警察幹部は小辻の言葉に動かされ、一回の申請を受ければ15日間の延長を許可することにしました。
申請回数に制限はありません。面倒ではありますが、長期滞在も可能となったのです。

 出国までの時間的猶予を与えられたユダヤ人たちは、日本人から温かい飲み物や食べ物をふるまわれるなど手厚いもてなしを受けた後、アメリカ、香港、上海などへと安住の地を求め旅立っていったのです。

日本、ロシア、ユダヤを結んだ「天草丸」

ユダヤ避難民をウラジオストックから敦賀港まで運んだは、もともと日露戦争で鹵獲されたロシアの貨客船「アムール」と言うフネでした。
日露戦争ネタの記事
杉野はいずこ

1932年10月22日出港の様子

天草丸、1932年10月22日出港の様子

上の画像は日付(1932年10月22日)まで判っている敦賀出港の様子です。日付まで判明しているのには理由があります。ヒントは見送りの盛況ぶりです。

それは、乗客の一人が松岡洋右だからです。
この時代に詳しい方や勘の良い方ならお判りじゃないでしょうか?
松岡はこの時、「天草丸」でウラジオストックへ、ウラジオからはシベリア鉄道でヨーロッパへ入り、ジュネーブへ向かいました。
国際連盟の臨時総会に出席するために…。

総会で松岡は「十字架上の日本」と後に言われることになる名演説で、大日本帝国の立場を訴えて満場の喝采を得ました。
しかし翌年、「満州事変」への非難決議は賛成42、棄権1(タイ)、反対1で可決され、松岡は威風堂々と会場を後にすることになります。

その船出の写真なのです。
まさにわが国近代史の「一瞬を切り撮った」と言える、私の大好きな一枚であります。

その後、ユダヤ人を救い出したことは前述の通りです。

そして、松岡を乗せてから12年後。
無念にも戦局は日々我に利あらず、各地の連絡船は次々に沈められてしまいました。もう年老いていた「天草丸」ですが、この窮状に第一線に復帰することになります。
鹿児島・沖縄・台湾航路で貨客船として活躍することになったのです。

天草丸2345トン

天草丸2345トン

「天草丸」は1944年11月22日、台湾の高雄港から砂糖1400トン、雑貨1257トン、遭難(つまり撃沈されたフネの)船員や婦女子496人を乗せて出港。
早くもその日の22時、米潜水艦(複数と思われます)に船団ごと捕捉され、一発の魚雷が船倉にて爆発、一分足らずで轟沈してしまいました。
船客385名、船員と警戒隊員59名が犠牲となっています。

鹵獲船をも大切に使い続ける日本、鹵獲船で他の民族を救い出す日本、民間船も遠慮なく沈める米国。

やっぱり国は強くなければなりません。

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-イスラエル, 同盟諸邦の軍備紹介, 国防と民間人, 帝國陸軍
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