Uボートイラスト

U-156とラコニア号~国際法を考える~

2016/07/30

スポンサーリンク

無法者国家の支那が、裁判に負けても南シナ海の領有を主張し続けています。
「実力で排除しよう」と申し上げると、「国際法で認められない」とおっしゃる方もおられます。そこで…

通商破壊艦U-156

1942年9月12日正午過ぎの事です。ハルケンシュタイン大尉が艦長を務めるドイツの潜水艦U-156は大西洋の真っただ中で、やっと見つけた獲物に忍び寄っていました。
一番近い島はアゾレス諸島で、500カイリは離れています。

U156のエンブレム

U156のエンブレム

艦長と交替で潜望鏡を覗いていた副長がいいます。
「6000トンくらいですかいね、艦長。」
「うんにゃ、1万トンは越えとるじゃろう。もう少し近寄ったら浮上やでえ。」

Wikiより引用

戦時国際法上では、軍事目標主義の原則から、沿岸の小航海に用いる船舶や漁業船舶などへの攻撃も許されない建前とされていた。また、中立国船舶への攻撃も原則として禁じられ、戦時禁制品を運ぶ等の中立違反行為が確認された場合に拿捕などが許されるだけであった。そのため、無制限潜水艦作戦は戦時国際法違反の戦争犯罪であるとの見解もあり、無制限潜水艦作戦の指令がニュルンベルク裁判での訴因のひとつにも挙げられていた。他国からの非難を招き、戦争の状況をより複雑にする可能性を秘めている作戦といえる。第一次世界大戦においてアメリカ合衆国が参戦した理由のひとつとして、ドイツによるこの作戦の影響があげられる。

U-156の任務はもちろん通商破壊ですが、「国際法」に完全に忠実に行うわけではありません。

戦時国際法どうりなら「沿岸の小航海に用いる船舶や漁業船舶など」への攻撃が許されないだけではなく、赤十字を掲げた船舶や民間人を輸送するための船への攻撃もダメ、しかも攻撃前には警告を与え、乗客・船員を退去させる必要がありました。

U-156の司令塔

U-156の司令塔

開戦当初はドイツの通商破壊戦に苦しんだイギリスでしたが、この1942年に入ると護送船団方式の徹底・航空機による監視と攻撃・レーダーによる索敵などが著しい効果を上げてきました。

スポンサーリンク

思うように戦果を挙げられなくなると、どうせ強制力なんかないんだから、と国際法を無視したくなるのも成り行きというものでありまして。

ただ、この時期はまだかろうじて遵法精神も生きていたのであります。

攻撃

9月12日の21:00、夜陰に紛れて浮上したU-156は1番と3番の発射管から2本の魚雷を放ちました。

司令塔の上には幹部と見張り員が鈴なり(潜水艦の司令塔は小さいので)になって敵船を見つめています。命中まで2分。ストップウォッチを持った見張り員が声をひそめてカウント。
「1分50秒、55、いま!」
何も起こりません。スカッという空振り音すらありません。

「外したんけぇ」艦長ハルケンシュタイン大尉の叱責ともあきれ声ともつかぬ言葉が響きました。
回避行動もとっていない目の前の民間船相手に浮上して、2本もの魚雷を外すのはサブマリナーにとっては屈辱そのものでしょう。
水雷長にも焦りの色が浮かびますが、「ち、ちょっと待ってぇな、艦長」

見張り員は知らぬ顔でカウントを続けます。彼自身は外れた、と思っても命令は遂行されなければなりませんから。「2分40、45…」

見張り員が2分50秒を告げた瞬間でした。前方の商船に夜目にもはっきりと白い水柱が立ち上り、やや遅れて轟音がとどろきました。
水雷長は喜色満面です。「見てみぃ、コースは間違っとらんわ。測距が違とったんじゃ。」

早くもこちら側に傾斜しつつある敵船からは、盛んに救難信号が発せられていました。「SSS(SOS=Save Our ShipのOをSubmarineのSにかえたもの、航空攻撃を受けた場合はSAS。たぶんSOSよりさらに打ちやすいから使われたんだと思います)、SSS。こちらラコニア、被雷。ラコニア被雷。救助を要請する」

貨客船ラコニア

貨客船ラコニア

余談ですが、大日本帝国の船舶の場合は「セコセコチンチン(潜水艦攻撃により沈没中)・ヒコヒコチンチン(飛行機…)」と信号を打ったようです。笑ってはいけませぬ、命がけです。

U-156の電信室では船名録がひっくり返されていました。

「ラコニア、ラコニア…あったぞ、所属船会社キュナード・ホワイト・ライン、船籍港リバプール、総トン数…げっ、1万9695!」

そうです、敵船が大きすぎて距離を読み誤ってしまっていたのです。

ハルテンシュタイン大尉

ハルケンシュタイン艦長

2万トン級、ハルケンシュタイン艦長に2度目の騎士鉄十字章をもたらすほどの殊勲なのでした。

救助

ラコニアの傾斜は急速に増していました。救命ボートが次々に海面に降ろされています。ハルケンシュタイン艦長はU-156を救命ボートをかき分けるようにしてラコニアに近づけて行きます。
Uボート156 海狼たちの決断 [DVD]

救命ボートはU-156を避けようとしますが、海面からは「Aiutilo!」の叫び声。
「艦長!イタリア語です!」乗員たちは命令を待つまでもなく遭難者たちをU-156に引き上げ始めました。

引き上げられた遭難者たちはラテン顔で、ボロボロになったイタリアの軍服を着ています。イタリア人に間違いありませんでした。
「イタ公は何人くらいいるんだ?」「数千人だと言ってます。」ラコニアには1400~1500人のイタリア軍捕虜が乗せられていたのです。

被雷した英国人船員たちは米英の乗客と自分たちの避難を優先して、イタリア人捕虜の収容された船倉の扉を開けませんでした。イタリア人たちは、舷窓を破って直接海面に脱出するしかなかった、と訴えています。

足手まといな奴ら(本当はそうじゃありません、コチラをご覧ください)でも同盟国の軍人を漂流させておくことは出来ません。海面に浮いているのはイタリア軍人ばかりではありませんでしたが、U-156の乗員たちは手当たり次第に遭難者を艦上に引き上げました。
U-156にはあっという間にイギリス人を含む100人ほどが引き上げられていました。

救助者であふれるU-156

救助者であふれるU-156

一方、ブルターニュ半島に建設されたUボートの大根拠地、ロリアン軍港では灰色狼たちの命令者カール・デーニッツ提督が頭を抱え込んでいました。
《U-156、輸送船ラコニアを撃沈。1500人のイタリア兵捕虜あり、現在救助中。》
の通信が届いていたからです。
「無制限潜水艦戦」はそもそも戦時国際法違反なんですが、ドイツ海軍もこの当時は撃沈後の敵船員の救助までは禁じていません。

意外かも知れませんが、浮上して砲撃で撃沈するのが基本的なUボートの戦い方(魚雷は大きいので搭載数に限りがあるから)でしたから、撃沈したフネの乗組員を助けてやることは良くありました。
もっとも、潜水艦では収容できる人数などタカが知れていますから救命具を投げたり、水・食料を救命ボートに放り込んでやったり、ということが普通。

艦上に引き上げてやる、となれば時間も掛かり、まして相手もコチラも無電を発していますから、すぐにも敵機に襲われる危険があります。

「ハルケンシュタインの馬鹿者め、あれほど艦を大事にせよと言うちょるのに!」
デーニッツ提督は無謀とも思える命令も発することが出来る、非情の人であると同時に潜水艦乗りを心から愛する人でもありました。
電文を受け取ると同時に、部下を救う決断をします。
「U506・U507・U459は最大戦速で現場へ向かい、遭難者救助に当たれ」
U156の近くにいるのはこの3艦だけでしたが、命令発出と同時に海軍本部を通じてイタリア・フランス(ヴィシー政権)政府に連絡を取り、援助を要請し、イタリアの潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」も救援に参加することになりました。フランスは水上艦艇を派遣してくれることになりました。

瀬戸内海を航行するコマンダンテ・カッペリーニ

コマンダンテ・カッペリーニ
撮影場所は何と瀬戸内海

なお、「コマンダンテ・カッペリーニ」は我が国とも因縁があります。
いや、この事件全部がもっと大きな因縁を持ってくることになります。

敵襲

夜が明けるころ、U156の艦内は超満員となっていました。一説では救助者数283名。これでは座ることも出来なかっただろうと想像されます。

勿論、イタリア人ばかりではなく英国人も米国人も。女性や子供も居ました。やがて到着した3隻の応援艦もすぐにいっぱいとなり、Uボートはそれぞれ甲板上にも遭難者を満載するだけではなく、救命艇を何艘も牽引して極低速で移動していました。

海上にはいまだに救助を求める人々がおり、Uボート乗員たちはなんとか牽引する救命艇に収容しようと不眠不休の努力を続けていたのです。

ハルケンシュタイン艦長は、またしてもデーニッツ提督にどやされそうな策を打ちます。
「ラコニアの船客・乗員の救助に来援するいかなる船舶に対しても、当方が攻撃されたる場合を除き、攻撃の意思なし」

との無電を1時間おきに送ったのです。しかし、連合国の船舶からは何の反応もありませんでした。船舶からは…
反応は意外な形で帰ってきたのです。

ラコニアを撃沈して4日目、1942年9月16日の11:25。突然見張り員が叫びました。「飛行機!70度」
通常なら「急速潜航」が命令されるところですが、甲板上にも艦内にも救助した人たちが溢れ、救命艇まで繋がっていては潜ることは出来ません。

ハルケンシュタイン艦長の命令は「赤十字旗を出せ」でした。
部下たちがタオルを供出して縫い合わせ、応急の赤十字旗を作っていたのです。2メートル角の赤十字旗は6名の水兵によって広げられました。

飛行機はアメリカ軍のB24リベレーター爆撃機です。リベレーターは一度航過して、また戻ってきました。
U156上の人びとも、救命艇の人びとも固唾をのんで上空を見あげました。リベレーターは高度を下げて接近してきます。
このとき、一人のイギリス人士官が艦長に近付きました。

スポンサーリンク

B24リベレータ

B24リベレータ

「艦長、発光信号機を。私なら、連合国の暗号と略号を使ってあのリベレーターに通信できる」
ハルケンシュタインは一瞬で決断しました。「発信内容は事前に教えてくれ。」と言って発光信号機を渡してやったのです。即座にイギリス人士官は米軍爆撃機に信号を送りました。
『このUボートには〈ラコニア〉のイギリス軍人、民間人、女性、子供が乗艦している』『近辺に連合国艦船はいないか?』
しかし、赤十字旗もイギリス士官の信号もリベレーターには何の影響も与えませんでした。リベレーターは2発の爆弾を投下したのです。

ラコニアの生存者を救助するU-156

ラコニアの生存者を救助するU-156

爆弾は幸い直撃はしなかったものの至近弾となり、破片で水兵2名が負傷。
「曳き綱を解け」ハルケンシュタイン艦長が叫んでいる時にリベレーターが再度の爆弾投下。今度は救命艇を直撃して何人もの英国人たちが海中に沈みました。
「救命具つけ!イタリア人、イギリス人は至急退艦せよ」命じている間にも三度目の爆弾が司令塔直近に。U156は海面から持ち上げられ、続いて沈み込んでしまいました。
せっかく作った赤十字旗は何の役にも立たず、手すりに引っかかっていたそうです。

ニュルンブルク裁判

U156の損害は大したことはありませんでした。U156の応援に来ていたUボートも攻撃を受けましたが幸い沈没艦はなく、遭難者たちもフランス政府(ヴィシー政権)の派遣した高速船に救助されて多数が助かったのでありました。

ですがデーニッツは激怒。「こんなことじゃ、戦争なんて出来んぞ!」

この事件をきっかけにして、「漂流者の救助」は厳重に禁止されたのです。厳密にいうと、「漂流者の供述がUボートの利益になる場合を除き」なんですけれど。
助ける前に、利益になるって判る場合なんてほぼありませんから、「救助したらアカン!」ってことですね。

これは完全に国際法に違反した命令です。

双方ともにさんざん違反してるんですから、今更って気もしますけど、「ラコニア」撃沈以降を切り取って見て下さい。デーニッツの気持ちは良く理解できるんじゃないでしょうか?

ところが、戦争が終わるとデーニッツはこの事で裁判を起こされちゃうんであります。「ニュルンブルク裁判」です。大日本帝国なら東京裁判ですね。

デーニッツはドイツ第三帝国の最後に、ヒトラーに指名されて大統領になっていますから(この事はヒトラーの政治センスの確かさを示してると思いますが)、自殺しちゃったヒトラーの分まで罪をかぶせられた面も見られ、三つの罪状で起訴されたのですが、結局この罪だけが「有罪」となってしまうのであります。

Uボートを視察するデーニッツ

Uボートを視察するデーニッツ

この裁判の弁護に、実は我が国(に関する国際法違反)も大いに絡んでくるのです。そしてそこに「国際法なんて守る必要ねえよ」と国際社会が言っている姿が垣間見えるのです。

裁判の概要を見ていきましょう。

東京・ニュルンブルクの両裁判で審理された戦争犯罪の概念は、「平和に対する罪」「人道に対する罪」「通例の戦争犯罪」です。

しかし二つの裁判には大きな違いがあります。

東京裁判では「人道に対する罪」が独立の起因にならず、事実上審理の対象とならなかったことです。

(イ)平和ニ対スル罪即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。(ロ)通例ノ戦争犯罪即チ、戦争ノ法規又ハ慣例ノ違反。(ハ)人道ニ対スル罪即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。
【東京裁判の訴因】

ニュルンブルク裁判では、「人道に対する罪」とは「すべての一般人民に対して行われた殺戮、殲滅、奴隷的虐使、強制的移送、その他の非人道的行為」と規定されていたのですが、東京裁判では、「すべての一般人民に対して」という語句が削除されています。
もともとニュルンブルク裁判で「人道に対する罪」が重視されたのは、「ユダヤ人大量虐殺」を裁くためだと考えられます。
自国民(ドイツ国籍)であるユダヤ人の殺害は国際法で裁けないので、「人道に対する罪」を新たに設定したのでしょう。

遣独潜水艦伊8を迎えるデーニッツ

はるばるやってきた伊8潜を迎えてくれたデーニッツ

 

大日本帝国においても「自国民に対する非人道的行為」として、帝国臣民であった「半島出身者」(朝鮮人に対する陸軍推奨の呼び方)に対する「強制連行」や「従軍慰安婦」の問題を、ユダヤ人虐殺と同様に「人道に対する罪」で追及することは可能だった筈です(ブサヨの主張通りならね)。
しかし東京裁判では、日本の「植民地」での「蛮行」は訴追の対象とはなっていません。
つまり、大日本帝国を厳しく糾弾する連合国から見ても、大日本帝国はチョソを植民地になどしていないし、ましてや「強制連行」も追軍売春婦の無理強いもしてはいないのです。

つい脱線してしまいましたね。これは今、書きながら思いついた事なんで、ツッコミどころはいっぱいあると思いますが新しい視点ではないでしょうか?南テョンの発狂ぶりが見たい!

さて、デーニッツの裁判です。

ちょっとだけ有罪

デーニッツは3つの起訴事項、起訴第1事項「侵略戦争の共同謀議」、起訴第2事項「平和に対する罪」、起訴第3事項「通例の戦争犯罪」で起訴されました。
起訴状を届けられたデーニッツは「これらの訴因のどれも私には一切関係ない」。

しかし裁判には対応しなければなりません。軍法会議でさえ弁護人を立てますから、当然のように連合国はデーニッツにも弁護人を認めます。

「ドイツ海軍の顧問弁護士のオットー・クランビューラー艦隊法務長に弁護を任せたい。それを認めないなら、アメリカかイギリスの潜水艦長の誰かに弁護を頼むことにしたい。彼らは私が誇り高く戦ったことを知っているはずだ。」
結局、クランツビューラー元艦隊法務長がデーニッツの専属弁護人を務めることになりました。

デーニッツが検察から問われた罪状のうち、「侵略戦争の共同謀議」は「謀議」が行われた頃はデーニッツは潜水艦隊の大将に過ぎませんでしたから、当然無罪。
「平和に対する罪」も海軍軍人として国家に忠実に誠実に務めただけで無罪となりました。
問題は「通例の戦争犯罪」で、これは死刑の可能性も高く弁護も困難であろうと思われました。

また横道にそれますが、大日本帝国軍人への戦争裁判でも、有罪判決が最も多いのは「通例の戦争犯罪」であり、有罪とされてしまったご先祖の名誉回復が殆ど進んでいないのもこのカテゴリであります。

検察が攻め立てたのはラコニア号事件をきっかけに、1942年9月17日にデーニッツが出した命令でした。
「難船者救助はその陳述がUボートにとって重要な場合に限る」というのは、「沈没船乗員を殺せ」と命じたに等しいぞ、というわけです。

クランツビューラー弁護士は「ラコニア号事件」の顛末を述べて、米軍機の違法性と、それによって部下を守るためにやむなく発令されたものである、と弁護しました。
しかし、法廷の反応ははかばかしくありません。もともと公平性に全く欠けた「裁判」ではありますけれど。

そこでクランツビューラーは奇手に出ました。

チェスター・ニミッツ

チェスター・ニミッツ

アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツを証人に引っ張りだし、巧妙な質問で「対日戦の最初から、アメリカ軍潜水艦は自艦や作戦が危険になる恐れがある場合は警告や沈没船救出作業をしなかった」と証言したさせてしまったのです。

これは正確ではありません。アメリカ軍潜水艦は「自艦や作戦が危険になる恐れがある場合は」ではなく『警告や沈没船救出作業を全くしなかった』が事実です。

さしものクランツビューラーもそこまではツッコミ切れなかったんでしょうが、彼は司法取引に取り掛かります。
アメリカ代表の判事フランシス・ビドルに対して
「私はアメリカ海軍本部が対日戦争で国際法に違反していたと証明したいわけではありません。」
「アメリカ海軍本部はロンドン協定(当時の戦時国際法)の実質的な解釈ではドイツ海軍本部と同じだったのです。」
これにはアメリカ代表は全く反論できず、自国の名誉を守るためにデーニッツの減刑に同意せざるを得ませんでした。

デーニッツの罪は懲役10年となりましたが、本人は大いに不満だったようで、「私は大西洋の一部を無差別攻撃地域に設定したが、ニミッツは太平洋全部で無差別に攻撃したではないか。」と言ったそうです。

最後に、U156と救助に駆け付けた三隻の潜水艦は無事に帰投したのですが、次の出撃では三隻とも帰ってきませんでした。
それほどの激戦の中の救助作業だったことを、私たちは思わなければいけない、と思うのであります。

さて、「国際法で認められないから、支那艦に手を出しちゃダメ」との主張がありますが、皆さんは「国際法」をどう思われますか?

スポンサーリンク

-アメリカ, 伊太利, 同盟諸邦の軍備紹介, 大英帝国, 独逸
-, , , , , , , , ,