甲型海防艦イラスト

帝國海軍は護衛が大嫌い その1

2015/05/28

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あまり知られていない「思想家」なんですが

佐藤鉄太郎と言う海軍軍人を御存じでしょうか?

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日清戦争では砲艦「赤城」の航海長でしたが、艦長が戦死したため代わりに赤城の指揮を執っています。
日露戦争では上村彦之丞司令官の第2艦隊で先任参謀。日本海海戦においてロシア艦隊の偽装転進(バルチック艦隊旗艦が舵故障を起こした⇒東郷以下第1艦隊はこれに釣られたが、第2艦隊は独断で後続のバルチック艦隊を追った)を見破り、的確な意見具申を行ったことで勝利に大きく貢献しました。

上海に停泊する出雲イラスト

上海に停泊する出雲のイラスト
上村艦隊の旗艦でした

 

要職歴任⇒クビの戦史研究家

こういった戦功の割には人事には恵まれない人でした。
軍令部次長・海軍大学校校長・舞鶴鎮守府司令長官などの要職を歴任したのですが、大正12(1923)年に軍縮を巡って加藤友三郎との見解が対立すると、予備役に編入されてしまいました。要はクビになっちゃった訳です。

海軍中将で現役を退いた人ですが、陸軍の東條英教(東條英樹の父親)と並び称される戦史研究のオーソリティとされていた人です。

佐藤鉄太郎は山本権兵衛の知遇を得て、日露戦争前に2年余りの間英国と米国に留学しました。
この2年余の間の戦史の調査・研究を通じてアルフレッド・マハンの影響を強く受けたようです。
帰朝後の明治35(1902)年に『帝国国防論』を著し、明治天皇に上呈しました。
この国防論の注目すべき点は、
1.軍備の目的は「自衛にあり」
2.軍備と国力を論じている

と言う点だろうと思います。

海軍大学校の教授

佐藤鉄太郎はこの後海軍大学校で教鞭(1907年~1908年)をとりますが、その時の講義内容をまとめた『帝國国防史論』をも併せて、彼の国防思想を見てみたいと思います。

佐藤は軍備の第一の目的は戦わずして敵を押さえ込むこと、との抑止論の立場に立ちます。
つまり軍備の目的は「必ずしも征伐代戮の惨事を演じて、己の主張を貫徹せんが為にあらず、(中略)戦はずして兇暴を威圧し平和を維持し、戦争を未萌に防ぐのが真の目的である。」としています。
「帝国国防は、防守自衛を旨とし、帝国の威厳と福利を確保し、平和を維持するを以て目的とす」とも述べています。

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佐藤のこのような考え方の根底にあるのは、日本の軍備の程度を決定するものは経済力・人口・地理的条件である、と言うことです。
限られた経済力と人口しかない島国の日本には、強大な大陸国家のような大陸軍を擁するのはとても無理なことで、海軍力によって最小限の費用で最大の効果を得るべきだ、というのです。

あれ?途中までは良かったのに、なんだかちょっときな臭い事を言い始めてますよね。

『帝国国防史論』ではさらに、「日本のような島国は『国土擁護の軍備』である海軍がそのまま『海上事業の啓誘、若(もしく)は擁護者』となる」、「陸軍の勝敗は決して死活問題にあらざるに反し、海軍の敗戦は国家の滅亡を意味する」とまで言っています。

そう、何処まで行っても佐藤鉄太郎は海軍軍人ですから海主陸従の思想なんですね。
海軍大学校での講義では、海軍の限界も教えるべきだと思うんですが・・・

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日米協調を重視

そうは言いながらも佐藤は「わが国が追求すべき外交目的は太平洋の平和でなければならない」と述べます。
しかも太平洋の平和は北太平洋に位置する日米の双肩にかかっているので、 日米両国はいかなることがあっても未来永遠に敵視すべきでなく、 日米が提携して平和を維持しなければならない。

この日米提携に重要なのは相互に「敬友」することであるとまで言っているのです。

海軍軍人としての限界はあったものの、100年以上後の現在をも見通した見解じゃないでしょうか?

教え子の質が悪すぎ?

残念なことに佐藤に教えられた昭和の海軍(幹部)軍人は思想のつまみ食いをやらかします。つまんでしまったらもはや思想とは言えないかも知れませんが。

こんな所です。
『帝国国防論』の「軍備と国力」の節で佐藤は蘭英戦争を取り上げています。
「蘭人は直接に兵力を以って船舶を衛護するは海上の安全を期し得へき唯一の方法なりと信じたるに反し英人は海上其のものを掌握し其の船舶をして自由に其の権力の範囲内に来往せしむるの更に安全にして確実なるに如(し)かざるを信じたる---その結果、蘭国の航海業の衰微となり又英国海運の盛大となれり」

つまり、シーライン上の船舶を直接護衛する阿蘭陀方式に対して、面としての制海圏を確保する英吉利方式が両国経済の衰微と繁栄をもたらした、と分析したわけです。

また、蘭英戦争そのものでも蘭側の敗戦の原因は、能力に劣る蘭国海軍が商船護衛にこだわったがゆえに、運動の自由を欠いた事にあると総括しています。

また海軍軍備の目的にも言及し、「蘭人は其の船舶を護衛せんが為に海軍を備え、英人は海上を掌握し其の海上事業をして其の勢力範囲内に生育せしめんが為に海軍を備えり」と述べています。
2次元の海面だけなら佐藤の論は正しかったのかも知れませんが、科学技術の発達は海軍の守備範囲も3次元へと広げてしまいました。
「海上其のものを掌握し」ても、「其の船舶をして自由に其の権力の範囲内に来往せしむる」ことが出来なくなるとは、佐藤もこの時点では考え付かなかったことでしょう。
クビになる前には、潜水艦による通商破壊の恐怖は認識出来た筈なのですが・・・

如何でしょうか?
昭和海軍の主力艦隊決戦主義がここから透けて見えるように思えませんか?
皮肉なことに佐藤のモデルになった英国は第一次大戦で、独の潜水艦戦で敗北寸前まで追い詰められます。

追い詰められた英国は爆雷戦術やソナー技術を開発し、ソフト面でも大船団護送方式など次の大戦にも通用するシステムを開発します。
英国に請われて地中海まで行った大日本帝國海軍は、駆逐艦を一隻大破されて戦死者も出してるのに、貴重な戦訓を学ぶことはありませんでした。

T6桂、アドリア海プリンディシ軍港。Rは地中海での識別記号

大正6年、アドリア海のプリンディシ軍港に停泊する 樺型2等駆逐艦「桂」

そう、我が帝國海軍は護衛なんか大嫌いだったんです。
また、個人の結婚話までいちゃもんをつけるのはどうか、とも思いますが佐藤鉄太郎の娘の一人は海上護衛総司令部大井篤と結婚しています。

 

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-帝國海軍, 政策・戦略・戦術, 潜水艦, 駆逐艦激闘譜
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