浅草凌雲閣の崩壊イラスト

関東大震災と不逞〇人

2017/09/01

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発展途上の我が帝国を襲った未曽有の大災害。9月1日は関東大震災の発生した日であります。私たちにとっては、犠牲者を偲び防災にかける思いを強くする日であります。

喜ぶ奴がいる

ところが、世界は広いものでいろんな人がいらっしゃいます。
時を経て再び我が国を襲った大震災においても、こういう事をサラっとやる人でなし、と申しますかヒトモドキが居るのです。

日本の大地震をお祝います

日本の大地震をお祝います

 

世界は広いと言いましたが、この人間の姿に酷似した異界の生物は世界の中で偏在しています。地球上のある特定の地域だけに生息しています。その地域を「超汚染半島」と呼ぶことは皆さんご存知だと思います。

さて、本題です。東日本大震災だけではなく、関東大震災でも「不逞〇人の犯罪」が多発していました。
ところが、それが各種の事情が重なって今に伝えられなくなり、逆に「流言・飛語に基づく超汚染人大虐殺」などというたわけた「史実」が捏造されてしまったのです。

追軍売春婦の商売が行き詰りを見せている今、「高給徴用工」問題と並んで超汚染人が「大虐殺」を新たなタカリのネタにしようとしています。国内でも左巻き教師が事実として子供たちに教えているようです。

私たちは超汚染人どもの捏造インネンに対して、確かな事実の裏付けを持って対抗しなければなりません。電脳大本営が集めている資料のうち一部を、「超汚染人大虐殺」を論理的に粉砕出来る考え方とともに伝えさせて頂きます。

軍艦島

徴用工関連でここも要注意

ごく短い記事ですので、目を通していただき、広めて頂けると嬉しく存じます。

ひだり・つばさ君の主張

ひだり・つばさの代表として「バカ赤旗」の記事を引きましょう。2016年の9月2日付け、前日の「朝鮮人犠牲者追悼式典」を紹介した記事です。

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こちらが赤旗へのリンク、同内容です。

過去の過ち、忘れぬ誓い

関東大震災93周年朝鮮人犠牲者追悼式典が1日、東京都墨田区で開かれました。主催は、9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼実行委員会。約200人が参加しました。

関東大震災のとき、「朝鮮人が井戸に毒を流した」などの流言が発生。軍隊や警察、自警団によって罪もない朝鮮人6000人以上、中国人700人以上が虐殺されました。式典は、犠牲者の追悼と、アジアの平和と安定に寄与することを願い、毎年9月1日に開催されています。

日朝協会東京都連合会の吉田博徳会長は開会あいさつで、「関東大震災時に発生した虐殺事件は、歴史研究によって確定されている事実である。この事件を永久に忘れないために、二度と起こさないために活動を続けてきた」と話しました。

日本共産党の、あぜ上三和子都議も参加しました。「過去の歴史と正面から向き合い、過去の過ちを認めて反省し、未来への教訓としていく。その国際公約ともいえる日本国憲法を守り、生かしていくことこそ現在の日本に強く求められていると考える」と追悼の辞を述べました。

式典に参加した女性(30)=東京都新宿区=は「関東大震災のことは知っていても、虐殺のことを多くの国民が知らない。もっと多くの人に広めていく必要がある。過去の歴史事実を認めてほしい」と話していました。

つまり関東大震災の際、

「超汚染人が悪い事をしている」という「流言飛語」が広まり、それを真に受けた日本の官憲・日本人が組織した自警団によって6000人もの超汚染人と700人の支那人が罪もないのに殺された。

って言うのが左くんの「朝鮮人大虐殺」のようですね。

この人数は例によってだんだん膨らむ傾向がありまして、大韓民国とやら言うクニモドキの外交文書(1959)には数十万人と言う数字が上がっているそうです。

また流言飛語自体が官憲の策謀で、これによって超汚染人を大量に頃すことを狙っていたのだ、とする妄説もあります。

数字の裏付けはあるのか?

この6000人云々という数字は、元を辿ると「大韓民国臨時政府(在上海/連合国含めて世界中のどこの国からの承認も外交関係構築もされなかった似非政府、いや度胸の無いテロ組織)」が震災の時に機関紙である「独立新聞」に掲載した数字です。

上海の大韓民国臨時政府建物

上海の大韓民国臨時政府建物

しかし、この記事は伝聞を元に書かれているもので、何の裏付けも取ってはいません。もし「6000人の犠牲者」と言い募る者があなたの周りに居るのなら、数字の根拠をお尋ねになると良いでしょう。「独立新聞の調査」とでも言えばマシな方ですが、それでも根拠にはなりえません。

さらに「南京事件」(私が南京事件という場合、日支戦争の南京陥落云々ではなく、支那人の捏造とインネンを言います)なみの「どうやって頃すねん」という数字もあげておきます。

当時の在日超汚染人の確実な数字が無いのですが、同盟通信社の「時事年鑑・昭和14年版」(昭和13年の発行)によると、大正9(1920)年の日本本土在住の超汚染人の人数は40,755人です。

関東大震災の不逞朝鮮人を報じる新聞

関東大震災の不逞朝鮮人を報じる新聞号外

 

その後10年間で人数が10倍ほどになるのですが、3年後の関東大震災当時の人数はどれほどだったのでしょうか?どう多く見積もったところで10万人を越えることは難しいでしょう(当時東京にいた朝鮮人の数は約9千人と推定する政府の資料がありますが、神奈川県に在住した数が不明です)。

仮に10万人としても、日本列島全部に住んでいた超汚染人であって、関東在住者だとかなり少なくなります。当時は飛行機で来ることはありませんから、超汚染人は西日本に多くいる傾向がありました。

震災直後の浅草仲見世

震災直後の浅草仲見世

 

ここでも多めに見積もって関東、それも東京・横浜に6万人としましょうか。その10%を大震災直後の混乱の中で、僅かに2日か3日で殺したというのでしょうか?

大震災で治安が悪化して「超汚染人を頃して回れた」期間は長くて3日です。すぐに戒厳令が出されてますし、政府や軍隊は超汚染人保護に回っていますから。

関東大震災の不逞朝鮮人を報じる新聞2

関東大震災の不逞朝鮮人を報じる新聞2

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当時、超汚染人は集団で生活していたわけではなく、せいぜい家族か親戚一同単位で「内地」へより良い生活・職業を求めて流れ込んできていたのです。
内面は私たちとは似ても似つかぬのですが、外見は簡単には見分けが付きません。そんなモドキが日本人の間に入り交じって生活していたのです。

関東大震災の不逞朝鮮人を報じる新聞3

関東大震災の不逞朝鮮人を報じる新聞3

 

「東京全市火の海に化す」「日本橋、京橋、下谷、浅草、本所、深川、神田殆んど全滅死傷十数万」「電信、電話、電車、瓦斯、山手線全部途絶」(東京日日新聞)という惨憺たる状況の中、10万5千人余が死亡あるいは行方不明(人数は従来14万人とされてきましたが、近年重複が確認されています)、建物は10万9千棟余りが全壊し火災で追い打ちを掛けられて21万2000棟全焼。

丸の内へ避難する被災者

丸の内へ避難する被災者イラスト

 

この状況下で、市民の中に入り交じって居住する超汚染人だけ6000人を見つけて殺害?2日か3日で?本来捜査能力を持たない自警団が?

こんな事は絶対に不可能である事は、誰にでもお判りでしょう。

それでも「超汚染人殺害」はあった

私は超汚染人殺害は全く無かった、と申し上げているわけではありません。
内務省警保局の調査(「大正12年9月1日以後ニ於ケル警戒措置一斑」)で、自警団による被害者は超汚染人死亡231人・重軽傷43名、支那人死亡3人、日本人死亡59名、重軽傷43名と記録されています。

確かに、日本人が組織した「自警団」によって殺害された超汚染人はいるのです。もちろんひだり・つばさ君の言うような数ではありません。
支那人は誤認されたか巻き込まれたのでしょうか?日本人が多いのは、近所に住む超汚染人を「不逞ではない」として庇ったためではないのか、と推定されます。

数が少ないとは言え、それでも法的権限の無い自警団が裁判抜きで超汚染人を頃したことに間違いはありません。私どものご先祖は何故そのような非道の行いをなしたのでしょうか?

本当に「流言飛語」だったのか

関東大震災の被災者たちが、火災に追われ食糧の確保もままならぬ状況のなか、わざわざ攻撃的な自警団を組織したのは「超汚染人が暴動を起こしている」という流言飛語を新聞が報道したからだ、とされています。

「超汚染人が集団を組んでの暴動」は、地震の発生直後(大正12年9月1日11時58分)から発生していました。

9月2日付けの新聞では既にこれが報じられています。

関東大震災の不逞朝鮮人を報じる新聞4

関東大震災の不逞朝鮮人を報じる新聞4

 

この報道が誤報・誇張された情報・捏造ばかりであり、多くの自警団は、誤報を信じて「超汚染人狩り」に走った、というのがひだり・つばさ君の主張です。

しかし、報道には真実の「超汚染人暴動」が含まれていたことは言うまでもありません。

内務省・警察・陸軍・海軍では報道の不正確や自警団の暴走ぶりを9月2日には把握していました。そこで各施設で超汚染人の保護を図るとともに、報道が正常に戻るまで「超汚染人暴動」の記事の掲載を差し止める処置を取ったのです。

この処置は10月20まで1か月以上続きました。規制解除を受けて報道各社はそれまで社内限りだった情報を紙面に載せます。

その紙面はやはり「超汚染人の暴動」一色でした。

10月20日付け不逞朝鮮人の動向を伝える新聞

10月21日付け不逞朝鮮人の動向を伝える新聞

 

つまり、「超汚染人の暴動」の記事が誤報である、として報道を規制されたのに、規制解除が為されると再び「超汚染人の暴動」を記事にしているのです。
これは各社が誤報部分を除き、確認の取れた真の「超汚染人の暴動」のみを報じているものと考えて間違い無いでしょう。

それでも出るわ出るわ。超汚染人の犯罪は枚挙にいとまがありません。確かに報道各社は誤報・虚報取り混ぜて報道したものの、真実の方が多かった、ということです。

「超汚染人の暴動」「超汚染人の犯罪」はやはり関東大震災の首都・横浜周辺で多発していたのです。
社会が大いに混乱している中です。自警団が日本人を護るために、超汚染人を捕らえた事は「良い事」ではないにしろ、やむを得ない事だったのです。

10月20日付け不逞朝鮮人の動向を伝える新聞2

10月21日付け不逞朝鮮人の動向を伝える新聞2

 

超汚染人が組織的に暴動を企んだ、という証拠はありません。組織を作って混乱に乗じ大日本帝国の社会を転覆しよう、というほどの計画は無かったのでしょう。
ただ、治安維持機能がマヒした状態を狙って、個人的な快楽・欲求不満の解消や欲得の成就を狙っただけの事だと思います。

当時の大日本帝国の国民は「超汚染人はかなり残念な精神性の民族である」という認識は持っていたと考えられます。

災厄の際に「超汚染人の暴動」の報せを受けた市民が、家族や近隣の人たちの安全を図るために超汚染人排除に動いたのはある意味で当然だったのではないでしょうか?
逆に言えば超汚染人の自業自得、日ごろの行いのなせる業であったのではないでしょうか。

国家的認識

まとめておきましょう。
関東大震災において、「超汚染人虐殺」はありました。231人の多きに上り、怪我をしたものもいます。ごめんなさい。

ただし、その原因ですが大地震で混乱が起きたのに乗じて、超汚染人が暴行はやるは火事場泥棒するは商店を襲うはあげくの果てに警備に出動した軍隊と衝突。
誤報・捏造と言われるこれらの報道ですが、大日本帝国政府は超汚染人を心配して報道機関に対して「超汚染人の暴動の記事」を一か月以上も差し止めてしまいました。

そして、規制が解除されるとその紙面は「超汚染人の暴動」一色でした。すなわち「超汚染人の暴動」「超汚染人の犯罪」は多発していたのです。
大震災の混乱のさなか、日本人の組織した自警団が自衛のために超汚染人を捕らえて殺害したことは、言い訳できにくい事ではありますが、止むをえない仕儀でもあったのです。
しかも、大日本帝国政府はこの状況に素早く対応。各種のレベルで「超汚染人保護」に動いています。戒厳令以降に殺害された超汚染人は電脳大本営では確認できません。

さらに、大日本帝国はこの「暴走した」自警団員を放置はしませんでした。
超汚染人に対する暴行・殺戮の容疑で多くの団員を逮捕し、裁判に掛けています。殺人・殺人未遂・傷害致死・傷害の4つの罪名で起訴された日本人は362名にも上っているのです。

我が国・我が国民が関東大震災の時の対応を巡って、超汚染半島のヒトモドキから批難を受けるいわれなど、微塵も有りはしません。

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