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大和の酒保は開いたのか?

2015/04/07

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4月6日の、もう深夜になろうとしています。

戦艦大和が坊ノ岬の波間に消えて70年になろうとしている前夜、ビールを片手にこの記事を書いています。
ずっと前から、どうなんだろうかと気になっていて、しかし他人には聞けずにいた疑問があります。

公試中の大和

公試中の大和

海上特攻と言われ、一億特攻の先駆けと言われて出撃した戦艦大和の酒保(艦内の売店)は開いていたのか?
開いていたのなら、乗員が満足できるだけの酒やスィーツはあったのだろうか?

時間に余裕のある通常の出撃であれば、「酒保開ケ」の命令が出ます。
全乗組員(勿論、当直はダメですが)は今生に別れを告げるべく、好きなだけ呑めるんですが。

成功裡に終わるとは、おそらく誰も思ってはいなかったであろう出撃を前に、大和の酒保でとことん呑んだ、と言う証言を私は見たことがないのです。

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大和の特攻については、いろいろと議論があります。
連合艦隊と2YBで攻撃目標の擦り合わせが出来ていなかった、燃料搭載量が片道分だ、いやタンクの底をさらって満タンにした、何故あの時間に出撃した?、直援が付かなかったのは何故・・・

しかし、誰も酒保が開いていたのかは気にされないようです。

大和には新婚の妻を、産まれたばかりの子を、将来を誓った娘を、郷里に残して彼らを護ろうと乗り組んだ若者が多くいた筈です。
彼らにせめて最後の夜、とことん呑ませてやりたかった。甘党なら好きなだけ甘いものを喰わせてやりたかった、と思うのです。

大和の出撃については、私は大きな疑問を持っています。
沖縄へ殴りこみ、何処かへ乗り上げて陸上砲台となって米軍に巨弾を浴びせる・・・と言うのが作戦目的のようですが、そもそも辿り着く成算がありません。
その上主砲弾数にも、主砲の砲身の命数(砲身の寿命)にも限界があって、沖縄に行きつけても大して役に立たないことは素人でも判ることなんです。

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それでも、強いて出撃した、それも敵の制海空権下を沖縄へ行くための最善策を一切取っていません。

私には海軍には大和をココで沈めておくべき何かがあったように思えてなりません。

この件については、ゆっくり書いてみたいとは思っていますが、皆さんのコメントで結論が出てしまうかも知れません。

明日4月7日、大和の70回忌であります。

 

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-帝國海軍, 戦艦 海に浮かべる鉄の城
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