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佐久間艇長の真実2

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世界の海軍が「サブマリナーのお手本」とした第六潜水艇の佐久間艇長と乗員たち。

しかし、そこには幾つもの大きなミスが積み重なっていたのでした。

そもそもエンジン稼動のまま潜るって

第六潜水艇の単独訓練は当時としては異例であり、佐久間艇長の強引とも執拗とも言える具申によって実施されたことは紹介させていただきました。

しかし海軍が隠し、隠したゆえにその後の潜水艦の発達や運用を歪めてしまったのではないか?と疑われる真実がまだ存在しています。
佐久間艇長の真実1』を読んで頂いた方には煩いことだと存じますが、事故の発端は

浮力が大き過ぎて思うように潜航できないので、順次浮力を減少、10時45分に潜航出来ました。
この直後です。

第六潜水艇はガソリン機関で航走中でしたので、エンジン用の通風筒は開放状態で、ここから多量の海水が侵入してきました。

お気づきでしょうか?

第六潜水艇はガソリンエンジンで航送しながら、潜航しようとしているのです。潜航時は空気の供給が絶たれますから、バッテリー駆動に切り替えるのが潜水艦の常識です。

これは現代最強の通常動力型潜水艦「そうりゅう級」であっても同じことです。

うんりゅう進水式

そうりゅう級「うんりゅう」の進水式

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もちろん、シュノーケルで空気を取り入れる、と言う手はありますが、第六潜水艇の時代にそんな洒落たものはありません。

第六潜水艇はなぜこんな無謀な潜航訓練をしたのでしょう?

当時の潜水艦はまだバッテリーの性能も低く、流体力学も研究が進んでいるわけではありませんでしたから、水中での運動性能が劣悪でした。

佐久間艇長にはこれを何とかしたい、との強い想いがあったようです。
司令塔だけ海面に突き出し(それで通風を確保し)てガソリンエンジンで航送する「ガソリン機関半潜航」が佐久間艇長の得た当面の対策だったのです。

ただ、これは佐久間艇長の発明ではなく、以前から行われていたもののようです。

母艦「豊橋」艦長平岡大佐(第二潜水艇隊司令兼務)の陳述書から引用します。

問; 六号艇ノ半潜航ノ状態トハ如何ナル状況ニテ航行スルコトニ規定アリヤ又遭難当時ノ半潜航ハ規定以外ノ事ヲ施行スルコトニナリ居ラザリシヤ
答; 瓦素林半潜航ニハ明カニ之レト云フ規定ハアリマセンガ従来ヨリノ習慣ニテ単ニ司令塔ヲ鎖シ水防ヲ巖重ニシ軽荷状態ニアリテ「ベンチレーター」(注:空気吸入用の通風筒)ヲ使用シ瓦素林ニテ航行スルコトニテ「ペリスコープ」(注:潜望鏡)トママ司令塔ノ「ピープホール」(注:覗き窓)ヨリ信号、巨離ヲ見テ各員潜航ノ配置ニ就キ航行スルコトニナリ居ル外別ニ自分司令トシテ就職以来規定セシモノナシ従前ニハ「ツリムタンク」(注:重量調整用のタンク)又ハ「メンタンク」ニモ注水シテ半潜航ヲナシタル由ナルモ危険ニ付遣ラヌト云フコトニシテ置キマシタ(中略)然ルニ 佐久間大尉ハ当時如何ナル考ヲ以テ之ヲ決行シタルヤ 彼ノ六、七艇ノミ「スルイスバルブ(緊急閉鎖弁)」ノ設ケアリテ他艇ニハ此設備カナイ夫レ故此「スルイスバルブ」ヲ過渡ニ信用シタルニ由ルナラン哉』

ガソリン半潜航は海軍として規定はなかったものの、以前から行われていたことが判ります。

潜水艦は非常に脆弱な軍艦です。防護の装備は全くないといっても間違いありません。その生存は「見つからないこと」に懸かっているのです。
ですからレーダーもソナーも無いこの時代、艦体を海面下に沈めて被視認面積を小さくすることは、それなりの効果をもたらしたことでしょう。

これを平岡大佐は、予期せずに完全な潜航状態に移行してしまう場合があるため、危険だとして禁止していたというのです。

『正傳佐久間艇長』というヨイショ本にも、「瓦素林潜航の實験は(佐久間)艇長によってはじめて行われたものではなく、艇長の前任者たる神代護次大尉の時代にも、既に幾度か繰り返され」という記述があります。

佐久間艇長の進言

佐久間勉大尉は、自らの「潜水艦にもっとスピードを」の信念に基づき、第六潜水艇の給排気塔の改造を具申していました。

左より第一第五潜水艇

左から第一潜水艇から第五潜水艇まで

残念なことに、大尉の直筆の具申書は見つかっていません(私は平岡大佐が海軍中枢の内意を受けて処分しちゃったんだ、と想像しています)が、平岡大佐の陳述書から推測できるのです。

六潜水艇改造ニ就テハ私ハ餘リ同艇長ノ意見ニ同意サレマセヌ点モアリマス故其ノ儘意見書ハ私ノ手ニ握リ潰シテ居リマス内司令モ交代スルコトニナリシタメ(中略)本人ニ向ツテハ何等ノ決定モ典ヘ居ラス

平岡大佐は改造の上申に対して同意はせず、明確に回答もしなかったのですね。
さらに佐久間大尉の「潜水中の機動力を何とかしたい」と言う考え方も否定しています。

私ノ考ニテハ瓦素林潜航ト云フノハ重大ナル問題デアッテ充分攻究ヲ要ス軽々シク決定採用スルコト能ハスト云フコトナリ

当時の潜水艇は未だ実験兵器で、『佐久間艇長の真実1』でも触れているように、潜航作業そのものが十分に確立されていない、手探りの段階でした。

佐久間大尉の先見の明のある具申に対して、母艦艦長・潜水艇隊司令はガソリン半潜航の研究の必要性は認めているものの、取り組みには消極的だったのです。

事故調査に重要な考察と所見を提出した第九潜水艇長の太田原少佐と第八潜水艇の中城大尉も、「沈没ノ原因」で

「瓦素林機械テ航進シテ大速力ヲ得ントスル之等ノ方法カ當時盛ニ話題ニ上リ又研究セラレタモノテアル」

と水中機動力向上への論議があったことは認めていますが、「ガソリン半潜航」の戦術上の有効性や実施の是非に関して所見は一切述べていません。

チャンスだった

こういった背景での単独訓練は佐久間艇長にとって、絶好の機会だったのではないでしょうか。

大東亜戦争では営々と整備した自慢の潜水艦隊が、大きな戦果を得ることなく終ってしまいました。
方法が「ガソリン半潜航」であったかどうか?はともかく、佐久間艇長の水中機動力重視は正しい方向であったはずなのですが。
佐久間艇長の考え方は主流にはなれません。それも水中機動力の効用自体が否定されているのではなく、「危ないじゃん、止めとこうよ~」ってな理由です。

これは想像でしかありませんが、佐久間艇長はせっかく得た単独訓練のチャンスで「ガソリン半潜航」の実績を作っておきたかったのだと思われます。
もちろん、自分の主張を通したいだけでなく、大日本帝国海軍のために。
此処までは良かったのですが…

命令ミス

この先にも、多くの機会は与えられない、と思って焦ったのでしょうか?
あるいは技量が不足していたからでしょうか?

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佐久間艇長はこの大チャンスに大チョンボをやらかしてしまいました。
佐久間艇長の真実1』でお話した緊急作業でのミス続出どころではない、仮に生還したとしても良くてクビ、下手すれば軍法会議モノの大失敗です。

事故後の艇内から回収された携帯日誌に重大な記述が残されていたのです。日誌には当日の作業号令詞が記録されていました。
そして記録は「一○四五、潜航深度十呎」との記事で終わっているのです。事故発生の時間から考えて、これが事故の直前の命令だと考えられます。
*「呎」はフィート「吋」はインチです、念のため。十呎なら約3メートル。

「第六潜水艇遭難前后ノ状況及所見」では十呎という深度について次のように記述されています。

此ノ深度ヲ以テセバ司令塔頂ハ水面下ニ約一呎0吋ノ深サニ没シ、通風筒頂モ亦水面下約0呎0吋ニアルベシト推定ス(中略)瓦素林六気筒全速ニテ前進ヲ越シ(起し)深度十呎ニ潜航セントスル際給気通風筒ハ水面下ニ没シ海水ハ吸入空気ト共ニ艇内ニ奔入スルニ至リシ

つまり、ガソリン半潜航で通風筒開放のまま深度10フィートに潜航すると、司令塔頂は水面下30センチ、通風筒頂さえも水面下ギリギリ(水面下約0呎0吋)。
それで前進したんだから浸水したのは当たり前でしょ、と言うことですね。

佐久間艇長は「潜航深度十呎トナセ」(たぶん、そう命じたはずです)となぜ発令したのか?
単なる(と言うには結果が重大すぎますが)深さの伝達ミスでしょうか。
判っていて、緊急対応訓練(それにしては、ミスが多過ぎです)のつもりだったのでしょうか。

この点はいくら調べても史料がありません。
もう真相が歴史の闇から姿を現すことはないと思われます。

いずれにしても、あまりにも単純過ぎる、不注意過ぎるケアレス・ミスと言えるでしょう。こうなってしまうと佐久間艇長の明らかな能力不足といわれても反論のしようがありません。

ただし、「水中機動力の向上」の志はまた別物です。
部下ともどもに命を懸けた「水中機動力の向上」は大日本帝国海軍の戦力を大いに豊かな物とし、太平洋を天皇陛下のバスタブと為すだけの可能性を秘めていました。

では、海軍はこの事件をどのように処理し、「戦訓」を得て国防に役立てたのでしょうか?

やっぱり隠した

事故が起これば、調査の上で責任者を処罰しなければなりません。

第六潜水艇の事故では「豊橋」艦長平岡大佐は責任なしと判定されました。
潜水艇隊司令の吉川中佐は

本件ノ主因ハ第六潜水艇ハ司令ノ訓令ノ範囲ヲ逸出シ当時司令ノ想像セサリシ冒険ノ行動ヲナシタルヲ以テ直接ニ其責ニ任セシム可キニ非ラス(中略)ト雖モ苟クモ司令ノ重責ニ任シ遠ク自己ノ監督ヲ離レ比較的危険多キ潜水艇ノ行動中未タ多ク実験ヲ経サル半潜航及潜航ノ訓練ヲ命スルニ際シ豫備浮量及速力等ニ関シ豫メ適度ノ制限ヲ設ケ以テ其安全ヲ企圖セサリシハ注意周到ナリト云フコトヲ得ス(中略)要スルニ司令職務執行上ノ過失ハ本件ノ遠因ヲナシタルモノ

と監督責任があるとされて呉水雷団長名での訓戒処分。

艇長佐久間大尉については、

スルイスバルブ(緊急閉鎖弁)ノ効用ヲ過信シタルモノニシテ畢竟疎處ノ嫌ヲ免カレサルノミナラス其理想ヲ實行セントスルニ熱心ノ餘司令及母艦々長ノ承認ヲ受クルコトナク擅ニ瓦素林航走中潜航ヲ實験シタルハ司令ヨリ典ヘラレタル行動豫定ニ関スル訓令ノ範囲ヲ逸シタルモノニシテ若シ生存スルモノトセハ其責任ヲ免カレサルモノト認ム

と断罪しています。
ただし、ここまで『佐久間艇長の真実1』を含めて電脳大本営が引用した資料は、大東亜戦争の敗戦があったからこそ世に出てきたものです。

海軍は事故調査資料はすべて極秘扱いにしてしまい、一般社会に対しては

『多少テモ危險ヲ伴フコトニハ自然手控エ勝ニナル傾向カアルニ反シ當時佐久間大尉カ此ノ瓦素林潜航ナルモノノ戰術上最モ有益ナル点ヲ考ヘ尚研究練磨ノ肝要ナルヲ思ヒ之ヲ敢行シタ精神ニ至ツテハ将ニ特筆スヘキモノト云ハネハナラヌ』

と事故調査とは対照的な論評を示しています。
「戰術上最モ有益ナル点ヲ考ヘ尚研究練磨ノ肝要ナルヲ思ヒ之ヲ敢行シタ精神ニ至ツテハ将ニ特筆スヘキモノ」とはいいながら、「佐久間以後」にガソリン半潜航を訓練した形跡は全くありません。

シュノーケルのアップ

シュノーケルのアップ

ガソリン半潜航が危ないなら、他の方法を開発したかと言うとそれもありません。
通気筒から発想できそうで、先端技術が必要だったとも思えないシュノーケルでさえ、ドイツからの技術提供を受ける始末(発明はオランダ人らしいです)。

世間一般には出せなくても、海軍部内では究明できた真相と得られた教訓で事故の再発防止策をとるはずですが、それを裏付けるような事実(訓示等)は確認できません。

もっと大切なことも、隠し切ってしまいます。
この第六潜水艇の事故からは、潜水艇部隊の運用・指揮官を含めた乗員の人事管理・潜水艇・艦の装備改善など、多くの教訓が得られたはずです。

海軍は貴重なこの教訓をどうしたのでしょう?

海軍省教育局が教育用内部資料として作成した
「潜水艦ノ主要事故竝ニ之ガ防止對策(海軍省教秘第百七號壱)」
に記述された第六潜水艇の事故に関する項目では、原因を「一、操舵ヲ誤リ過渡ニ沈入ス二、通風筒堰戸弁閉鎖セズ」としているだけ。
真相についてはヒントさえ匂わせてはいません。

教訓についてはどうかと申しますと
事後ノ處置ハ潜水艦乗員ノ模範トス

海軍内部に対しても、真相は隠し通されたのでありました。

敗戦の直前の伊200・波200両型の水中高速潜水艦の完成まで、佐久間艇長の志はついに陽の目を見ることはなく、我が国の優秀なサブマリナーは苦闘を続けたのであります。

海軍だけが悪かったのか?

大日本海軍の隠蔽体質は何度も記事で指摘させて頂きました。

しかし、第六潜水艇事件では海軍だけが悪かった、とは沢渡には思えないのです。
海軍はとかく金のかかるもの。
金を出して貰うには「世間」からの支持が一番大切で、大日本帝国海軍といえども例外ではありません。

第六潜水艇事件では、直前のイタリア海軍での事例などから、艇内で乗員同士が生き残りを賭けて争ったような予測をしていたようです。
ところが、艇を引揚げてみると、ご存じの通りの英霊たちの勇姿でした。

海軍を叩くべく、手ぐすね引いていたマスゴミも方向転換して「佐久間賞賛」路線へ。
海軍は否定のしようも無かった、と言えなくもありません。
「こんなに評判になっちまったら、佐久間の汚点は発表できねえじゃん」みたいな。
かといって、海軍首脳が免責されるわけではないですが。

背景には、私たち日本人の変な思い込みがあるような気がするのです。
スポーツでもヒーローは容姿端麗・品行方正・人格堅固なヤツを求めてませんか?

最近、国軍(自衛隊と仮称中)の災害出動が多くなり、その実力の評価が高まってきましたが、その分自衛隊員の不祥事の報道も多くなっている気がします。
これもヒーローに完璧を求める賎しい根性の裏返しではないでしょうか?

敵をぶちのめしてくれたら、その人が変態だろうが手癖が悪かろうが(限度はありますけどね)法令違反だろうが(ここが電脳大本営が一番心配かつ言いたいところですよ、お気づきでしょうけど)「英雄」として評価してあげる。

そんな大らかで余裕のある国民になっても良い時期ではないでしょうか?

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-人物, 帝國海軍, 政策・戦略・戦術, 潜水艦, 現代の戦い
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