雪風

魚雷今昔2

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シムスさんの有線誘導魚雷はやっぱりダメでしたが、魚雷は違う方向へと進歩しておりました。

真っすぐ進むことが大変

魚雷の開発者ホワイトヘッドさんは、その後も魚雷の改良を続けていらっしゃいました。1870年(明治2年)には、航続距離900メートル強、速度6ノットまで改善、明治13年頃には10カ国に輸出するほどになっていました。

「ホワイトヘッド魚雷」は魚雷今昔1で書きましたように、圧縮空気が動力源。ホワイトヘッドさんはより効率的な魚雷を目指して改良を続け、1876年に18ノット、1886年には24ノット 、1890年には30ノットとどんどん性能が進歩していったのです。

世界で初めて航走中の軍艦から、同じく航走中の軍艦に対して魚雷が発射されたのは1877年5月29日です。イギリス海軍の巡洋艦からペルー海軍の装甲艦ワスカルへの雷撃なんだそうですが、これは見事に外れ。

砲塔艦ワスカル

砲塔艦ワスカル

この件だけじゃなく、魚雷はなかなか当たりませんでした。当たらないのは、発射・照準技術の問題も大きかったのですが、魚雷が真っすぐ走らないことも大きく原因していました。

誘導制御が無い魚雷は、基本的に真っすぐにしか走りません。敵艦の進路と速度と、自艦のそれを計算して敵艦の未来位置へ向ければ当たる筈なんですが、実は「真っすぐ走らない」のです。

どうも矛盾した文章になってしまいました。無誘導の魚雷は自ら舵を取りませんから、直進しかしません。しかし海中では波や海流の影響で進路が歪められて真っすぐには進めないのです。

サブマリン707より

サブマリン707より
無誘導魚雷による潜水艦VS潜水艦、もう無いでしょうね(笑)

 

ホワイトヘッドさんは速度・航続距離の向上とともに、この「魚雷の安定性」の問題にも積極的に取り組みました。

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最初に取り組んだのは、深度を一定に保つ方法です。
基本的に浮力を調整してやるのですが、魚雷の頭部が下向きになると沈み込んでしまいますし、上向けば水面から飛び出してしまいます。
そこでホワイトヘッドさんは水圧を感知する装置と昇降用の舵を結び付けることを考えました。

水深と水圧は比例していますから、設定深度より浅ければ舵は下に切られて沈み、深ければ舵が上に切られて浮上する、って言う寸法です。しかしこの方式では上手くいきませんでした。

設定深度より浅い場所を走ってしまった場合は、魚雷は舵を下に切って沈んでいきます。この方式では魚雷はその設定深度に達してもまだ潜行する方向へ傾いています。
設定深度より魚雷が潜り込むと、今度は舵が上に切られますから、また浮上するのですが、今度は浮かび過ぎ。また潜行を始め…ってな具合に上下動を続けてしまったのです。

振り子とジャイロ

ホワイトヘッドさんはこれを「振り子」を使うことで解決しました。水圧感知板に加えて、「振り子」をも操舵機構にかませたのです。
ホワイトヘッドさんはこれを「振り子」を使うことで解決しました。水圧感知板に加えて、「振り子」をも操舵機構にかませたのです。
ホワイトヘッドさんはこれを「振り子」を使うことで解決しました。水圧感知板に加えて、「振り子」をも操舵機構にかませたのです。
ホワイトヘッドさんはこれを「振り子」を使うことで解決しました。水圧感知板に加えて、「振り子」をも操舵機構にかませたのです。

ホワイトヘッドさんはこの厄介な問題を、「振り子」を利用することで解決したのです。水圧感知板に加えて「振り子」も操舵機構にかませたのです。

ホワイトヘッドの深度調定装置概念図

ホワイトヘッドの深度調定装置概念図

4の板で水圧を感知して上・下に2の舵を切るまでは今までと同じですが、改良型では潜行・浮上の際に魚雷本体の傾きが大きくなると、3の振り子が重力に引かれて下に振れます。
振り子が下に振れると潜行・浮上どちらも舵が水平に戻るように動くように出来ています。これで魚雷の傾きが一定以下に抑えられる仕組みです。
この機構の完成度はとても高くて、第二次世界大戦に至るまでの各国の魚雷の深度調節に使われることになりました。

ホワイトヘッドさんは魚雷を発明(アイデアは他人のものですが)した事ばかりでなく、この深度調定装置をもっともっと評価されるべきだと思います。電脳大本営は大いに敬意を表して「さん」付けてますよ。

当時の魚雷の問題は深度ばかりではありません。波や風や潮流で簡単にコースを外れてしまいました。直進性の低さは魚雷の射程が伸びて行くにつれて大きな障害になっていたのです。

日清戦争中の明治28(1895)年、ホワイトヘッドさんはルートヴィヒ・オブリーという人から、針路制御装置の特許権を買い取りました。

これは魚雷に組み込んだジャイロスコープによって、どの方角からどれだけの力が加わったかを検出し、それに応じて舵を操作することでずれたコースを修正するものでした。

オブリーのジャイロスコープ

オブリーのジャイロスコープ

「理論上7000ヤード(6.3km)進んで方向の誤差は0.5度」とか言う記述があるんですが、何キロ進もうが0.5度は0.5度のままのような気がする(笑)
ともあれこの装置もまた優秀で、魚雷の制御装置として長く使われることになります。

魚雷は安上がり

魚雷はこうしてどんどん実用性を増して参りました。決してホワイトヘッドさん一人の力じゃないですよ。お話の都合(主に沢渡の書く能力の不足で)他の人が登場していないだけです。

ホワイトヘッドさんが魚雷の安定性を向上させたことで、魚雷は一流海軍がどうしても持たなくてはいけない兵器となって行ったのです。

発射・照準の方法も研究されて進歩し、砲弾と比べて大威力な事が大きな魅力でしたが、何よりも列強の海軍を引き付けたのはその経済性でした。
魚雷は単体で比べてみると、砲弾に比べるとはるかに高価なんです。ジャイロも入ってますしね。
ところが、発射管は簡単なもので済みますし、発射プラットホームも小さなボートで可。なにより、砲弾を発射する「砲身」には寿命があります。戦艦大和/武蔵の主砲で200発が限度とも言われていまして、これを砲身の「命数」と言います。

1893防護巡橋立、主砲換装中

1893年防護巡橋立(三景艦)の主砲換装作業
砲身の交換はこれに近い作業が必要

 

基本的に主砲は斉射しますから、一合戦すればあのデッカイのを9本変えなきゃいけません。これは高くつきます。もちろん魚雷発射管には命数なんてありません。

また、訓練でも魚雷は安上がりだったんです。1本づつは高いんですが、訓練用魚雷は的艦の艦底を通過してしまえばポカリと水面に浮いてくるように作ってあります。
これを回収してまた使いますから、使い捨ての砲弾より安上がり。訓練でも砲身の命数は実戦同様に消耗しますしね。

そんなことで魚雷は各国海軍で改良が重ねられていきます。推進エネルギーの推移は魚雷今昔1で少し紹介させていただきましたが、そのほかにもプロペラが二重反転ペラになったり、航空機から投下できるように空中姿勢も安定するように成形されたり。

この魚雷の性能を一時的ではありますが「究極」にまで突き詰めたのは、極東の一角でにわかに台頭してきた島帝国でした。大日本帝国海軍は国力の進展に見合った海軍力を整備するのに、常にお金が足りませんでしたから、魚雷の安上がりは大きな魅力だったのでしょう。

大日本帝国海軍は魚雷の燃焼剤として純酸素を利用することに成功し、大東亜戦争開戦時では圧倒的な性能の魚雷を保有していたのです。

誘導に再チャレンジ

大日本帝国海軍の酸素魚雷は皆さま十分にご存じかと存じます。後ほど少し触れるとして、魚雷は「誘導」の方向へも着実な進歩を遂げていたのでありました。

その進歩は盟邦ドイツによってもたらされました。第一次大戦で主力艦のほとんどを失い、新たな建造にも制約を付けられてしまった(海軍軍備には時間が掛かるのです)ドイツ国。いきおい、お得意の潜水艦戦術に磨きをかけることになり、その一環として「必中魚雷」の開発を試みることになったのでありました。

ドイツは魚雷の「必中」を目指したのですが、シムスさんの方向とは全く異なる考え方をいたしました。つまり目視して誘導、などとは一切考えなかったのです。彼らはまず「発条装置付魚雷」なる兵器を作り出しました。「発条」とはバネの事です。

どうも仕組みが良く判らぬのですが、この魚雷は発射後に自分で向きを変え、1㎞ぐらいの幅をジグザグに走るように造られていたそうです(のちには円を描くように走るとか、各種ギミックが装備されました)。

魚雷の運動

バネ付き魚雷の運動

ドイツの潜水艦(だけじゃないですが)が狙っていたのは商船・輸送船で、相手は大規模な船団を組んで護衛が付いてましたから、この「ジグザグ魚雷」は大きな効果を発揮したようです。

つまり、この船団の方向に適当に何本か発射してやれば、船が密集していますから、「どれかに当たるよね。当たれば一発轟沈!」って訳です。しっかり狙う必要がありませんから海面近くでウロウロしてる時間も短くてすみ、潜水艦も安全。

狼群作戦の発案者、カール・デーニッツ

しかし、このやり方にはとんでもない落とし穴があったのであります。
その落とし穴を掘ったのがドイツが工夫を凝らした「狼群(ウルフ・パック)作戦」だったというのは何とも皮肉です。

「狼群作戦」とは、複数の潜水艦で輸送船団を取り囲んで、効率よく船団退治をしようというモノです。実際の運用は、接敵した潜水艦が無線で僚艦を呼び集めるって言うガサツな運用。私は嫌いですが、これも一時的に大いに効果が上がりました。

ところが、こうすると味方が放った「ジグザグ魚雷」が味方を襲っちゃうんです(笑)大日本帝国海軍なら「狼群作戦」の方、つまり運用方法を変えたでしょうね。

しかし、流石は科学帝国ドイツ。彼らは「魚雷自身に誘導させよう」と思い立つわけです(実際の開発過程は「ジグザグ」と並行していましたが)。
そのためには魚雷が目標を認知する必要がありますが、これには音響追尾を利用。電波の届かない水中では音波が耳でも目でもあるわけですから、ある意味当たり前の発想なんです。

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ドイツの「音響追尾魚雷」は2種類が生産されています。最初に生産されたのは通称「ファルケ(鷹)」と呼ばれました。
初期の技術的熟成が出来ていなかったため、敵艦の音を拾うより先に魚雷自身の騒音を感知してしまい、雷速を20ノット(通常の魚雷は30ノット以上)に抑えなければなりませんでした。その上相手が10ノット以上の速力を出してくれないと追尾できない(音が大きくならないから)と言う問題がありました。
そんなこんなで「鷹」は僅か100本ほど造られただけに終わってしまったのです。

でも、この程度では諦めないのがドイツ人。改良型の「ツァウンケーニヒ(みそさざい)」を大西洋に送り出します。
音響受信装置の感度を向上させ、実用性能をグッと増したのです。
ところが今度は敏感になり過ぎて雷速が18ノット以下とさら一層遅くなってしまいました。
また「安全装置」(自艦の音響を捉えないように、発射後数秒してからソナーが起動する)の解除距離が250mしかありません。

ですから、Uボートの艦長たちは魚雷発射後、直ちに急速潜行!という運用をせざるを得ず、過大な戦果を報告していた、とされています。

1段甲板に改装後の加賀

あっ、手が滑った(笑)
コッチじゃなかった。

一方で連合軍も諜報活動から誘導魚雷の情報をかなり早くから掴んでいたようです。「ツァウンケーニヒ」の実戦投入が確認されると、即座に騒音を発生する曳航式のデコイを投入します。
ドイツはこれに対抗して「ツァウンケーニヒ」をデコイを回避するよう改善しています。

この開発合戦は果てることなく、今も続けられています。

より早く遠くへ

科学帝国ドイツにも負けず劣らずの技術オタク(悪い方の意味じゃないぞ)だった大日本帝国海軍。威海衛に続いて日露戦争でも150トンほどの水雷艇を投入、旅順港閉塞作戦や対馬沖海戦に活躍させています。

M32英より廻航準備の東雲級不知火

明治32年、英より廻航準備の東雲級駆逐艦「不知火」

 

日露戦争では、「水雷艇退治」が目的の新艦種の「駆逐艦」も登場しています。と言っても水雷艇の倍の300トンほど。後年の3000トンに迫ろうかって言う大型駆逐艦とはくらべものになりません。

そういえば、2万トン超の「いずも」「かが」も類別上は駆逐艦でしたね(笑)DDHだもん。

かがの進水式

[かが]
の進水式

さて、その大日本帝国海軍は魚雷の有用性を認識してて研究を続けます。「誘導」にこだわったドイツとは些か異なる方向へ、ですが。いや、帝国海軍の方針こそ魚雷の正当な進化というべきだったと思います。
つまり、より早く・遠くへ・重たいものを載せて、です。

魚雷の動力が、当初の圧縮空気から燃料を燃やして走るモノへ変化していった事は魚雷今昔1にも書きました。

燃料が燃えるためには、酸素が必要なことは誰でも知っていること。魚雷は初めから圧縮空気を積んでましたから、これをそのまま使えばよいわけです。
ただ、いくら圧縮してるって言っても、空気中に酸素は20パーセントしかありません。この酸素の総量によって魚雷の速度や射程が大きく制限されてしまったのです。

となれば、純酸素を圧縮して使えば良いじゃん!と考えるのが普通ですわね。ですから各列強国でも酸化剤(空気)の酸素濃度を上昇させて高性能な魚雷を作ることが計画されていました。ただ、酸素濃度が高いというのは「良く燃える」ということで非常に危険でもあります。
実際に大英帝国海軍は酸素魚雷の開発にいったんは成功したのですが、実験的に酸素魚雷を搭載していた軍艦で爆発事故を起こし、危険だとして放棄されています。

駆逐艦「朝霜」

駆逐艦「朝霜」
本文とは全く関係なし(笑)
ただ、夕雲級は我が駆逐艦の完成形かもね。

 

大日本帝国海軍でも大正5(1916)年に燃焼実験で爆発事故を起こし、一度は開発が中止されています。しかし貧乏ゆえに高性能魚雷にこだわった帝国海軍は昭和3(1928)年に開発を再開し、5年後には遂に酸素魚雷の開発に成功したのです。

列強が軒並み失敗した酸素魚雷の開発に成功したのは、魚雷の始動の際に通常の空気で燃焼を始め、少しずつ酸素の濃度を上げてやれば爆発しないことを突き止めたからでした。

通常の魚雷の5倍の酸化剤が入っていますが、射程5倍という単純な話にこそなりませんでしたが、それでも第二次世界大戦開戦当時の米国産魚雷と比較すると、炸薬量は1.7倍、航行速度が1.2倍、最大射程が4倍。
かなり性能に開きがあります。特に射程の長大さは戦後、アメリカの歴史家サミュエル・モリソンをして「ロング・ランス(長槍)」と称賛せしめることとなりました。

サミュエル・モリソン

サミュエル・モリソン

 

その上酸化剤が空気だと、空気に含まれている窒素が水面上に長い航跡となって現れてしまい、目視でも発見されやすくなります。ところが、酸素魚雷の場合には燃料の燃焼後には炭酸ガスが発生します。

炭酸ガスは水に溶けやすいので、航跡は数m程度しか引くことがありません。短い航跡は発見されにくく、回避が難しいのでした。

超絶的な性能を誇った酸素魚雷。さすがに戦争が続くと敵も魚雷の性能を改善してきます。敗戦間際になると単純な水中破壊力で比べると、米国の魚雷は酸素魚雷(九三式魚雷)の1.4倍の破壊力を持っていました。

魚雷の航跡画像

魚雷の航跡はこんなにハッキリ(笑)

オーパーツとでも言うべき性能の酸素魚雷でしたが、太平洋での死闘の間に「規格外の超高性能兵器」から「常識的の範囲内で強力な兵器」へとその地位を低下させてしまったのでした。
それでも、酸素魚雷は高速かつ長射程という利点を持ち、必ずしも追い抜かれてしまった訳ではありません。

ただ、電脳大本営的にはこの高性能が「人間魚雷」に転用されてしまった事が悲しく、また悔しくてなりません。

大日本帝国海軍の魚雷は、酸素魚雷だけでなく航空魚雷の主力だった「九一式魚雷」も掛け値なしの世界最高の航空魚雷と言われています。

真珠湾攻撃イラスト

真珠湾攻撃イラスト

 

九一式魚雷には、高度な数学理論による安定システムが搭載されていたそうです。真珠湾攻撃用に浅海面でも使えるように改修が加えられた話は有名ですが、これも元々の性能が良かったからこそなのです。

そして今

我が国の現海軍(海上自衛隊と仮称中)もあい変わらず魚雷に関しては高い技術力を持っています。現用の「89式魚雷」は公式にはアメリカのMk.48改とほぼ同スペックとなっています。

武器兵器の性能に関しては、正直に発表する場合・かなりフカセて発表する場合・敢えて控えめに発表する場合があります。魚雷のように隠密性の高い兵器だと、一般には控えめな性能を言うといた方が何かと有利であろうと思われます。
というわけで、「89式魚雷」の最大速力は70ノットに達する、と言う方もいらっしゃるわけで。

この速度を超える魚雷は「スーパーキャビテーション魚雷」である「シクヴァル」(ロシア)などごく一部の限られた魚雷しか見当たりません。スーパーキャビテーション魚雷は航走の秘匿性と誘導に大きな疑問があるため、日米英など伝統的な海軍国では開発していません。

シクヴァル

シクヴァル

総合的に評価すれば、89式魚雷が世界最高性能を有していることは間違いないところでしょう。

そして現在海軍が開発中の新世代魚雷「G-RX6」もトンデモ魚雷になると思われます。

潜水艦への魚雷搭載作業

潜水艦への魚雷搭載作業1

というのもこの「G-RX6」は機関に「水素・酸素燃焼タービン」を採用しています。これは排気がありませんで、水素+酸素で水を排出するだけ。ほぼ完全な無航跡になり、加えてタービン機関になったため、ノイズが減少し音響による探知もされにくくなります。

水素と酸素という高効率の酸化剤を利用しますので航行距離も長くなります。これは現在の魚雷において重要視される隠密性(発射プラットホームを含めて)を突き詰めた性能だと言えましょう。

潜水艦への魚雷搭載作業2

潜水艦への魚雷搭載作業2

さらに有線誘導・音響画像センサー・アクティブ磁気近接起爆装置によるデコイの無効化などといった日本が得意とする技術を満載したような魚雷です。
電脳大本営は「支那船の領海侵入に対抗するには、潜水艦による撃沈がもっとも効果的」だと考えていますから、長射程・高隠密性の魚雷はあり難い限りです。

日本は昔から魚雷との関係が深く、開発する魚雷は今も止まらない進化をしています。今後、我が海軍がこれまでに築いた技術をどう変化・発展させていくのかとても楽しみではありませんか。

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