敬礼する水兵

臨機調事件~タービン翼欠損の本質~

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大日本帝国海軍はその誕生から滅亡に至るまで、幾多の栄光に包まれているのですが、栄光の数に負けないくらい幾つものスキャンダルにまみれています。

軍縮条約脱退から

スキャンダルって言っても、誰と誰がくっ付いたとか浮気したとか、電脳大本営を訪れて下さった方には全く興味はありませんでしょう。私だって全く関心がありません。

したがって、山本五十六連合艦隊司令長官がミッドウェイ作戦出撃前に、病気で寝込んでいた愛人を呉に呼び寄せて「ボクちゃんミッドウェイを攻撃するもんね~」と言っていた(手紙に書いてます)などは書きませんのでご安心のほどを。

大東亜戦開戦時の聨合艦隊司令長官、山本五十六。 隣の女性は愛人

山本五十六氏と河合千代子さん。

さて、海軍の「スキャンダル」は既に幾つか指摘しています(陸奥爆沈佐久間艇長)が、今回は純技術的な問題を取り上げてみたいと思います。

昭和12年8月31日、朝潮型駆逐艦のネームシップ「朝潮」が竣工しました。前級である改白露型駆逐艦の「涼風」とほぼ同時の完成で、こんなに急いだのにはワケがありました。

1937

館山沖で公試中の白露型「山風」昭和12年

 

大日本帝国は補助艦の排水量を規制していた「ロンドン海軍軍縮条約」を脱退することになったのです。これで、帝国海軍の思い描いた理想の駆逐艦が出来るぞ!ってワケで改白露型は4隻で打ち切り、設計を改めたのが朝潮型駆逐艦、っていうことなのです。
駆逐艦のネームシップは舞鎮(当時は「舞鶴要港部」に格下げ中)で建造されるのが習慣のようなモノになっていたのですが、朝潮は佐鎮で建造される異例ぶりでありました。

公試中の朝潮

公試中の朝潮

全海軍の輿望を担って「朝潮」は勇躍佐鎮(佐世保鎮守府)警備戦隊第二五駆逐隊に配属(実際は多少の前後があります)され、国防の第一線に投入されました。
昭和12年11月には早くも中支方面へ出撃、12月に日本へ帰投して生まれ故郷の佐鎮で整備を受けたのですが、そのとき「スキャンダル」が発覚したのでございます。いや、その整備がスキャンダルに発展していくのです。

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ある工員が、タービンの動翼が一枚破損しているのを発見したのでありました。

タービン翼折損

タービンは当時の海軍のほぼ一択の動力でした。そろそろディーゼルの効率も上がり、戦艦「大和」の計画に動力候補として検討されるのですが、それも「燃費性能を重視」すればの話であります。

海軍とタービンについてはコチラで解説させて頂いてますが、これほど効率の良い「エネルギー→動力の変換システム」はいまだに出現してないのではないでしょうか?

ジェットエンジンの動作イラスト

ジェットエンジンの動作イラスト ジェットエンジンとタービンの関係は後述

原子力潜水艦も熱発生を原子力で行うだけで「蒸気タービン」ですし、世界に誇る日本の護衛艦群も、「ガス・タービン」が主力。戦車の動力もガスタービン。

ガスタービンのイラスト

ガスタービンのイラスト

ヘリコプターも軍用はほとんどターボシャフト、飛行艇US-2はターボプロップ。ターボシャフトやターボプロップのどこがタービンなんだ?って言われますか。

ターボプロップ(ターボシャフトは噴流による回転力の取り出し方向が違うだけ)の元はジェットエンジンで、ジェットエンジンはタービンを組み合わせて燃料を推力に変換している、と言えるんです。

ジェットエンジンは燃料を燃やしてガスを膨張させて勢いよく噴出させ、その反動を推進力にするわけですが、燃焼のために大量の空気が必要になります。
その空気を圧縮する「圧縮機」を回すのに使っているのが「タービン」なんです。また、圧縮機だって「タービン」といえるんです。動力源そのものの「タービン」とは使い方が逆ですが、仕組みや構造はタービンと全く変わりません。

いかん、また脱線しちまった。

タービンの動翼折損は大日本帝国にとってこれが初めてではありませんでした。

T12秋風

峯風型「秋風」大正12年

時は15年以上さかのぼって峯風型の頃の話になってしまいます。峯風型は輸入モノのパーソンズ式タービンを採用して40ノット超の高速を発揮(初代島風)したのですが、タービンの動翼多数が折れる事故が多発。

タービンの動翼

タービンの動翼

海軍省は大正12年(1921年)、高速タービンの計画・材料・工作・取扱いに関する審議会を設置して対策に乗り出し、事故原因を出力の出し過ぎと断じました。
許容運転出力を計画の110%から105%に制限し、既に出来上がっていた各艦のタービン翼を補強することで解決していたのです。

峯風タービンはあまり大きな問題とは取り扱われない「事件」ですが、電脳大本営的には原因の追究がかなり甘いように感じます。この甘さがこの記事の主題「臨機調事件」を生み出したように思えてならないのです。

ともあれ、「峯風型タービン折損」をきっかけに国産の「艦本式タービン」が開発され、大日本帝国海軍は「全て国内生産」で艦艇を揃えられるようになりました。

朝潮だけに止まらなかった

朝潮に起きたタービンの折損は、峯風型のそれに比べてはるかに深刻な影響を大日本帝国海軍にもたらしました。時期が時期だったからです。

満州国皇帝陛下

満州国皇帝陛下

既に日本は満州国の独立を巡って国際連盟を脱退。この年の7月には盧溝橋事件が起きて日本側の不拡大方針にも関わらず、支那側からの挑発行為が頻発して第二次上海事変・南京攻略へ、というときでした。

期待の新造駆逐艦に重大な欠陥があっては、戦争などできるはずがありません。海軍は慌てて次々に就役していた朝潮型を入渠させてタービンの解放検査を行いました。他の艦型については定期補修で機械(海軍でタービンを言います)の徹底検査を行っています。

その結果、出るは出るは・・・夏雲・大潮・荒潮・満潮・山雲と朝潮型には次々にタービンの「動翼折損」が発見されたのです。

臨時機械調査委員会の設置

タービン翼折損は駆逐艦朝潮型に特有の現象なのかを含めて、修理するためには原因を特定しなければなりません。

海軍は時の海軍次官・山本五十六中将を委員長として「臨時機械調査委員会」(略称・臨機調)を設置してタービン動翼の折損原因調査に乗り出しました。海軍で単に「機械」と言えばタービンを指します。

次官をトップに据えたことは海軍の心配ぶりを示していますが、電脳大本営的にはこれが「朝潮型タービン折損」のスキャンダル化を決定したと考えています。何しろ山本五十六さんは、科学的思考能力をお持ち合わせになっていないからです。さらに、極端に政治的な軍人でもありますから。

臨時機械調査委員会は、朝潮型に搭載されたタービンの改設計を担当した横須賀工廠造機部長の渋谷隆太郎海軍少将を「被告側だから」という理由で委員会から排除して調査を開始。
臨機調の委員は個人的にも渋谷少将から意見を聴取することを禁止され、専門家の声は全く参考にされないままに調査が進められたのでした。

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朝潮タービンの折損事件の2年前、昭和10年9月に第四艦隊事件が発生していました。その対策として各種艦艇のトップヘビーが改められたのですが、各艦の性能は低下してしまいました。
これを少しでも挽回しようとタービンの設計を変更して出力を増大しようとしたのですが、この改設計を担当したのが渋谷少将でした。朝潮型はこの「改設計艦本式タービン」を搭載していたのであります。

臨機調はそれでも調査に一年をかけ「翼車の設計ミスで運転中に振動が起こり、翼が折損した」と結論を出し、米内光政海軍大臣に答申したのでした。「翼車」とはタービンの動翼が取り付けられている、下のイラストで「回転円盤」と書かれている部分です。

蒸気タービンの原理イラスト

蒸気タービンの仕組み

このイラストは単純化してあり、実際のタービンには「回転円盤=翼車」に取り付けられた「羽根=動翼」に向かい合うように「静翼」が配置されています。「静翼」は蒸気が効率よく動翼に当たるように整流の役目をになっていて、この組み合わせが何組も連なって一つのタービンを構成しているワケです。

答申はこの翼車の設計が悪くて運転中に振動を起こし、その振動で動翼が破損した(これを便宜的に「翼車振動説」と呼びます)と結論つけたワケですね。ですから設計を担当した渋谷隆太郎海軍少将とその他数名は懲罰。

この答申ですべての改設計艦本式タービンは改修されることになったのでありました、めでたしめでたし。

ここからがスキャンダル

以上が一般に知られる(あんまり知られてないって言った方が正解ですが)「臨機調事件」の顛末です。

臨機調報告書の欠損タービンの画像

臨機調報告書の欠損タービンの画像

電脳大本営が記事にするには、これじゃあ面白くありません。まして「スキャンダル」とは言い難いじゃないか!とお怒りの方もいらっしゃえるでしょう。
いえいえ、ご心配なく。ちゃんとネタは仕込んであります。

「戦争中」の海軍は急いで朝潮型をはじめ、改設計艦本式タービン搭載艦の改修予算を計上、次から次へと改修を進めるつもりだったのですが。

その予算編成段階で邪魔が入ったのです。軍務局(軍政の中心)第三課(機関・艦内工作・艦船の保存整備を担当)課長の久保田芳雄大佐が答申通りの予算化を拒否したのです。

臨機調報告書の欠損タービンの画像2

臨機調報告書の欠損タービンの画像2

久保田課長は直ちに改修に着手するのではなく、各種艦艇による幅広い実艦実験を主張したのであります。久保田課長は臨機調の「翼車振動説」を全く信用していなかったのです。

翼車振動説による危険速度域(高速)で平時の五年分(戦時の一年分)に当たる時間の航走実験が各種の艦艇で繰り広げられ、全艦がタービン翼の折損なく実験終了。

こうして、あっさりと翼車振動説の誤りが証明されてしまい、臨機調の委員長は大恥をかいたのであります。

もちろん、タービンの破損は現実におこっているのですから、再度原因の調査も始まりました。
基礎実験を行いその結果を実艦へフィードして検証、を繰り返し繰り返しする言わば「普通の原因追及」をおこなった結果、原因はタービン翼(ブレード)の振動であると特定されました。

この「タービン翼が自ら振動して壊れる」という事象は世界で初めて大日本帝国海軍が発見したモノだそうです(渋谷隆太郎氏による/電脳大本営は未確認)。
現代の目から見ると、材質とか翼車への取り付け工作の精度も考えるべきだろうと思うんですが、この時は、「僅かな設計変更」(渋谷隆太郎氏)によってタービン翼の折損問題は解決されたのであります。

どうもこの「僅かな設計変更」の内容はよくわかりませんが、意外なところにヒントがありましたので、紹介しておきましょう。少し長くなりますがご辛抱ください。ポイントは文中、太字にしてあります。

彼が担当したのは艦船で最も重要な推進動力の主機、主機の中でもタービンの設計である。大和型に搭載された主機は艦本式オールインパルスタービンで推進軸1軸に高・低圧両タービンをそれぞれ2基を減速歯車装置を介して結合し、高圧タービンを減速歯車装置の艦尾側に、低圧タービンを艦首側に配置したツイン構成である。この構成は天城型戦艦で最初に導入されたもので、1軸宛主機2基併結、推進軸4軸で、1艦宛主機8基であった。
タービン自体は、昭和6年度計画の駆逐艦初春型に搭載された使用実績ある艦本式高低圧タービン(1軸当り21,000馬力)を長期信頼性向上のため約90%にデチューンニングし、1軸宛2組(18,750馬力×2=37,500馬力)の構成で、4軸合計150,000馬力として計画された。高圧タービンの初圧は22kg/c㎡と、主缶使用圧25kg/c㎡からやや低く設定されていた。

このタービンは昭和12年4月に製造が訓令さたが、同年12月に駆逐艦朝潮の中圧タービン・ブレードに亀裂が発生し、海軍艦政本部内を大きく揺るがす事件へと発展してしまう。
いわゆる臨機調事件である。

この問題を解決するため春松も日夜寝食を忘れ、慣れない工業系の外国語辞書を片手に先駆者である欧米の書物に悪戦苦闘しつつ心血を注いで事に当たった。そうした苦心の末、低圧タービンと後進タービンの設計を改め、ピッチ円径を大きくし各タービンブレード高を短縮させブレード自体を増厚することで、円周方向二節振動共鳴点を安全側にずらしブレード植込部もエ字状に改良するに至った。その結果として信頼性と安全面を両方を確保するには至ったが、当然の如く装置重量が増大し高圧タービンが0.1t 低圧タービンが6.0t 減速歯車装置が1.0t増大し1軸当り13.2t4軸合計で52.8tの増大し蒸気消費量も1.2%増大し熱効率は1%低下すると判定された。

この文章はある設計会社のホームページで見つけました。
創業者の先代社長が戦艦大和のタービン設計を担当していて臨機調事件に遭遇したわけですね。苦労してブレードの形状や取り付けを改めた事が記述されています。

臨機調はいったい何をしたのか?

大日本帝国海軍のタービンは峯風型で動翼に事故があり、これを克服した後、国産化を果たしていたのはすでに述べた通りです。

しばらくの間、タービンは静かに回り続けていたのですが、水雷艇友鶴の転覆と第四艦隊の遭難を経て、タービンも設計が改められると朝潮型での折損事故となってしまいました。

水雷艇「真鶴」(「友鶴」と同型)の竣工時

水雷艇「真鶴」(「友鶴」と同型)
竣工時、すなわちトップヘビーの姿

 

渋谷隆太郎海軍少将は確かにこの改設計を主導していましたが、原因究明の場から見事に放逐されてしまったのは何故なのでしょう?

渋谷隆太郎は優秀な機関科将校だったようで、臨機調事件での懲罰はこの後取り消されて中将に進み「最後の艦政本部長」となった人です。
昭和20年8月15日の敗戦が無ければ、機関科出身者として初の海軍大将になっていただろう、とも思われる人なのです。

世界中の海軍では兵科(航海含む)と機関科は対立関係にあるのが普通です。大日本帝国海軍も例外ではありませんでした。
一方で臨機調の委員長はもちろん兵科の出身であり、それも主に軍政畑を歩いて来た人物でした。

臨機調報告書の表紙山本五十六の印鑑

臨機調報告書の表紙
山本五十六の印影の画像はめずらしいでしょ?

 

「臨機調はいったい何をしたのか?」とこの段落をネーミングしたものの、臨機調が狙っていた真の目的はどうも徹底的に消されてしまったようです。電脳大本営の能力では、以上のような「状況証拠」を提示するのが精いっぱいです。

ではありますが、海軍次官の中将がトップを務めた調査委員会の、海軍大臣が承認した「答申」に基づいた大事な艦艇の改修予算を、たかが大佐の課長が止めてしまう。
そんなことが、普通にある事なんでしょうか?

しかも実艦を使って、事故の恐れもある「答申」を否定するための大掛かりな実験です。
久保田大佐(敗戦時少将)は機関科出身ですから、「翼車振動説」が誤りであることを事前に(渋谷中将から聞いて)知っていたと言う事は十分に考えられます。

機関科側の逆襲が成功した、とも言えるのではないでしょうか。

なお、誤った答申を出した山本五十六が、渋谷中将に詫びを入れた形跡は全くありません。

アメリカとはまだ戦端を開いていないものの、「戦争中」の海軍が多くの艦艇に欠陥を抱えたのに、いったい何をやってたんでしょうか?

国防をエリートだけに任せると、こういうことになるんであります。

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-人物, 帝國海軍, 情報, 燃料・動力
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