支那事変イラスト

二日市保養所~朝鮮からの引揚げ~

2017/08/13

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1945年8月15日、大日本帝国が敗戦を受け入れると「民族大移動」が始まりました。
満州国から、支那本土から、朝鮮半島から、台湾から、南方から、北方領土から。
苦労を重ね、現地を発展させて自分も豊かになろうと夢を抱えて頑張っていた日本人たちが、財産を捨てて命ひとつで内地へ帰ろうとしていたのです。

1946年春、博多港にて

朝鮮半島からの引揚げ船は距離の関係から、おおくが博多港や福岡県下の港に入ってきました。

朝鮮北部からの引揚げ家族(釜山港)

朝鮮北部からの引揚げ家族(釜山港)

引揚げてきた人たちは破壊し尽くされた町を見て息を飲んでしまいます。
自分たちを含めて660万人もの人たちが、この荒廃した国土に帰ってくるのです。

小さくて、荒れ果ててしまったこの国は、私たちを養えるのか?
不安を胸に、人々は今まで苦労をともにした仲間に別れを告げるのももどかしく、郷里への道を急ぐのでした。

トラックに乗って

そんな慌しい中で、一団の女性たちが人目を避けるようにして立っていました。
年齢はさまざまで、娘さんと思われる人の手をじっと握り締めたお母さんの姿もチラホラ見受けられました。

異様だったのはその髪型で、女性ばかりなのに全員が丸刈りに近い短髪です。
服装も男物か、とても女性には見えないようなもので、顔には煤や炭を塗りつけたままの人もいます。

そこへ一台のトラックがやってくると、女性たちを屋根のない荷台に乗せて走って行きました。

 略奪暴行はあたりまえ

満州や支那本土、朝鮮からの引揚げは相手が国民党ならまだ良かったのですが、支那共産党やソ連が絡むと碌なことにはならないのです。

財産の略奪だけでなく、強制連行や虐殺などで祖国の地を踏めずに無念に斃れた人は少なくありません。
これに加えて女性は、朝鮮人やソ連兵、支那人(満人ではありません)によって暴行・強姦を受けて、妊娠したり、性病に罹ったりしていたのですが、日本政府は何らの処置も取っていなかったのです。
そして強姦により妊娠した女性の中には、これを苦にして自殺する人も続出していました。

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釜山日本人世話会による調査では1945年12月 から1946年3月までの対象者885人のうち、強姦被害者70人、性病罹患者19人と約1割が性犯罪の被害に遭っているという数字が残っています。

二日市保養所

大日本帝国の敗戦によって解散することになった、京城(ソウル)帝国大学の医学部医局員たちは「在外同胞援護会救療部」という組織をつくり、引揚船に医師を派遣して引揚者の治療に当たっていました。

ソウル帝国大学・理工学部

ソウル帝国大学・理工学部

 

彼らが、女性の強姦被害が多いことに気づき愕然とし、すぐに専門の治療施設を作らなければならない、と活動して福岡郊外の二日市温泉にあった「愛国婦人会」の保養所(海軍保有の施設との説も)を利用して「二日市保養所」が開設されました。
1946年3月25日のことであります。

二日市保養所

二日市保養所

保養所といってもその実態は「堕胎所」です。
当時は堕胎は完全に違法な行為でした。
女性のプライバシーもあり、国が前面に出るわけにも行かず、博多から3時間あまりの、人目に付かないところが選ばれたのです。

トラックに乗せられた女性たちが運ばれたのはここだったのです。

麻酔もなく

日本は存亡を賭けた戦いに敗れ、物資の不足どころか食料すら満足にない国へと転落していました。

堕胎に際して、女性たちに与える麻酔すら満足にはなかったそうです。
しかし、女性たちは泣き声ひとつ立てずに手術に耐えたといいます。

この様子を詳しく書いた資料もあるのですが、私には書き記すことができません。
もし、詳しくお知りになりたければコチラなどはいかがでしょうか。

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二日市保養所では1947年に閉鎖されるまで500件を越える堕胎手術がおこなわれました。

国は敗れてさえ、日本人は矜持を失うことはありません。

朝鮮の特殊性

また沢渡が朝鮮人の悪口かよ、とお叱りを頂戴しそうですが。
書かねばならないことを書かなければ、ブサヨのお涙頂戴と変わらなくなってしまいます。

二日市保養所の橋爪将医務主任の報告書が残されています。
施設の開設から2か月間で被害を申告した邦人女性への加害男性の国籍内訳は、朝鮮28人、ソ連8人、支那6人、米国3人、台湾・フィリピンが各1人。

ここで注意すべきなのは、ソ連・米国は確実に軍人であり、支那も国民党軍の可能性がありますが、朝鮮は「一般市民」だということです。

朝鮮は、台湾と同様に「日本国内」でした。
大日本帝国は朝鮮においては未開な糞まみれの国土から、自治能力もない土民を救ってやろうと懸命に努力を続けていました。

二日市保養所で活躍した医師たちの母校、「京城帝国大学」だって、もちろん帝国が建ててやったモノです。
それも東京・京都・北海道に続いてなんと4番目の早さ。大阪や名古屋より先に帝大が出来ているのです。

それは朝鮮人も良くわかっていたことで、少し学のある朝鮮人はこぞって大日本帝国陸軍(海軍は受け入れませんでした)への入隊を願ったのは、皆さんご存知のことであります。

私たちのご先祖はどんなに恩義を受けようと、親切にしてもらおうと、相手が弱ったと見れば牙を剥き、襲い掛かる獣を飼っていたんです。

負け方も参考に

次にもまた、負けることなどは考えたくもありませんし、またよもや不覚を取ることもないでしょうが、朝鮮半島内で多くのやまとなでしこが被害にあったことは決して忘れてはいけません。

(画像をクリックして頂けば大きくなります。)

しかも、相手は占領してきた軍隊ではなく糞土民だったことは、どうしても覚えておく必要があります。

しかも、この状況はこれ以前にも警告されていました。
関東大震災です。
地震で関東地方が混乱に陥るや、各地で徒党を組んで略奪に回る「不逞朝鮮人」の動向や自警団を組織して対抗する日本人の姿は各新聞に報じられています。

日本軍は強くなくてはなりません。
それ以上に、万一敗れた時でも、女性だけは守り抜く軍隊でなくてはなりません。

嬰児に罪は

二日市保養所母子像

二日市保養所の「母子像」

堕胎をすれば、小さいとは言っても亡骸を始末しなければなりません。
事情が事情ですからお墓を立てるわけにもいかず、雑用をしていた初老の男性が桜の樹の根元にこっそりと埋めていたそうです。

女性たちの眼には、桜の花だけが映っていて欲しいものだと心から思います。

いま、二日市保養所のあったところには「母子像」が立てられております。
親に先立った嬰児は「親不孝」だから成仏できない、とされています。
それを救ってくれるのが地蔵菩薩ですが、「母子像」はそのお地蔵さまが赤子を抱いているのです。
2016.08.16加筆
2017.08.13加筆・画像追加

 

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-国防と民間人, 帝國陸軍, 政策・戦略・戦術, 現代の戦い
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