三笠奮戦イラスト

日本海海戦で戦ったピアノ

2018/10/13

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20世紀になってすぐの、古いお話であります。
アルゼンチンは隣国チリと対立してしまったため、海軍力を強化する必要に迫られていました。そこで思いついたのが自国艦隊の主力「ヘネラル・ガリバルディ級装甲巡洋艦」でした。

イタリアから輸入

ヘネラル・ガリバルディ級はイタリア海軍が企画した「2等戦艦(イタリアの類別法)」で、イギリスやフランスの装甲巡洋艦に比べると少し小ぶりだったのですが、攻撃・防御・速力・航続力・航洋性のバランスが極めて良好な傑作艦でした。

2級戦艦ジュゼッペ・ガリバルディ

装甲巡洋艦ヘネラル・ガリバルディ

 

常備排水量7,350トン、19.7ノット、航続距離12ノットで9,300カイリ。
主砲は40口径25.4cm砲装備の艦と45口径20.3cm砲を装備の艦がありました(輸出相手国での運用に応じて変更していたと思われます)。

アルゼンチンはこの艦を4隻も、イタリア海軍に先駆けて取得していたのです。イタリアでの艦名は「ジュゼッペ・ガリバルディ」級です。

ヘネラル・ガリバルディ級の運用実績はたいへん良好でした。チリとの対立に当たって、アルゼンチン海軍は使い慣れたこの「ジュゼッペ・ガリバルディ級」がさらにイタリアで建造されていることに目を付けたのです。

すでに買い取った4隻に加えてさらに2隻を買い取ることにしたのでありました。
ところが、肝心のチリとの対立は戦争になる前に手打ちが成立してしまいます。アルゼンチン海軍の水兵さんがホッとしたか、残念に思ったか定かではありません。

まだ建造中だった2隻の装甲巡洋艦が宙に浮いてしまったのは確かなことでした。

転売

2隻の装甲巡洋艦の代金は既に払い込み済み。戦争は中止になっても、契約に基づき、アルゼンチン海軍のドメック・ガルシア大佐の監督で装甲巡洋艦の建造は続いています。

軍艦は平時でも金食い虫です。維持するのに人もカネもいっぱいかかるのです。決して財政が豊かではなかったアルゼンチンはこの2隻を何とかしなければなりません。
世の中は捨てる神あれば拾う神もあるもの。アルゼンチン海軍と2隻の装甲巡洋艦には東洋の小さな島帝国が手を差し伸べてくれたのでありました。

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大日本帝国海軍の所属となって「春日」と「日進」と名乗ることになる2隻の装甲巡洋艦は、結果論から言えば我が国の救いの神ともなったのでした。

日露の海戦や「春日」と「日進」購入の事情については、皆様もよくご存じだろうと存じます。
酒吞みのつまみ程度ですが、あまり知られていないと思われる話を一つしておきますと、ロシアと我が国の購入競争において明治大帝の存在が大いにモノを言った、ということなのです。

当時のアルゼンチンの海軍大臣はベトベテルという人でした。
ベトベテル海軍大臣は、2隻の装甲巡洋艦をロシアに売るよりは日本に売るべきだ、主張してくれたのです。
ベトベテル大臣はアルゼンチンの練習艦「サルミエント」の艦長として訪日した経験の持ち主でした。

その際、なんと明治大帝の拝謁を賜るの栄に浴した上に、日本側の心からの歓迎を受けて大変な親日家になっていたのです。

明治天皇、1909年、栃木県で演習統監される

明治大帝が1909年、栃木県で演習統監されるお姿

 

この話はウラが取れないのですが、通常は小なりとは言え一帝国の皇帝陛下が、同盟国でもない国の練習艦の艦長ごときと接触するものではありません。
しかし、庶民感覚を終生お持ちになり、たいへん気さくなご性格であらせられた明治大帝を思いますと、「お会いになったかも?」と電脳大本営は考えるのであります。

廻航

イタリアのジェノバの造船所で建造された「春日」と「日進」は、地中海からスエズ運河経由で東洋へ廻航しなければなりません。

スエズ運河経由のルート

スエズ運河経由のルート

 

日露間はすでに一触即発の危険状態であり、何かあればいつ戦闘が生起してもおかしくない状態です。スエズ運河に入っていくためには、ロシア本国艦隊もウロウロしている地中海東部へ行かねばならないのです。

そこで「春日」と「日進」は一旦英国籍の軍艦とされました。イギリス海軍のリー中佐が日進の艦長に、ペインター少佐が春日の艦長に就任してイギリス人とイタリア人の乗組員によって廻航することとなったのです。

こうした安全策を施した上で、1904年1月8日、建造の監督をしていたドメック・ガルシア大佐がアルゼンチン海軍代表となり、大日本帝国の松尾海軍総監との間で正式な引渡し式が行われたあと、ただちにスエズ運河に向けて出発したのでありました。
大日本帝国の事情から、とてもあわただしく不動産で言ったら「居ぬき」で買うようなモノでありました。アルゼンチン海軍向けに豪華仕様?の内装もそのままに出港したのでした。士官室にはピアノが据え付けられていたのです。(←ここ重要

ロシア側も手をこまねいていたワケではありません。

「春日」「日進」のジェノバ出航を察知したバルチック艦隊はたまたま地中海を行動中の戦艦オスラビアに追尾を命じました。

戦艦オスラビア

戦艦オスラビア

 

オスラビアは春日と日進の進路を遮るように航行しました。艦長や乗組員が英国人とイタリア人でなかったら、攻撃に出ていたかも知れません。

イギリスの海軍基地のあるマルタ島にさしかかると、イギリスの巡洋艦キング・アルフレッドが「春日」「日進」とオスラビアの間に割り込んでくれました。

キング・アルフレッド(ドレイク級)

キング・アルフレッド(ドレイク級)

 

日英露三国の軍艦が連なってポートサイド(スエズ運河の地中海側入口)に近づきました。オスラビアは石炭を積み込もうとしたのですが、艀(はしけ)や石炭は英国が管理しています。

イギリス側は「春日」と「日進」に石炭を補給して出航させた後、ゆっくりとオスラビアに石炭の積み込みを行いました。
ここまで「護衛」してくれたキング・アルフレッドは「無事なる本国到着を祈る」と信号を送り、離れていきました。

ポートサイドでイギリスのリー中佐とペインター少佐は退艦し、いよいよ大日本帝国の鈴木貫太郎中佐と竹内平太郎大佐が艦長となりました。

鈴木中佐は乗組員(イギリス人、イタリア人のまま)に、「もしロシアの艦隊が現れたら君たちはどうする」と尋ねました。
全員が「砲火をもって戦う」と答えましたので、感激した鈴木中佐は「それでは、日本に帰ったら皆の給料を倍にしよう」と約束しました。

鈴木貫太郎

鈴木貫太郎

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2月4日にはシンガポールで石炭を補給して出航。2月10日には大日本帝国がロシア帝国に宣戦を布告して、ついに日露戦争が始まったのであります。

宣戦布告に遅れること6日。2月16日に至り「春日」と「日進」がついに横須賀に入港、大日本帝国の臣民が両艦の入港を歓迎しました。

日比谷公園での歓迎会の後、二人の艦長は宮中で明治天皇に拝謁し旭日勲章が授与されました。
鈴木中佐は明治大帝の謁見の後に海軍省に赴き、約束を守って乗組員の給料倍増の許可を受けました。約束はちゃんと守る、さすがにのちのち大日本帝国の最後を看取ることになる人だけはありますね。

殿(しんがり)艦

さて「春日」と「日進」は装甲巡洋艦ながら、高い能力を買われて東郷平八郎連合艦隊司令長官直卒の第一艦隊(戦艦部隊です)に編入されました。

日露の諸海戦については別の機会もありましょうし、読者の皆さまも良くご存じであろうかと存じます。
連合艦隊は常に東郷司令長官座乗の戦艦三笠が先頭、優秀とは言え艦形がやや小さい「春日」と「日進」が一番後ろについて行く単縦陣で闘ったとだけ確認いただいて、本題を語らせていただきましょう。

装甲巡洋艦春日

装甲巡洋艦春日

 

艦隊戦闘では先頭艦に砲撃が集中する傾向があることは、皆さま良くご理解いただけることと存じます。実際に日本海海戦での損害は第一艦隊の一番艦「三笠」が最も大きいものでした。
ところが日本海海戦では「その場180度回頭」でバルチック艦隊を追うことがありました。
通常の定点回頭なら航行序列は変わりませんが、航行していたまま各艦その場で180度回頭すれば、「春日」と「日進」が先頭に出てしまいます。

その為、「春日」にもバルチック艦隊の砲撃が集中する時間帯がありました。重大な損傷はなかったものの、甲板上から居住区画に至るまで、いたるところが破壊されてしまいました。

士官室にも一発の砲弾が直撃しました。春日の士官室はめちゃくちゃになってしまったのですが、アルゼンチン海軍が注文して士官室に備えられたままになっていたピアノが奇跡のように無傷で生き延びていたのです。

日露の戦いは大日本帝国の勝利でめでたく終戦となり、それから5年たった1910年(明治43年)の6月。アルゼンチンは建国100年を迎えて祝賀ムードに溢れていました。
大日本帝国は貴重な装甲巡洋艦2隻を譲ってくれた恩を忘れていませんでした。
「何とかあの時のお礼を」。建国100年のお祝いとして軍艦を派遣するのは当然として、何かのサプライズはないものか?

誰が思いついたのかは、今となっては探りようもありません。ありませんが、誰か外交センスと洒落っ気にあふれた人がいたのでしょう。個人かグループなのかも不明ですが、誰かが「春日のピアノ」を思い出したのです。
「これをアルゼンチンに返そうよ。」
建国100周年記念式典への派遣艦は新鋭の巡洋戦艦(巡洋戦艦の類別が出来るまでは装甲巡洋艦)「生駒」と決まりました。「生駒」は「春日のピアノ」を積んで太平洋を横断し、アルゼンチン海軍に「返還」したのです。

春日のピアノ

春日のピアノ

 

このピアノは、イタリアのトリノのG.MOLAと言うピアノ製造工場で作られたモノだそうです。電脳大本営には判断の術もありませんが、良いモノなんでしょうか?

アルゼンチン海軍は大変喜び、このピアノを首都ブエノスアイレスから少し北にあるティグレ市の博物館に保管展示してくれました。

アルゼンチン海軍博物館の思い出コーナー

アルゼンチン海軍博物館の思い出コーナー

 

しかも、「三笠」の海戦で焼け焦げたマスト材から作った額縁に、日本人画家による日本海海戦の絵を飾ってもくれたのです。

アルゼンチンは国をあげて巡洋戦艦「生駒」とピアノを歓迎してくれました。もちろん乗組員たちも、です。

東郷元帥の同級生

電脳大本営的には、「たかが楽器」がどこでどう扱われようと構わんのでありますが、この件では興味を惹かれる因縁がさらにあります。

「春日」と「日進」のイタリアでの建造を監督し、アルゼンチン海軍を代表して「春日」と「日進」を大日本帝国へ譲渡したドメック・ガルシア大佐こそ、その興味の対象であります。

日進と春日を引き渡した後、ガルシア大佐はフランスのアルゼンチン大使館駐在武官になっていました。
ほどなく、本国アルゼンチンから観戦武官として日本へ行くように命令があったのです。ガルシア大佐は5月20日に横浜に到着すると、乗り組み艦に日進を希望し、日露の諸海戦をつぶさに観戦したのです。

日進と春日はすでに述べましたように、第一艦隊の旗艦三笠以下の戦艦群のしんがりとして戦いましたので、先頭の三笠と同様にロシア艦隊の砲撃が集中して何回も危険な目に会いました。

ガルシア大佐は、その危険をものともせず、詳細な記録を取ったのです。それだけではなく、日露の講和の後も大日本帝国にとどまり、2年間にわたって海軍基地・工廠・海軍病院などを訪れて克明な記録をとりました。この記録は1400ページに及ぶ報告書となってアルゼンチン海軍省に提出されました。

この報告書は第一次大戦が終わるまで厳秘扱いとされていました。
漸く1917年(大正6年)、大日本帝国海軍の同意を求めた上で公刊されることとなりました。
日本海海戦や他の海戦ばかりではなく、大日本帝国海軍の戦争準備や平時の教育・組織・艦内事情どころか衣服の支給や食料事情までを調査。さらに海戦の戦略的考察から両国司令官の艦隊マネージメントまで比較して客観的に分析した、隠れた名著であると言えます。

その証拠に、海上自衛隊が教育資料として邦訳しているほどなのです。

この資料は日本・アルゼンチン修好百周年を記念して日本アルゼンチン協会から「アルゼンチン観戦武官の記録」と題して出版されたそうです。

さらにさらに。日露の海戦には有力な列強から観戦武官が多く派遣されています。その中で、失礼ながら決して有力国とは言えないアルゼンチンの観戦武官ごときが第一艦隊の「日進」への乗艦を許されたのは何故か?

実はガルシア大佐はイギリス留学経験があり、イギリス海軍兵学校で東郷平八郎元帥と机を並べていたらしいのであります。
東郷平八郎、かつての学友に便宜を図ったに違いありませぬ。

若かりし山本五十六元帥も「日進」でしたよね。もっと因縁話が広がっっても良さそうですが、残念ながら山本の方の元帥が下っ端過ぎて(笑)

以下、平成30年10月12日追記。

Koreaとか言うヤクザ者の集団が我が国の海軍に「国際観艦式」への艦艇派遣を要請しながら、軍艦旗たる「旭日旗」の掲揚を拒否した騒動が起きました。

私は旭日旗は絶対に掲げる!と言いつつ、観艦式参加を主張し続け、Koreaに「来るな」と言わせるべきだった、と思っています。
残念ながら、我が防衛省はKoreaをヤクザ者の集団ではなくて「一応隣の国」として扱ったようで、さっさと「行かねえよ」と言ってしまいました。

でもね、海軍同士のお付き合いって、この記事で紹介させて頂いたようなモンなんですよ。

お互いにリスペクトしなきゃダメです。

「春日」のピアノを持参した巡洋戦艦「生駒」は、もちろん旭日旗を誇らしく掲げて「アルゼンチン建国100年」を記念した国際観艦式に参加しました。

さらにお祭りのアトラクションの「カッター競漕」にも参加。アルゼンチン海軍の代表には惜しくも及びませんでしたが(判るでしょ、そういうことです)、師匠スジのロイヤル・ネイビーを抑えて2着。

それでなくても「対馬沖の奇跡的な勇者」の後輩として注目の的だったのに、これで「生駒」の水兵さんの人気は沸騰しました。

パレードをすれば、熱狂したアルゼンチンのご婦人たちがお召し物を脱ぎ捨てて水兵さんに抱き着くほどだったとか。

羨ましいけど、これが「海軍のお付き合い」なのであります。

困ったときに助けて貰ったわけでも無い、これからも実力的に助けてもらえそうもない国の海軍なんぞ、何を言ってこようが無視しておけば良いんじゃ、と私は思います(笑)。

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-人物, 巡洋艦, 帝國海軍, 戦艦 海に浮かべる鉄の城
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