舞鶴要塞司令官時代のイラスト

杉野はいずこ~満洲であります!~

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生存説

前回からの続きです

広瀬武夫少佐は、その勇気ある行動から戦死後中佐に進級し軍神と讃えられるようになり、各地に銅像が立てられました。

広瀬武夫と閉塞隊員

広瀬武夫と閉塞隊員

前列右から3人目のお髭さんが広瀬武夫
残念ながら、福井丸の時ではないようです

行方不明となった杉野上級兵曹も戦死認定で兵曹長に進級させてもらい、遺族には勲章(功六級金鵄勲章と勲六等旭日章)と増加年金が贈られる事になりました。

ところが、大東亜戦争が終わってからになって、「杉野生存説」が報道されるようになります。

昭和21年12月1日付の朝日新聞の記事です。

昭和21年10月21日に佐世保に引揚げて来た福井県武生町平出出身の元羅南師団の軍属であった神川房治氏と神川氏の小隊長であった森川章氏によると、錦西の収容所で内地への帰還が決まった日に、大隊長の佐久間節曲氏と中隊長の杉山俊氏から聞いた話として、杉野と会ったということを知らされたという。

杉野は「旅順港に向う途中砲弾のために閉塞船福井丸のデッキからはねとばされ海中に転落、波に流されているうち中国人に救われた、帰りたくとも内地では余りに英雄扱いしているので帰ることもならず、中国人になり切って生活していたが、時代が変った今なら帰れると思ってやって来た。」と語ったそうだ。更に杉山氏の話によると、杉野兵曹長はすぐにでも後続の復員船で内地に帰る、と言っていたとのことだった。

一方で朝日新聞の記者が、杉野の長男で元海軍大佐の杉野修一氏(前回書きましたように敗戦時の「長門」艦長)を三重県川辺郡栄村(杉野の実家)に訪ねています。
この時は富美夫人がこの生存説を真向から否定したそうです。修一氏も信じられないと言い、父親の存命を願いたい気持ちはあるが俄かには肯定出来ないと語尾を濁したそうです。

何か奥歯にモノが挟まった感じがしませんか?
修一氏の奥さんの否定?
今、私たちはちょうにち新聞の嘘つき体質を知っていますから、どうも捏造の臭いがします。

大分合同新聞の記事にも『杉野兵曹長が生存、満州の収容所で引揚邦人の世話』というものがありました。

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『杉野は日露戦争では死なず、生存していて満州の某収容所で引揚邦人の世話をしている。既に76才になっており、頭もすっかりはげて身体も衰弱しているが、生きていた。
旅順港閉塞作戦のおり、身近で炸裂した弾丸のため船から海中にはね飛ばされて漂流し、やがて中国人に助けられた。
その後、中国人に交じって生活をしていたが、日本では名誉の戦死者あるいは英雄視されているので、いまさら帰国もならず、そのまま44年間淋しく暮らしてきた。
しかし、次の引揚船で帰国するらしい』
まあ、朝日の記事と大差はありませんね。

戦前から

実は満洲の地では早くから「杉野生存」は半ば公然と語られていたようで、もっともなさそうで、もっとも興味を引かれるのは「甘粕機関で働いていた」と言うモノです。

甘粕正彦(憲兵大尉)とは、関東大震災の混乱にまぎれてアナキスト大杉栄と妻の伊藤野枝、および甥の少年を殺害したとされる人物です(これについては、いろいろ考えなければいけないことがありますが、別項に譲ります)。

甘粕正彦

甘粕正彦

甘粕はこの事件により短期の刑に服しますが、仏蘭西に留学(陸軍が費用を出したらしい)、昭和5年に満州へ行き、奉天の関東軍特務機関で情報・謀略工作を担当します。

その後右翼の大物、大川周明の助力で「甘粕機関」という民間の特務機関を設立。満洲の麻薬密売を取り仕切り、数々の謀略を実行したとされています。
また、満映の理事長としても知られています。

杉野孫七は、その甘粕の特務機関に所属していたというのです。

従軍看護婦の田島竹女さん(実際は特務機関で働いていたらしい)は甘粕に「珍しい人物に会わせてやろう」と言われ、昭和19年頃に新京郊外の満州人の家で杉野に会ったそうです。
杉野兵曹長は背の低い小柄な老人だったとのことです。

彼女の聞いた話だと、杉野兵曹長は
『旅順港閉塞作戦の後、ロシア側に救助されて捕虜になったがポーツマス条約の締結後に釈放された。
戦後、一旦帰国しようと釜山に辿り着いものの内地で自分が軍神にされていることを伝え聞き、帰還を断念した。
釜山を去り新京の近くにある饅頭屋で働くうちに、真面目な性格を見込まれてそこの娘と所帯を持ち、満州人の女との間に三人の子供をもうけた』
と語ったそうです。

また、昭和20年6月10日に、奉天駅の駅長室で杉野と4時間にわたり会談したという航空兵団(電脳大本営の注;航空兵団は昭和17年に第二航空軍に改編されましたが、原資料のままにしておきます)所属の第三航空情報隊の他谷岩佐氏(当時、陸軍准尉)によると、杉野は満州事変以来、甘粕正彦の下で特務機関に所属しており、宣撫工作や情報収集を担当していたそうです。

コチラの杉野は170センチほどの身長だったそうで、当時の小柄とは言えそうもありません。

都市伝説?

杉野上級兵曹が旅順港を生き抜いたか?特殊機関で働いたか?は結局のところ都市伝説の域を出ません。

でも戦前・戦中は故郷での高い評価を考えると帰るに帰れず。
戦後は帰ろうとしたが、既に「日本人」を証明する手段を失っていて引き揚げ船に乗れなかった…と考えるとなんだか切なさとともに、説明が付きそうにも思えてきます。

当時の日本人にとって、満洲とは魅力と魔力を備えた大地だったんでしょうね。

支那人の土地では決してありません。

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