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大和級の砲塔の特殊性

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「大和級」は大日本帝国海軍の艦艇として、特殊なカタチであることは余り議論されませんね。大きさの話ではありません。カタチって言うよりは兵器の搭載方法って意味あいになるから、でしょうか?

3連装砲塔

「大和級」の主兵装はご存じの通り45口径18インチ(46センチ)が9門。砲身長20メートルを超える巨砲ですが、皆さんご存知のようにこれを3基の砲塔に3門ずつ装備したんですよね。
副兵装としては60口径6.1インチ(15.5センチ)砲が12門を4基の砲塔に3門ずつ収めていました。

主砲と副砲で「3連装砲塔」を計7基も!

映画より航海中の大和

就役時の大和
うーん、見たかったぞ。

これこそ電脳大本営が考える「大日本帝国海軍としては特殊なカタチ」なのであります。
実は大日本帝国海軍の大小あまたの艦艇のなかで、3連装砲塔を装備していたのは「大和」「武蔵」の2隻と軽巡洋艦「大淀」それに改装前の軽巡洋艦「最上級」(最上・三隈・鈴谷・熊野/改装後は重巡)だけです。

軽巡大淀

軽巡「大淀」

このうち改装前、と断りを入れました「最上級」の4隻は軍縮条約の関係で15.5センチ砲(軽巡洋艦の制限いっぱい)3連装砲塔5基を装備していたのですが、条約脱退で8インチ(20センチ/正確には20.3センチ)連装砲塔に換装しています。
その15.5センチ3連装砲塔が大和級の副砲用、「大淀」の主砲用に流用されました。

最上竣工時

「最上」の竣工時

ですから、大東亜戦争を戦った大日本帝国海軍の艦艇で3連装砲塔を装備していたフネは「大和」「武蔵」「大淀」の3隻だけだったのです。
「大和」「武蔵」が特殊なカタチというのはそういう意味なのであります。
では、大日本帝国以外の大海軍国ではどうだったのでしょうか?

7大海軍国の場合

大日本帝国海軍が三連装砲塔を好まなかった理由は、はっきりとは判りません。電脳大本営の推測は後ほど記述致しますので、とりあえずは他の列強、「七大海軍国」と言われた他の6国(米英仏伊独ソ)の3連装砲塔艦をみてみましょう。

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アメリカ

戦艦では1916年に竣工した「ネバダ級」が連装砲塔と3連装砲塔を混載しています。続いて「アリゾナ級」「ニューメキシコ級」「テネシー級」「ノースカロライナ級」「サウスダコタ級」「アイオワ級」と3連装砲塔装備の戦艦を建造しています。

アイオワ

戦艦「アイオワ」

戦艦以外でも、巡洋艦では連装砲塔を装備したのは「オマハ級」が最後。それ以降は3連装砲塔(ペンサコラ型は混載だけど)を装備しています。

イギリス

イギリスの戦艦は「ネルソン級」だけが3連装砲塔を搭載していました。次に建造されたの「キングジョージ5世級」(プリンス・オブ・ウェールズ同型)では4連装と連装の混載となり、そのまた次のライオン級では3連装の予定でしたが建造中止。

デューク・オブ・ヨーク(キングジョージ5世級)

戦艦「デューク・オブ・ヨーク」(キングジョージ5世級)

ロイヤル・ネイビー最後の戦艦「ヴァンガード」は連装砲塔4基(中古品)。我が海軍に近い三連装嫌いです。
ただ、巡洋艦だと1938年以降に竣工した全艦(防空巡除く)が3連装砲塔です。と言っても級としては2クラスだけ、「サザンプトン級」(10隻)と「フィジー級」(17隻)しかありませんけど。

イタリア

電脳大本営を前からお読み頂いてる皆さまは「イタ公」などとは呼びませんよね(笑)「イタ公と呼ばないで」シリーズ

イタリアこそ3連装砲塔の元祖なんですよ。

戦艦では「ダンテ・アリギエーリ」(同形艦なし)が世界初の3連装砲塔の装備艦。コンテ・ディ・カブール級(連装との混載)、カイオ・ドゥイリオ級(連装との混載)、ネイバル・ホリデー明けにはリットリオ・ヴェネト級。彼女たちは主砲ばかりか副砲まで3連装、それも大和級のように中古じゃなく新品。

戦艦リットリオ・ヴェネト

戦艦「リットリオ・ヴェネト」

フランス

さすがおフランス。格好の悪い戦艦を造ってたくせに、技術的に他国の後追いなんて絶対にしませんね。
「ノルマンディー級」(未成)、「ダンケルク級」「リシュリュー級」の各戦艦はなんと4連装!の主砲塔。

戦艦ダンケルクの主砲

戦艦「ダンケルク」の主砲

「ダンケルク級」は後部に装備している副砲塔も4連装の徹底ぶりです。

ドイツ

ドイツの有力艦で3連装砲塔を装備したのはポケット戦艦ことドイッチュラント級とシャルンホルスト級だけです。ドイッチュラント級はニックネームこそ「戦艦」ですが、類別は「装甲艦」で、実質的には他国の重巡相当。
シャルンホルスト級は建造の経緯から、ポケット戦艦の砲塔を急遽改造して使ったモノ。

フィヨルドに潜むティルピッツ

フィヨルドに潜む戦艦「ティルピッツ」

まあ、ナチス・ドイツの戦艦って言ったら「シャルンホルスト級」2隻と「ビスマルク級」2隻だけだから、「半分は3連装」とも言えますけどね。

ロシア/ソ連

ロシア海軍初のド級戦艦ガングート級が既に3連装砲塔で、インペラトリッツァ・マリーヤ級、ソビエツキー・ソユーズ級(未成)、クロンシュタット級(4万トンなのにソ連は重巡だと主張/未成)と3連装だらけ。

大日本帝国海軍は特殊だった

さてご覧いただいたように、世界の海軍国の流れは3連装(か4連装)に傾いていたみたいですよね。ちょっと時系列で見てみましょうか。

イタリアが3連装砲塔戦艦のパイオニアだってことは申し上げました。これが1913年の竣工。

ロシア/ソ連は第一次世界大戦の勃発(1914年)から3連装砲塔戦艦を続々と就役させています。

アメリカはこの2国に続き第一次世界大戦が続いていた1916年。

イギリスは幾つかの未成艦設計を経て1927年に3連装砲塔を装備した「ネルソン級」を竣工。

ドイツは第一次大戦の大艦隊はすべて連装砲塔。ワイマール体制の厳しい制約下で建造されたポケット戦艦「ドイッチュラント級」で初めて3連装砲塔を採用、1933年4月。

仏はネイバル・ホリデイ中の1936年に竣工した「ダンケルク級」で3連装を飛び越え「4連装砲塔艦」を実現。4連装砲塔そのものは1913年に起工された「ノルマンディー級」戦艦で既に計画していましたが。

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いかがですか?大日本帝国海軍の「特殊性」がお判り頂けるのではないでしょうか。
我が海軍は、軍縮明けの昭和12(1937)年まで七大海軍国のなかで唯一の「大口径多連装(3連装以上)砲塔未体験」の乙女だったのです。

我が国の軍艦への砲塔(記述量の関係から、全周装甲付きの砲塔に限ります)搭載は世界的に遅いわけではなく、日清戦争後の明治30(1897)年竣工の「富士級」戦艦に遡ります。

この戦艦「富士」の砲塔は既に連装なのであります。

富士 M30 英スピットヘッド

戦艦「富士」
英スピットヘッドにて

一般に軍艦の主砲はより大きく、より多く積んだ方が戦闘時に有利になります。分厚い装甲を施した砲塔はそれだけで重く大きくなってしまいますので、その中には出来るだけ沢山の大砲を詰め込みたいのが人情ってモノでありましょう。

ではなぜ、大日本帝国海軍は多連装砲塔を避けたのでしょうか?

大日本帝国海軍の師匠ロイヤル・ネイビー(大英帝国海軍)も、他の列強に比べて多連装化は遅いですよね。
これが我が国が多連装砲塔を採用しなかった原因だとする意見も散見されるんですけれども、電脳大本営としては「では何故ロイヤル・ネイビーが採用しなかったのか?」まで追求しないと厭なんです。

多連装化の損得

その前に各列強が多連装化を目指したのは何故か?多連装化の長短を比べてみましょう。これも簡単な話ですが、再確認とでも思ってご辛抱ください。

砲塔は装甲も分厚く巨大な大砲(外から見えている砲身ばかりじゃありません)を収容して自由に旋回しなければいけませんから、非常に重くなります。

史料によって、同じ砲塔でもいろいろなデータがあるんですが、大和級の主砲塔1基が2500トンあった、と言われますね。護衛に付いてる駆逐艦一隻分です。
巡洋艦で比べてみますと、最上級の15.5センチ・3連装砲塔は180トン(世界の艦船518号)、利根級の20.3センチ・連装砲塔が177トン(軍艦メカニズム図鑑)。大砲そのものの大きさが違うんでナンですが、多連装の方が重量軽減には有利な事はお判りいただけるかと思います。

大砲の下部には弾薬庫が必要ですが、弾薬庫にもとうぜん装甲を貼りますね。これも多連装砲塔にすれば、単装や連装の場合よりはるかに小さな範囲に貼ることで軽くて済みます。実際にはヴァイタル・パート(重要防御区画)を小さくする、って形になりますけれど。

多連装砲塔の「得」は他にもありますが、「全体として軽量化できる」事に尽きるかと思います。では「損」はなんでしょうか?

多連装の砲塔にすると「砲塔1基あたり」では重量と製造コストが上昇してしまいます。機構も複雑化して故障もしやすくなります。
フランスお得意の4連装のうえ、5連装など作られなかったのはその事情によります。

実際に「大和級」の設計案の段階で、我が天才設計家・平賀譲は「4連装2基+連装2基」の計10門を提案しているんです。
しかし、4連装砲塔の製造が間に合わないとして却下されていますし、4連装砲塔を採用したイギリス海軍の「キングジョージ5世級」はさんざん主砲塔の故障に泣かされました。

良く言われる「同時に発射した砲弾が相互干渉して散布界が拡散する」問題については、各砲の発射時間を微妙にずらすことで解決できそうですし、「片舷を指向して発射したら、反動でフネが傾く」(日清戦争の三景艦では実際に起こりました)に至っては、たくさんの単装砲塔を一斉に指向しても同じことですから、問題とするには当たりません。

それよりは「戦闘で主砲塔が被弾すると、一弾で主砲が4門使えなくなってしまう可能性が高い」という事の方が問題になりそうです。
フランス海軍の4連装砲塔はこの危険を避けるため、主砲塔内を防弾板で二つに仕切っています。機構的には連装砲を2つ横に並べてくっつけたモノ、と言えないこともありません。
それでも被弾の衝撃でバーベットなどが損傷して、砲塔の旋回が出来なくなってしまえば、4門同時に攻撃力をなくしてしまうことに変わりありません。

こうして見てみると、得は「艦全体が軽く出来る」だけで、損の方が多いように思えます。ところが、この損は機械精度を上げてやれば何とかなる問題でもあるんですね。
できるだけ軽く造る事は軍艦のいわば至上命題ですから、チャレンジする価値は非常に高いのです。だから世界の海軍国は多連装砲塔へと走ったわけです。

帝国海軍はスピード重視

それでは、なぜ世界の潮流に逆らって大日本帝国海軍が多連装を嫌ったのか。ココからは完全に沢渡の推測であることをお断りしておきます。

実は「多連装砲塔の損」はもう一点あるのです。それは「砲塔の幅が広くなってしまう」こと。1本か2本並んでいる砲身を、もう1本か2本並べてやるのですから幅広になるのは当たり前なんですが、幅の広がり方が1.5倍や2倍では済まないのです。

それは何故か?

砲尾の構造が問題なのです。当時の大型砲は砲弾を挿入した後、砲尾を完全に閉鎖しなければ発射できません。その構造(閉鎖機)は「螺式」と言って、大雑把に言えば巨大なネジを締めこむようなモノでした。中小型ではスライド式ってのもありました。

大砲の閉鎖機の動き1解放中

大砲の閉鎖機の動き1解放中

発砲した後、再装填のために砲尾を解放するのですが、この巨大なネジは蝶番に支えられてドアみたいに開きます。真横に開きます。
開いた閉鎖機が隣の砲なりその閉鎖機なりと干渉したら困りますよね。

大砲の閉鎖機の動き2閉鎖途中

大砲の閉鎖機の動き2閉鎖途中

そのために連装砲塔の左砲の閉鎖機(ネジ)は左に、右砲の閉鎖機は右に開くようにできています。
これが三連装になったら、真ん中の砲の閉鎖機はどっち向きに開いたら良いのでしょうか。
隣の砲と干渉しないように砲同士の距離を開けると、砲塔がトンでもなく幅広になってしまうんです。上や下に開こうとすると開けるときか閉めるときに余計な力が必要になります。
イギリスは暗黒面に堕ちる覚悟をしたのか、ナナメ上や下に開く閉鎖機を開発したそうですけどね(根拠薄弱な又聞き情報です)。

ロイヤルネービーみたいに「英国面」に堕ちられなかった大日本帝国海軍は、砲と砲の間を開けるしかありませんでした。ですから3連装砲塔は幅が広くならざるを得ません。

この「幅広3連装砲塔」を装備すれば、艦体も幅広にせざるを得ません。艦体の幅が広がってしまうと、艦の速力が低下してしまいます(速度の低下を避けようと艦を長くすると排水量が増えちゃいます)。

大日本帝国海軍は日清戦争以来、軽快かつ効率的な艦隊運動によって大敵を打ち破って来ましたから、軍艦には優速を求め続けていました。

1893防護巡橋立、主砲換装中。煙突に注意

三景艦「橋立」デカすぎの主砲を換装中。

そんな日本海軍にとって、たかが「全体として軽くできる」くらいで多連装砲塔が容認できるワケありませんね。

大和級に三連装を採用したのは

では軍縮条約が明けて、久しぶりに作る大戦艦に三連装砲塔を七つも付けちゃったのどうして?という疑問が当然出てきますよね。

副砲塔4基の理由は簡単に解けます。と言うか既に書いてますよね。「軽巡」最上級が重巡に変身するにあたって、要らなくなった主砲塔を流用したんです(じゃあ、なぜ最上級が三連装砲塔を採用したか?は今考えてますので聞かないで下さい)。

大和級の主砲塔は「余裕があったから」です。大和シリーズの第二弾で「大和級は18インチ砲ありき」だと紹介いたしました。門数は8門以上とされて、この時点では長門級の配置(連装4基8門)が強く意識されていたと思われます。
これが「大和級」設計の基本中の基本でした。その用法は後から付いてきたもので、当初は前進部隊(第二艦隊=高速戦艦隊)とされていたのが、主力艦隊(第一艦隊)に変更になったらしいことも、このシリーズで説明しています。速力を追及するととんでもない巨大艦になってしまう事も。

速力と18インチと艦の大きさ(この「大きさ」には予算も建造施設も就役後のメンテナンス施設も関係してきます)を秤にかけて、大日本帝国海軍は18インチを取ったのです。

27ノットの速力で良ければ(ある程度の)艦幅は容認されますし、艦幅があれば、多連装の方が砲の搭載には効率が良い。

大日本帝国海軍にとって、超特殊な「三連装砲塔」はこうして開発されることになったのだ、と私は推測しています。

大艦巨砲を、大和級の27ノットの速度を「機動部隊に随伴できない」「アイオワ級よりはるかに遅い」などと批判することは誰にでも(軍事を知らぬブサヨにも)出来る事です。
でも大和級は速度を重視したわけでも、空母の防空艦として建造されたわけでもありません。

大和と武蔵の姉妹は、本来の「アメリカの戦艦を迎え撃って壮絶なドつきあいに勝利する」任務は果たす機会に恵まれませんでしたが、戦艦の存在価値の一つである「強靭な防御力」は十分に見せつけて海底にその姿を消しました。

それは水兵さんたちの、英霊たちの勇戦敢闘と同じくらい、艦としてのバランスを極限まで突き詰めた帝国海軍の技術力にも支えられていたのであります。

なお、この記事の執筆にあたり、同時進行していたフェイスブックの非公開グループ「軍事・軍隊・武器・兵器・戦術・戦略等軍事関連の研究」で繰り広げられた「軍艦の速度に関する論争」に大いに触発されたことを、報告いたします。

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