朝焼けに浮かぶ大和

大和の球状艦首から帝国海軍の技術力を考える

2017/03/04

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帝国海軍の数々の優秀な技術は私たちの誇りですが、その中心である「造艦技術」の詳細については、詳しく判りやすく語ったサイトは無いみたいですね。

武蔵手前と大和

「武蔵」(手前)と「大和」

って事で電脳大本営がチャレンジしてみましょう。今回の第一弾は「艦首」。これで終わりになるかも、ですけどね(笑)

バルバス・バウ(球状艦首)の基礎知識

艦首の話から戦艦「大和」型は外せません。同期生の「翔鶴」「瑞鶴」姉妹とともに球状艦首(バルバス・バウ)が採用されていたことはあまりにも有名です。

バルバス・バウ

バルバス・バウ

バルバス・バウってこんなヤツです。まさに(半)球状でしょ。ほとんどの場合、水面下にあって通常我々が目にすることはありませんが。

ですから、これは別にかっこ良くするためについてる訳ではないんですね。かと言ってラム(衝角)の代わりでもありません。
船が水面を進む時にできる波を小さくするための大発明なのであります。

うみたか

盛大な航跡を引くミサイル艇「うみたか」

大きな航跡を曳いて進む船は格好ええモノですが、実はあの波を作るにはエネルギーを消費しちゃっています。「造波抵抗(船が進むとき波をおこすことによって受ける抵抗)」と言ってフネが進む上で3つある(造波・粘性圧力・粘性摩擦)抵抗の一つなんです。

造波抵抗を防ぐのは実に簡単でありまして、潜ってしまえばOKなんです。
浅すぎると水面に波ができちゃって効果が出ませんので、深く潜る必要はありますが、ともかく深く潜れば造波抵抗はゼロ。
でも、なかなか船を潜らせるのは大変です。大きな軍艦になると、こりゃあもう大ごとになっちまうのです。
特に潜水艦は高くつきますから、お金の無かった大日本帝国海軍には無理ですね。

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次に有効なのが競艇のモーターボートみたいに、出来るだけ水面に接触せずに滑走するように航行すること。こうすれば水を押しのける量が少ないので造波抵抗は小さくなるって寸法です。

滑走艇の例

うん、ほとんど水に接してませんね。

水中翼船や双胴船などもこれに近い方式で高速を実現しています。

しかし、水中翼が浮力を発揮するためにはある程度まで速度を上げてやる必要がありますし、でっかい軍艦を水中翼で支えて高い機動力を発揮させるには困難が伴います。
双胴船にすると艦内容積が大きく制約されてしまい、軍艦としての機能に問題が出来ちゃいます。

LCSインディペンデンス級

LCSインディペンデンス級(米)
此奴は3胴船というより、アウトリガーつきの超細い胴体。

もっとシンプルに考えてみましょうか。エイトやフォアの漕艇の競技艇みたいに、船の長さを幅に比べて十分に細長くしてやれば、容積あたりの造波抵抗は減小します。めでたしめでたし。駆逐艦などは戦艦に比べると幅が細くて長い艦型をしています。

しかし細長くなればなるほど復元性は悪くなり、安定性も悪くなります。ある程度の安定性が無いと、大砲の照準が合いません(現在の誘導弾でも、当時ほどではないけれども、ある程度の安定は必要です)。
入港するのも大変だし岸壁も長くないと接岸できませんし、水兵さんが前から後まで走り回る距離が長くなってたいへんです。

士官たちも前から後まで目が届かずにエライ大変ですわね。

そんなことで、久しぶりに建造することになった大戦艦に採用することになったのがバルバス・バウ(球状艦首)なのであります。

バルバス・バウの原理を解説いたしますと、船首の水面下に突出した球状艦首が波を盛り上げます。

球状艦首の消波の仕組み

球状艦首の消波の仕組み

盛り上がった波は谷になって行くわけですが、その谷になる位置が、ちょうど普通の船首が作る波の山が発生する位置に重なるように作ってあるのです。
互いの波が干渉しあう結果、船が両舷に作る波をなくすことが出来る、というものです。
良く考えてみれば、単純な仕組みですが、この効果がすごかったんですね。大和型での省エネ効果が8パーセントもあった、と言う人もおられます(裏は取れてません)。

帝国海軍オリジナルじゃねえし

このバルバス・バウ(球状船首)は米国の造船学者D. W. テーラーによって1911年に発明されました。

大和型と同時に建造されてた航空母艦「瑞鶴」「翔鶴」(帝国海軍空母の完成型と言えますね)にもバルバス・バウが付いていまして、このバルバス・バウは大日本帝国海軍の大発明だ、海軍の技術スゲー!ってな記述がいっぱい転がってるんですが、全然日本人の発明じゃありませんから。

翔鶴進水式前日の記念撮影

「翔鶴」進水式前日の記念撮影
肝心のところが見えんぞ。

でも、日本海軍の技術者が偉くないって訳でもありません。と言いますのは、バルバス・バウには重大な泣きどころがあるんです。

たとえば船がいつも同じ重さの荷物を積んでいて、バルバス・バウが常に喫水線下にあり、速度も大きく変化しないのであれば問題ありません。バルバス・バウは造波抵抗を減少することが出来ます。
しかし荷物を降ろし、喫水が浅くなってバルバス・バウが喫水線上に顔を出すと、波の出来具合が変わってしまい(波の山と山が重なって)かえって抵抗が大きくなってしまうのです。

実際にD. W. テーラーが発明して以来、バルバス・バウは客船には採用されましたが、貨物船や軍艦にはそれほど採用されることが無かったのです。客船なら貨物の積み下ろしはそんなにありませんから、喫水が変化しにくいんですね。
余談ですが、「マイナビ進学U17」の嘘記事には「(バルバス・バウが)始めて採用されたのは、アメリカ海軍のレキシントン級航空母艦です」というヨタ文がありましたが、巡洋戦艦から改造中のレキシントンの写真を見れば一目瞭然です。

改造中のレキシントン1925

改造中のレキシントン
1925年撮影

受験生にウソを教えてはいけません。

あっ、軍艦に採用されない理由を申し上げてませんでした。軍艦の方は速度が原因なんです。
軍艦は速力が早いほど良いことはお判りと思います。速く航走しようとすれば、艦型を考えるのと同時に馬力を思いっきり上げてやらねばなりません。
ところがこれでは、航続距離が短くなっちゃいますから、巡行する時は罐やタービンの駆動数を減らして、スピードは遅めに設定しているんです。

つまり軍艦は巡行時と戦闘時の速度差が極端に大きいのです。速度の変化によっても波の出来具合は変わってきますから、バルバス・バウは効果を発揮しにくいんです。
Wikiで見ても客船や貨物船は「標準速力」や「航行速力」が一本だけ(だいたい20ノットから25ノットくらい)紹介されてますが、軍艦の場合は「最高速力」と「巡行速力」の二本立てになっていることが多いと思います。

大日本帝国の造艦技術者が偉かったのはバルバス・バウを発明したことなんかじゃなく、本来軍艦にはふさわしくない「造波抵抗軽減装置」の最適解を発見したことにあるのです。
「大和」級(最高速力27.46ノット・巡行速力16ノット)も「翔鶴」「瑞鶴」姉妹(最高速力34ノット・巡行速力18ノット)も速力の変化は大きいのですが、どちらの速力でも造波抵抗が軽減されるバルバス・バウの大きさと装備位置を導きだしたことこそ、私たちが世界に誇りうる造艦技術(の一つ)なのです。

大和級以外の戦艦の艦首は

戦艦「大和」「武蔵」以外にも大日本帝国海軍の軍艦には他国の海軍には真似のできない艦首が取り付けられていました。スープをいただくときのスプーンの裏側みたいなカーブを描いた特徴的な艦首です。

まず「世界のビッグ7」に数えられていた「長門」と「陸奥」。この形はスプーン・バウ(カッター・バウとも)よばれて、明治44(1911)年の一等駆逐艦「磯風」クラスから採用されています。

香港訪問時の長門

香港に入港した「長門」

それまで(特に大艦の場合)は艦の先っぽから垂直に水中深くまで船体を入れていた(クリッパー・バウ)のです。これは浮力分布からも、また艦の有効長さを確保する上からも有効で、艦首が垂直であるのは言わば当然だったのです。

純白のシャルンホルスト

純白のシャルンホルスト
艦首はほぼ垂直に海中へ
(改装前)

ただ一方で、巡洋艦や駆逐艦などの非常に高速な艦種では艦首の水切りの付近を前方に傾けて、ベース・ライン(艦底部分)に近い部分を切り上げておいた方がよいという研究がなされていました。
(造船学で高速というのは速度と長さの比の値が高い事を言うそうです。速力をVノット、長さをLフィートとして、V / √L の値を求めます。
戦艦ではこの値が 0.9~1.1、重巡で1.4~1.5、駆逐艦なら1.8~2.0だと言われていますが私には良く意味が判りません。長さと幅の比なら理解できそうですが)

磯風全力公試中

全力公試中の駆逐艦「磯風」
大正6年撮影

研究熱心

大日本帝国はどっかの特亜諸国のようにオンリー・パクリで軍備を進めることはありませんでした。もちろん海軍も研究熱心。

明治40(1907)年には三菱長崎造船所に全長120メートルを超える艦型試験用の水槽の工事を開始、42年には運用開始しています。

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三菱長崎造船所の試験水槽

三菱長崎造船所の試験水槽

さらに同時期に「海軍艦型試験所条例」に基づき築地にもほぼ同じ規模の水槽が造られて、海軍艦型試験所が業務を開始しているのです。海軍艦型試験所はのちに海軍技術研究所に発展していきます。

徳川水槽(徳川武定子爵邸の庭に設置)

徳川武定子爵(造船中将)邸の庭に設置された「徳川水槽」

脱線しちゃいました。技術系の資料って意外に残ってないんですよね。私の場合は企業の社史を漁ることが多いんですが、これも裏が取れることはあんまりありません。

平賀水槽

平賀水槽 艦型試験所の水槽が関東大震災で使用不能になったために平賀譲が考案した小水槽 大和型の船型をテストしてるように見えるぞ(笑)

まあ、たぶんこの二つの試験水槽のどちらかでスプーン・バウが研究されていたのでしょう。このスプーン・バウは大正初期からの駆逐艦の大部分(磯風型・谷風型・楢型・樅型・若竹型・峯風型・神風型)と天竜型・球磨型の軽巡洋艦に採用されました。
10年以上も引きつづいて用いられたのはこの艦首型の優秀性を物語っている、と言っても間違いないでしょう。

1935時点の北上

球磨型軽巡「北上」
1935年撮影

この艦首は大変水切りが良く、フレア(上甲板の高さで舷側を外側に反らせて波浪を防ぐ)が少なくて済みます。それで上甲板の面積が小さくなり、その分重量が節約できてめでたしめでたし。

しかし、人間の考える程度の工夫には限界があります。スプーン・バウでも一定の範囲の風浪を受けると、フレアをしっかり採った艦に比べて波の飛沫をかぶりやすく、砲戦や操艦には不利だとする指摘が出てきたのです。

先頭陸奥、後続長門

先頭「陸奥」後続「長門」
砲側照準にはかなり障害になりそうな飛沫が上がってます。

画像を見ると、確かに艦首から海水の層が膜状に上甲板よりも上まで登っていますね。

これは向い風(ほとんどの気象条件下では向い風です)に叩かれると飛沫になり、甲板の上を砲塔から艦橋に向かって吹きつけることになります。

そうなると、砲塔自体が独立照準で射撃を行う(砲側照準)時には非常に邪魔になりますので「たかが波のしぶきだ」といって無視するわけにはいかないのであります。

「長門」「陸奥」でも当然のように問題視されました。「陸奥」の近代化改装時にこの対策として艦首の形を変更しています。

1926の改装後の陸奥

改装後の陸奥
1926撮影

しかしながら、この形状変更は予期の成果を発揮できず、続く「長門」の改装では艦首形状は変更されませんでした。

悩んだ技術陣は艦首の舷側上方にきつめのフレアを設け、甲板が少し舷側の上に張り出したような形にする事に致しました。これは伝統的な「波越え」の手法で、ある範囲の波浪状態なら波しぶきが上がってくるのを抑えることができるのです。

艦首フレアの説明画像

艦首フレアの説明画像
これは釣船のモノです。

この結果、船首部分の上甲板部分は幅広な形状となります。狭い上甲板が前提のスプーン・バウでは少々具合が悪くなってしまいました。

そこで編み出されたのが、側面から見るとアルファベットのSを縦に引き延ばしたような曲線の艦首でした。
この「帝国海軍型艦首の完成形」とでも言いたくなるのがダブルカーブド・バウと呼ばれる艦首なのであります。

艦首の形

艦首の形

ドイツと比較すると

この「ダブルカーブド・バウ」は大正12年計画の一等駆逐艦「睦月」型から採用されます。

1927如月

睦月型駆逐艦「如月」1927年撮影
ダブルカーブが良く判ります。

採用の結果は非常に良好で、増強される巡洋艦にも次々と採用されていきます。

宿毛湾で全力運転の妙高

宿毛湾で全力公試注の重巡「妙高」

この艦首型の採用によって、優美の極みの大日本帝国海軍の駆逐艦・巡洋艦のスタイルが確立されるのです。科学的な裏付けなんぞこれっぽっちもありませんが、私は「強い兵器はだれが見てもカッコ良いのだ」と確信しています。

それはそれとして、ちゃんとダブルカーブド・バウの優秀性を検証しておかねばなりません。

また画像をご覧頂きたいのです。昭和12(1937)年5月20日のジョージ6世戴冠記念観艦式に大英帝国へと派遣され、帰途ドイツのキール軍港に寄港した重巡「足柄」であります。

この訪問で「足柄」はイギリス海軍から「飢えた狼」の異名(決して誉め言葉ではありません)を頂戴し、メディアは「美しいとはとても言えないフネ」とか「我らは今日初めて軍艦を見た、今まで軍艦だと思っていたのはホテルだった」とか酷評しやがるのですが。

足柄、独逸装甲巡グラーフ・シュペーと並ぶ

重巡「足柄」と独逸ポケット戦艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」

画像は日本の重巡「足柄」とドイツのポケット戦艦「アドミラル・グラフ・シュペー」が仲良く隣同士に停泊しています。ポケット戦艦はドイツでは「装甲艦」と類別されていて、実質的には重巡(速度は遅い)です。

どうです?「足柄」のダブルカーブド・バウとフレアとシア(艦首に向かって甲板が上向きにカーブする)の組み合わさった美しさ。無骨なクリッパー・バウの「シュペー」も悪くはありませんが、私が乗り組むなら「足柄」一択です。

いや美しさだけではなくて、波を切って進むという基本機能において日独の艦艇は大きな差があったのです。

第三号駆潜艇

第三号駆潜艇(日本)

 

パトロール中のSボート

パトロール中のSボート(独逸)

一見で「造波抵抗」の差がお判りになりましょう。艦の規模は第三号駆潜艇の方が大きいのですが、軽快感がまるでちがいますね。

付録

大砲や高角砲や、装甲板や、照準システムやら推進機構なんかに比べると目立つことのない「艦首」の話、面白くもなかったでしょうね。申し訳ありません。
申し訳ないついでに、本文で書ききれなかった小ネタを二つ惜しみなく(笑)紹介させていただきます。

①ダブルカーブド・バウの形状について、私が敬愛する福井静雄大師匠が「連携機雷を乗り越えるため」とお書きなんですが、全く裏が取れません。

「連携機雷」とは浮遊機雷を二つロープで繋ぎ、海戦時に戦闘海面にばら撒こうとしていたモノで、ダブルカーブド・バウを採用すれば味方はこれを乗り切っても大丈夫!って言うんですがね。
福井先生、時々しょうも無い事をお書きになるからなあ。電脳大本営ではこのご意見は採用できませんね。ただ、福井先生は偉大です、敗戦時にめげずにお撮りになった写真だけでも勲章を差し上げたいですね。

②私が大好きなシャルンホルストですが、ご覧いただいた画像のように、完成時の艦首形状はほぼ垂直でした。ところが、公試の時に高速航行したら、艦首で砕けた波が前部主砲塔はおろか艦橋まで飛び散り、漏水(!)による障害が出てしまいました。
このため、すぐにドック入り(泣)。艦首を強く傾斜させた「アトランティック・バウ(大西洋艦首)」へと改修されました。以降、ドイツ艦は既存の艦も含めて「アトランティック・バウ」が取り付けられて行くのであります。

シャルンホルスト、アトランティック・バウに改変

アトランティック・バウに改変された「シャルンホルスト」

 

科学帝国ドイツも大したことありませんなぁ。帝国海軍の地道な研究を見習え(笑)。

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