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帝國海軍は護衛が大嫌いその2

2015/08/13

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戦史の大家、佐藤鉄太郎は潜水艦の脅威を予見したか

帝國海軍では、佐藤鉄太郎がヨーロッパの戦史を研究して「個々の船舶を護衛するんじゃなくて、海域を確保して通商路を保護するのだ」と考えた事は、「帝國海軍は護衛が大嫌い」の初めに紹介申し上げました。

上海に停泊する出雲イラスト

上海に停泊する出雲のイラスト

佐藤鉄太郎が現役中に、将来的には潜水艦が脅威になることは予見できた筈だ、と言うことも。

残念ながら、現実には佐藤はそこまでは読みませんでしたが、では実際の海軍の現場はどうだったのか?
大日本帝國海軍が日露の戦役時(対馬沖には間に合いませんでしたが)から潜水艦を意識していた事は良く知られていると思います。

フェイスブックでの議論はこちらで

初参加の小さな潜水艦が、海軍演習で

戦史叢書の「潜水艦史」から、日本の潜水艦の黎明期を見てみましょう。
潜水艇が徐々に海軍内で認知されて、演習に初めて混ぜて貰えたのは大正元年のことです。
第二潜水艇隊のC2型潜水艇3隻が赤軍に属して参加しました。

この時、青軍の司令長官を務めた出羽重遠中将のレポートが残っています。

「第三期の対抗中青軍主隊ハ三回潜水艇ノ襲撃ヲ受ケ 第一ハ大島ノ西方二テ給炭漂泊中 第二ハ野嶋崎ノ南西約十浬 第三ハ岡崎ノ南約十浬二テ 何レモ海上稍ヤ波高キ時ナリシ 而シテ三回トモ其ノ近接シ来ルヲ発見スル事能ハズ 河内、薩摩、出雲ノ三艦ハ一時廃艦トナレリ 尤モ其ノ魚雷発射ノ効率二至リテハ未定ナルモ兎二角前記ノ如キ範囲内二於イテ活動シ得ル程度二達シタル以上ハ 港湾防御ノ能力充分之アリト認ム」

 

波3型(C2型)

C2型潜水艦
後の「波3」潜水艦

青軍と言うのが我が軍、赤軍は共産主義者ではなくて仮想敵です。

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青軍は敵の擁する潜水艦に3回も襲撃され、ただの一回も接近を察知できず、しかも主力艦の「河内」「薩摩」と巡洋艦「出雲」を大破されています(「一時廃艦トナレリ」を沈没ではないと解釈)。
第一襲撃は給炭漂泊中とありますが、第二・第三の攻撃は状況への言及がありません。
位置は陸岸に近いですが、航行中と見るのが妥当でしょう。

潜水艦のC2型と言うのは、最初の米国ホーランド型に続いて英国のヴィッカース社から購入したC型の内、資材を輸入して国内で建造したもの。

この項は帝國海軍の護衛嫌いを考えていますので、潜水艦の詳細は省きますが、まだまだ幼稚な段階を出ていません。排水量300トン弱、魚雷も発射管に詰めきりの2本だけなのです。

大損害も発見できず

悔しさの余りなのか、出羽中将は「尤モ其ノ魚雷発射ノ効率二至リテハ未定ナルモ」などと言っています。
でも魚雷をたった2本積んだ、3隻の小さな潜水艦が1回づつ攻撃をして、戦艦2隻と巡洋艦1隻を戦列から消し去ったんですよ。こんなに効率の良い戦法があるでしょうか?

外洋とは言えない海域での事ではありますが、この結果をどういう神経で「港湾防御ノ能力充分之アリト認ム」なん言えるんでしょうか?

私は潜水艦を防衛的に使うことに特に反対ではありません。
能力的(特に速度・居住性の面で)には防御的に使った方が良かったと思っています。ですが、この出羽レポートの文面からどうやって「港湾防御ノ能力充分之アリ」なんでしょうか?

潜水艦の脅威を警告する人もいた

このレポートの欄外には付箋が添付されており、その内容は出羽レポートを否定しています。

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今ヤ世界ノ潜水艇ハ遥カニ之レ以上ノ程度二達シオレルニ付 主力艦隊ノ同艇二対スル防御法トシテ駆逐艦ヲ見張リニ用フル事必要ナリト思フ 同時二潜水艇ノ凌波実験ト戦闘発射ヲ進歩セシムルノ必要アリ

この付箋は「艦政本部 小栗中佐」の署名があります。

以上から、実戦部隊では潜水艇の脅威を実感したにも関わらず、
「敵を待ちうけて、停泊地を護るんなら使い物になるんちゃうの?」
「もうちょっと攻撃の効率を上げなきゃね。」

と言っているのに対して造艦側
「敵はもっと凄いのを持ってるぜ?駆逐艦に見張りさせるのが良いと思うよ」
「潜水艇には、外洋でも自由に攻撃できるようにしてやらなきゃね」
と反論していることが判ります。

さて、皆さんはどちらの言い分の肩をお持ちになりますか?

先に書きましたように、潜水艇が初めて海軍の大演習に参加したのは大正元(1912)年のことで、第一次世界大戦でUボートが暴れまわる前です。
しかしながら、日露の海戦は終わっていて機雷、水雷(潜水艦発射ではありません)の威力はすでに充分に認識出来ている段階でもあります。

潜水艦の探知手段

潜水艦の近接発見は海面に覗く潜望鏡を見つけるのが頼りですが、コレに大きく貢献するレーダーの開発は遅れました。
駆逐艦に対水上レーダが装備されはじめたのは昭和18(1943)年。
しかも潜望鏡みたいな小さなものを探知できるほど高性能ではありませんでした。

同じく有力な潜水艦探知装置であったソナーについて見てみましょう。
その必要性が強く認識されるようになったきっかけは、軍事ではなく豪華客船タイタニック号の遭難事故でした。皮肉なことに、この事故は大正元(1912)年のこと。

音が海水中を高速で伝わって、それを遠方で探知出来ることはもっと早くから知られていました。
第一次大戦が始まり(1914)、Uボートが活躍し始めてから、英国や仏国でソナーの開発がスピードアップし、独逸の無制限潜水艦戦開始(1917、2月)に間に合わせるようにアクティブ・ソナーを駆逐艦などに搭載し始めています。

我が国でも、潜水艦を探知する手段が輸入され、これを改良して九三式水中探信儀(アクティブソナー)と九三式水中聴音機(パッシブソナー)が開発されます。

公試中の朝潮

公試中の朝潮

しかしその装備は遅く、昭和8(1933)年の朝潮型から。性能は決して低くは無かったのですが、その後10年以上改良もせずに放置して旧式化してしまいます。
被探知回避能力が格段に向上(要は静かに潜れる)した第二次大戦型の潜水艦には通用しにくかったようです。

速度を上げちゃダメ!

その上、当時のソナーは速力を上げる(おおむね14ノット)と敵潜を探知出来ないのですが、我が駆逐艦は高速を利して索敵・哨戒・先制攻撃と動き回るのが使命。
ほとんどの艦長が探知に気を使わずに戦場を駆け回ってしまったようです。

それも仕方のないことなのです、駆逐艦の乗組員はだれも「対潜訓練」などほとんど受けてないんですから。

 すべての原因は日本海軍上層部が潜水艦を軽視し、艦隊決戦に異常に偏った装備や訓練を行ったためではないでしょうか?

しかも、これらは全て敵の艦隊を叩く為の主力艦をどう護るかのお話。
戦力維持に直結する輸送船を護る必要なんて、露ほども考えなかった帝國海軍の首脳部でありました。

連合軍にも無かった新発想

そんな中で海軍航空技術廠の発明は私たちの気分を少しだけスカッとさせてくれます。
KMXと呼ばれる、航空機から潜水艦を探せる「磁気探知装置」を昭和18(1943)年に制式化、翌年4月に実戦配備したのです。
潜水艦は言わば鉄の塊ですから、存在すれば地磁気に影響が出ます。それを上空から探知するわけです。

東海

対潜哨戒機
東海

KMXを積んだ対潜哨戒機「東海」を装備した館山基地の第九〇一海軍航空隊では、3機編隊で捜索・掃討を行う戦法を考案し、短期間で15隻探知・6隻撃破(未確定)の戦果をあげています。

しかし、残念なことに既に太平洋上の制空権を喪失していく時期にあたり、低速が宿命の対潜哨戒機が活躍できる場所は多くはありませんでした。

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-帝國海軍, 政策・戦略・戦術, 潜水艦, 駆逐艦激闘譜
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