イ19

巡潜乙型の奮闘

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敗戦の日をまえに、フェイスブックのグループ「軍事・軍隊・武器・兵器・戦術・戦略等軍事関連の研究」では大東亜戦争の緒戦からの議論が続いています。

東は守らなくて良かったのか?

大日本帝国海軍の対米戦略(戦略というよりは戦術論ですが)は、フィリピン救援にやってくるアメリカ艦隊を待ち受け、撃砕しようというモノでした。
軍艦の燃料が石炭から石油に変化して航続距離も伸び、洋上補給も容易になるとハワイから我が本土を直撃する来寇ルートも考えられますが、こちらは真面目に検討した形跡がありません。

B-25_(Doolittle_Raid)を発進させるホーネット

B-25(ドーリットル機)を発進させるホーネット

 

実際にはドーリットル空襲という形で東からの脅威に直面することになるのですが、これに対抗し得たのは徴用した漁船だけでした(「黒潮部隊は太平洋に消えた」)。
電脳大本営の立場は「大東亜戦争は資源確保の後は守備的に戦うべきだった」ですが、それはちょっとだけ置いときまして。
太平洋を挟んで、真っ向からアメリカと対戦する方策は無かったんでしょうか。東へ向かって、攻勢防御策は成り立たなかったんでしょうか?

これに最も近い作戦を敢行した史実は潜水艦に求めることができます。アメリカ西海岸での通商破壊と本土への攻撃であります。それを実現したのは、大型潜水艦建造と運用の卓越した帝国海軍の技術力があったればこそ。また、鍛え上げられたサブマリナーの技量と克己心も見落とすことができません。

実戦では艦隊決戦に拘ったために、損害の大きさの割に戦果が乏しく、あまり評価の高くない我が潜水艦。使い方さえ誤らなければ…というお話になる予定であります。

巡潜乙型

第一次大戦で活躍したドイツの潜水艦は、戦勝各国が競ってその技術を取り入れました。その各国で運用法や海域の特性によって特徴的な潜水艦へと進化していくのです。

広大な太平洋を主戦場とし、味方と衝突する前の敵艦隊を襲撃することを任務とした大日本帝国の潜水艦は、必然的に大型化して行ったのでありました。
大型化と同時に我が潜水艦が求められたのは索敵能力で、この要求から、水上偵察機の運用能力が付与されるようになって行きます。

竣工直後の伊5

竣工直後の伊5 搭載機は艦の後方へ射出

 

初めて水偵を搭載した潜水艦は昭和7年竣工の「伊5」で、「巡潜1型改」という艦級(所属は一隻だけ)です(「巡潜1型」は伊1~伊4)。
続いて速力(水上)を向上させた「巡潜2型」、遣独潜水艦として有名な伊8の「巡潜3型」と来て、一応の完成形巡潜(巡洋潜水艦)として「巡潜甲型」「巡潜乙型」が建造されるに至ります。

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伊-8潜

伊8

甲型は司令部施設のためにやや大きく、乙型は20隻も建造されて大東亜戦争で最も活躍した大日本帝国海軍の潜水艦となったのでありました。

基準排水量:2,198トン・水中:3,654トン、乗員94名、14cm40口径単装砲1門、25mm機銃連装1基、53cm魚雷発射管6門、九五式魚雷17本、零式小型水上偵察機1機、呉式1号4型射出機1基、航続距離14,000カイリ(海上16kt、水中では3kt・96カイリ)

伊10

伊10 巡潜甲型

注目すべきは長大な航続力でしょうね。もともと連合艦隊に随伴して(って言うか前に出て)、敵の主力を漸減するための能力ですが、長途米大陸西岸へ進出するためにも有用でありました。

真珠湾の後

真珠湾攻撃にあたり、大日本帝国海軍は巡潜甲型潜水艦伊9・伊10、乙型の伊15・伊17・伊19・伊21・伊23・伊25・伊26の9隻(10隻説あり)で港湾の出入りを監視していました。

この潜水艦隊は、攻撃成功後も帰還せずに太平洋を東進。カナダ・メキシコ・アメリカの西海岸に広く展開し、連合国に対する通商破壊戦を展開したのであります。

映画1941のポスター

映画1941のポスター 米本土砲撃がテーマだった気がする

 

西海岸沿岸を航行中のアメリカの油槽船や貨物船を5隻撃沈、5隻大破、撃沈トン数は6万4669トンに上ります。
商船に対する攻撃にとどまらず、「伊17」「伊25」「伊26」の各艦はアメリカ本土に対して艦砲射撃も行っています。
さらにさらに、「伊25」は搭載した零式小型水偵を使って2度までもアメリカ本土を空爆しているのです。
空爆については「撃墜王と呼ばれなかったヒーロー」で詳しく書いております。

射出を待つ零式小型水偵

潜水艦からの射出を待つ零式小型水偵

この空爆はミッドウェー海戦とほぼ同時期の事で、帝国海軍には余裕がなくなり、ついにこれ以上のアメリカ西海岸での活動は中止されてしまったのです。

ただ、この一連の襲撃では我が潜水艦には全く被害が出ておらず(砲撃のために甲板に出た水兵さんがコケて負傷した例はあります)、アメリカ軍の通商路保護が如何にいい加減なモノであったかが判ると思います。

移動台上の零式小型水偵

移動台上の零式小型水偵

もし帝国海軍が、継続的に潜水艦を派遣して通商破壊を行えば?
当然アメリカ海軍も対策を打ってくるでしょうが、それは我が本土への脅威低減を意味しますし、大西洋へ回す護衛艦艇が減少することもあったかもしれません。

しかし、大日本帝国海軍は止めちゃったのでありました。

戦果

巡潜甲型と乙型は、あわせて22隻が建造されて太平洋からインド洋、そして遣独潜水艦として大西洋にまで活躍の場を広げました。

その用法は哨戒活動を兼ねてなるべく敵の主力艦を狙う、という今となって見ればいささか疑問符の付く作戦が主でした。
あげく、輸送船代わりに使われたりと、帝国海軍の現実離れした決戦主義と押されまくる戦況のギャップを埋めるのに便利使いされてしまったのです。

伊号第二九潜水艦乗員とスバス・チャンドラ・ボース

伊号第二九潜水艦乗員とチャンドラ・ボース

それでも、巡潜甲型と乙型は性能優秀でありました。とかく評価が低い大日本帝国潜水艦にあって、伊10潜(巡潜甲型)が撃沈総数14隻・トン数81,553トンのスコアで帝国海軍潜水艦の中でともに第1位。
伊27が13隻を屠って撃沈隻数第2位、伊26が10隻で第3位、伊21が9隻を沈めて第4位甲・乙型の独占状態です。

撃沈トン数でも順位は変わりません。伊27が第2位の72,449トン、伊26が56,226トンで第3位、伊21が第4位で53,538トン、さらに伊37が47,942トンと第5位に食い込んでいます。

伊10

撃沈隻数・トン数とも我が海軍トップの伊10

 

巡潜乙型だけ(改1・改2を含む)だけで、我が潜水艦の撃沈トン数の42%を占める、なんて数字もあります。
遣独潜水艦としても重用され、「回天」の母艦としても使われたのですが、ほとんどの艦が昭和19年中に撃沈され敗戦時には「伊36」ただ1隻しか残存しませんでした。

個艦の活躍をざっと見てみましょう。もっとも名高い「伊19」から参りましょうか。

一撃で空母撃沈・戦艦大破

巡潜乙型の3番艦「伊19」は昭和16年4月28日の竣工、初代潜水艦長は楢原省吾中佐で、横須賀鎮守府籍に配され第六艦隊第1潜水戦隊第2潜水隊に編入されました。

真珠湾攻撃にあたっては僚艦とともに湾口監視に当たり、被弾した味方機の誘導等を行っています。
12月14日からアメリカ西海岸沿岸における通商破壊作戦に参加。
その後アリューシャン方面でも活躍し、艦長が木梨鷹一少佐に交代。

木梨鷹一

木梨鷹一

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昭和17年9月15日0950、伊19はガダルカナル島の南東250カイリの地点で、大型艦多数の推進器音を感知します。
潜望鏡深度に浮上してみたものの船影を見ず。1050、再度潜望鏡を上げたところ、空母1・重巡1・駆逐艦多数のアメリカ艦隊を発見。

艦隊は之字運動(ジグザグ航行)をしていましたが、木梨艦長は西北西に向かっていると判断し追尾を続けました。速力は16ノットで、水中8ノットしか出ない伊19は攻撃チャンスを掴めない時間が過ぎて行きます。

ワスプ

空母「ワスプ」

1120、敵艦隊は南南東に進路を変え、空母「ワスプ」が艦載機を発進させるために風上に驀進し始めたことで、伊19に接近してきました。1145、伊19は900mの距離で魚雷を斉射(6本)。そのうち3本が「ワスプ」に命中。
「ワスプ」は航空機用のガソリンに引火して爆発炎上、行動不能となり、随伴していた駆逐艦「ランズダウン」の魚雷で処分されることになります。

「ワスプ」に命中しなかった魚雷は10km先を航行していた別の機動部隊まで到達しました。空母「ホーネット」と戦艦「ノースカロライナ」を中心とした艦隊でした。
この「ホーネット」艦隊は「ワスプ」艦隊から「魚雷が向かっている」と警告を受け、警戒・回避運動に入りましたが、1本の魚雷が戦艦「ノースカロライナ」の1番砲塔左舷に命中。護衛していた駆逐艦「マスティン」の艦底下を通過して迫ってきたために回避が遅れたようです。

オブライエンに魚雷命中の瞬間、遠方で燃えるのはワスプ

「オブライエン」に魚雷命中の瞬間、遠方で燃えるのは「ワスプ」

さらに駆逐艦「オブライエン」の左舷艦首にも命中。「オブライエン」は大損害を受け、回復することなく10月19日に至って沈没。「ノースカロライナ」の損害も甚大で、復帰まで3ヶ月以上を要する事になりました。伊19は爆雷30発以上で攻撃されましたが、被害無く切り抜けています。

魚雷の一撃で正規空母を屠り、駆逐艦を叩きのめし、オマケに戦艦を全治3か月。木梨鷹一少佐は一躍ヒーローとなり、天皇陛下の拝謁を賜ることになるのであります。

伊27の最後

「伊27」は巡潜乙型の8番艦で、昭和17年2月24日に竣工。真珠湾には間に合わなかったのですが、シドニー港攻撃には参加(昭和17年5月31日)し、中馬兼四大尉と大森猛一等兵曹の甲標的をシドニーに放っています。中馬艇は港内への侵入は成功しましたが、防潜網に絡まって攻撃は失敗。

甲標的

甲標的 艦首の魚雷発射管のガードの形状が違うような気がするけど…

 

その後「伊27」は南太平洋からインド洋を暴れまわり、13隻・72,449トンの敵艦船を海底送りにするのであります。そして昭和19年2月4日、朝日新聞の従軍記者を乗艦させてアデン湾へ向かうべくペナンを出港いたします。

2月12日1430、輸送船5・護衛艦3の連合国船団に接近を試みた「伊27」は、イギリス貨客船「ヴァルシャヴァ(Varsova)」に潜望鏡を発見されてしまいました。「ヴァルシャヴァ」から急報を受けた護衛艦は砲撃を開始、自衛用の小さな大砲を積んだ輸送船も発砲。

巡潜乙型

巡潜乙型

「伊27」は一旦潜航して砲撃をやり過ごすと反撃に転じたようです。そして襲撃の機会を狙い、この船団の指揮船の英貨物船「カディーブ・イスマイル」(7,513トン)の右舷機関室に魚雷を命中させました。

「カディーブ・イスマイル」には船団司令官ばかりでなく、第301東アフリカ野砲兵連隊主力や第303アフリカ歩兵連隊の士官と従軍看護婦などの女性83名などが乗船していました。
「カディーブ・イスマイル」は右舷に傾斜し後部マストが倒壊、マストに押しつぶされて上部構造物も陥没。さらに右舷煙突直下に第2弾が命中して「カディーブ・イスマイル」は転覆しつつ、船首を棒立ちにさせて船尾から沈没。
イギリス重巡「ホーキンス」にも魚雷が接近しましたが、これは回避されてしまいます。

重巡ホーキンス

重巡「ホーキンス」

 

イギリス護衛艦群は必至で海面を捜索し、およそ5分後に駆逐艦「パラディン」が潜水艦を探知。「伊27」は大胆にも「ホーキンス」の艦尾近くに潜んでいました。
「ホーキンス」に損害を与える危険もありましたが、流石は見敵必戦のロイヤルネイビー、委細構わず其処に爆雷10発を投下。
「ヴァルシャヴァ」が潜望鏡を発見した海域でも爆雷を投下。

1500、駆逐艦「ペタード」が「伊27」と思われる潜水艦をソナー探知して爆雷7発を投下すると、潜水艦が浮上する音がソナーに捕らえられました。

「ペタード」は1502に9発、1505に7発、1513に9発と続けざまに爆雷を投下。この一連の爆雷攻撃に、流石の巡潜乙型も傷ついたのでしょうか。

1620、「パラディン」と「ペタード」の右舷後方2800メートルに潜水艦が浮上し、駆逐艦2隻は砲撃を開始。潜水艦はわずかに4ノットの速度で移動、「パラディン」も潜水艦に向かって移動します。

1621、「パラディン」は潜水艦から550メートルに接近し潜水艦の意外な大きさに驚きました。潜水艦は接近を続けており、回避しようとしたのですが、潜水艦に衝突を許してしまいます。

P級駆逐艦

P級駆逐艦 「ペタード」「パラディン」同級

 

この「伊27」の特攻で「パラディン」は沈み始めます。しかし、流石に大英帝国の駆逐艦。沈みつつも戦意は旺盛で、至近距離に爆雷2発を投射。そのうち1発が「伊27」の艦首の下で爆発。

おそらくはこの爆発が「伊27」の潜航能力を奪ったのではないでしょうか?潜水艦の乗員5名が艦内から飛び出すと主砲に向かって走りました。「パラディン」ではこれを認めて機銃掃射を行い、1人は海面に転落、残り4人も甲板上に倒れたことを確認しています。

「伊27」は、艦尾が沈降した姿勢になりながらも10ノット近くまで増速。接近戦になって有効な攻撃手段が無い「ペタード」は乗員を潜水艦に乗り移らせ、手榴弾で潜水艦の司令塔を吹き飛ばそうとまで考えるのですが、あまりにも危険でした。
1700、「ペタード」はようやく「伊27」との距離を取る事に成功し、魚雷を1本発射します。しかし外れ。「伊27」も沈没に瀕しつつ、必死の機動で続けて5本まで魚雷を回避し続けます。

1723、「ペタード」の放った7本目の魚雷がついに「伊27」潜水艦を捉えました。
「伊27」は艦橋直下から2つに折れて沈没したようです。護送船団の各船は重油と甲板の破片を確認しています。
「伊27」が最後の力を振り絞って体当たりした「パラディン」は「ペタード」の援助で沈没を何とか免れ、「ペタード」に曳航されて戦場を去りました。

福村利明

福村利明
通商破壊戦「だけ」で戦死後2階級特進したのはこの人だけ。
何だかなあ。

「伊27」潜水艦長・福村利明中佐は二階級特進で海軍少将に列せられ、従軍記者1名、乗員98名の全員が戦死。沈没地点はワン・アンド・ハーフ・ディグリー海峡南西60浬地点付近、北緯01度25分 東経72度22分

潜水艦の任務とは

大日本帝国海軍の潜水艦に期待されたモノは、良く知られるように「敵の主力艦を沈めること」でした。優勢なる敵艦隊の勢力を漸減させ、味方主力艦隊の決戦を少しでもラクにさせるために。

しかしながら、それは不可能だ、という演習結果が出ていたのです。詳しくは「大東亜戦争必勝法~潜水艦の戦い方~」で書いていますが、当時の潜水艦の水中速力だけを見ても判る事なんです。

魚雷の攻撃力というモノは半端ない大きさでしたから、見つかりさえしなければ、潜水艦にはいろんな可能性が有ったでしょう。
しかし、それも見つからなければ、であります。見つかってしまえば、潜水艦ほど弱っちい軍艦もまた無いのです。

まあ、やっぱり東進は戦略的に成り立たない。戦略のミスは戦術で取り戻すことは至難、って言うことになってしまいましょうか。

なお、「伊27」の最後とは真逆の「帝国海軍駆逐艦VSアメリカ潜水艦」の死闘も記事にしてますので、ご一読いただけると幸いです。

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