ドレッドノート

パドルからプロペラへ

2018/06/29

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1945年、クフ王のピラミッドから巨大な「フネ」が発見されました。全長43メートルもの船で「太陽の船」と呼ばれる事になりました。今から4500年以上前に建造された、世界最古の大型木造船であります。

フネの歴史は長いけど

「太陽の船」以前にも当然船はありまして、フネには6000年以上の歴史がある、とされているワケでありますが、「動力船」の歴史となるとたった数百年しかありません。

太陽の船

太陽の船

 

1786年のことでありました。新大陸の国アメリカで、船体の両側や船尾に「水かきのある車輪」を取りつけ、これを蒸気の力でブン廻して走る船が誕生いたしました。
フネの外側に車輪みたいなのをくっ付けてますので「外輪船」と呼ばれています。船を動かすのに初めて蒸気を利用したのは、アメリカの発明家ジョン・フィッチでありました。
フィッチの外輪船は実際にデラウエア川で船客用に使用され、運航は順調だったのですが、特許取得などを問題視されて事業はわずか数ヵ月で失敗。

余談ですが、ジョン・フィッチさんは発明の才能は有っても、営業とか経営とか宣伝の才能は無かったようで、蒸気機関車(の模型)も発明してるんですけど、何処かへ忘れられちゃうんです。
アメリカは後になってもフィッチさんの発明を思いださず、イギリスから蒸気機関車を大枚はたいて輸入しています。

それから20年。発明家のロバート・フルトンさんがハドソン川で「クラーモント」という外輪船を走らせます。これが「蒸気船」が実用乗り物になった最初の例だろうと思われるのであります。

ジョン・フィッチの蒸気船

ジョン・フィッチの蒸気船

 

私たちは「サスケハナ」(ペリー艦隊の旗艦でっせ/ペリー艦隊の蒸気船は4隻中2隻だけだってのも意外にご存じない人が多かったりしてね)のイメージから、この時期の「蒸気船」って「パドル推進船」だと思いこんじまいますよね。

「パドル推進」が、あんまり一般的じゃないですけど、パドルっていうのは、カヌーを漕ぐ櫂です。あれをデッカイ水車にいっぱい取付けて、グルグルグルグル回して海を渡るから「パドル推進」です。別に「外輪推進」でも構いません(笑)。

サスケハナ

サスケハナ

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でもね、ほぼ同時期に全く別の原理による動力推進が試されていました。それが「スクリュー・プロペラ」なんです。

スクリューのアイデアはアルキメデスにさかのぼると言われる程に古いモノですが、現実の動力推進の手段として使われるのは(確実なところで)19世紀になってから。「パドル推進」と大して変わらんでしょ?

スクリュー・プロペラでフネを動力推進しよう!ってアイデアをはじめて具体化したのは、1802年のアメリカ人の発明家ジョン・スチブンスさんだと思われます。
スチブンスさんは蒸気でプロペラを駆動する船を作り、時速6.4キロのスピードを達成したんですが、当時のアメリカは忘れちゃうんですよね(笑)

イギリスではフランシス・ペティ・スミスさんが1836年に「スクリュー・プロペラ」の特許を取得。後で出てきますが「ラトラー号」のスクリュー・プロペラを設計することになりますんで、スミスさんの事は覚えておいてください。

ジョン・エリクソンって言う人(スウェーデン人)はスミスさんの6週間後にコチラも特許取得。

ジョン・エリクソン

ジョン・エリクソン

1837年に船長14メートルの「フランシス・B・オグデン」号を建造、テムズ川で100トンの「石炭はしけ」4隻を5ノットの高速力?で曳いて見せたのであります。もちろん、世界最大最強のイギリス海軍にアピールして売り込むためです。

しかし、英海軍は「水面下に推進軸を通す穴が開いてる!」とか小学生みたいな拒否反応を示します。呆れ果てたエリクソンさんは新大陸へと渡り、アメリカ海軍の造船に協力するようになってしまいます。

理解されない?

こうして1830年代の後半、スミスさんとエリクソンさんは「プロペラ推進船」を創作して、イギリスでそこそこの名声を獲得していました。「プロペラ推進船」が造船界に与えた影響はまあまあ大きなモノでした。

たとえば世界初の全鋼船「グレート・ブリテン」号(1843年)は、パドルからプロペラに設計変更されています。
この「グレート・ブリテン号」のプロペラは6翼で直径が4.7メートルだったそうで、コレを水面下でぶん回してリバプール~ニューヨーク間を14日と21時間で航海してデビュー航海を飾ったのでありました。

グレート・ブリテン号

グレート・ブリテン号
現在は博物館になっています

こうした成功はあったものの、軍艦にはなかなかプロペラが採用されませんでした。
パドル推進方式には、大海原を進むモノとしてはけっこう大きな欠陥が幾つも有ったにもかかわらず、であります。その欠陥を挙げてみます。

(1)喫水が変わるとパドルの推進力も影響を受けちゃう
(2)船が横揺れを起こすとパドルが露出しちゃって船が蛇行する
(3)荒天でパドルが破損する危険性が大いにある
(4)大型化しようとすると、むっちゃんこ重くなる
(5)パドルを付けてる分、船の幅が大きくなっちまう

ってな所でしょうか。当時の軍艦に限ると、更に致命的な欠陥があるのであります。
すなわち当時の軍艦の武装は「舷側砲」がメインでありますから、武装の設置位置が大きく制約されてしまうんであります。

こんなにハンデを持ちながらも隆盛を極める「パドル推進船」に対して「スクリュー・プロペラ推進船」への理解は全く広がりを見せません。
そうした状況を打開すべく、ある実験が行われたのでありました。

その実験とは、1845年にイギリス海軍省が主催した「パドル推進船とスクリュー・プロペラ推進船の競争」であります。

この公開実験はプロペラ式の蒸気船「ラトラー(867トン)」とパドル式の蒸気軍艦「アレクト(800トン)」を用いて、風向きや帆走併用などいろいろと条件を変えて競走させたモノです。
いずれも「ラトラー」が勝利を収め、最後に両船の後部をワイヤで繋いで綱引きを行なわせた結果、ラトラーが2.8ノットでアレクトを引きずる事に成功したのでありました。

ラトラーとアレクト

「ラトラー」と「アレクト」

 

この綱引き競争でのプロペラの圧勝を受けて、イギリス海軍省は率先してプロペラを採用するようになって行きます。もう、この後に及んで「水面下に穴が開いてるからヤダ」とか言うヤカラはいなかったんでしょうね。

この動きは急速に商船にも波及していき、パドル推進は衰退の一途をたどるのです。

プロペラも問題点が

こうして「フネの推進にはスクリュー・プロペラが一番だぜ!」という認識が広まったのでしたが、動力の方は「蒸気レシプロ機関」のまま。

せっかく高温高圧の蒸気力を作っても、その取り出し方は今一つ非効率だったのです。
推進機の分野でプロペラという革新が起これば、関連する他でも同様の効率化は起こるモノでして、蒸気動力の分野ではチャールズ・アルジャーノン・パーソンズさんが「タービン」を発明していたのです。

パーソンズさんの後の事業展開をみると「タービン」は船舶専用に開発されたんじゃ無いようです(パーソンズ社は世界中にタービン発電機を売り込み、現在はジーメンス社に吸収)。しかし取りあえずは「タービン」の優秀性をアピールするのに、パーソンズさんが選んだのがフネだったのです。

パーソンズさんが造り上げた宣伝用のフネこそがその名も高き「タービニア」号です。私はこの安易で大雑把なネーミングこそ、ジョンブルたちが英国面へ堕ちていく端緒だと思ってるんですけどね(笑)。

ともあれ「タービニア」は1894年8月2日に進水。当時としては画期的な30ノットの高速を発揮する計画で、そのためにプロペラを毎分1800回転させなければいけませんでした
しかし試験航海での「タービニア」は満足できる性能を示せません。最高速は
20ノットにも達しなかったのです。この原因はスクリュー部に発生した大量の蒸気泡であろうと推測されました。

すなわち、高速回転するスクリュー・プロペラ廻りで「キャビテーション現象」が生じていたのです。
「キャビテーション」とは、プロペラの回転速度がある限度を超えると、翼の背面の圧力が低くなり、水蒸気や空気のたまった空洞部が発生する現象を言います。

これまでの大型船(プロペラ駆動の、ですよ)でもキャビテーションは発生していましたが、回転数がそれほどでも無く、狙った性能も20ノット程でしたから大きな障害にはなっていなかったのです。

パーソンズさんは性能が出ない原因をキャビテーション現象であると正確にとらえました。ただ、ここでパーソンズさんが偉かったのは、回流水槽、すなわち「キャビテーション・トンネル」をわざわざ作って実験してみたことでした。

 

キャビテーション

キャビテーション


パーソンズさんのお作りになった「キャビテーション・トンネル」は現在もそのまま保管されているそうで、実際に動かすこともできるんだそうです。机に乗るほどの小型の装置ですが、キャビテーション観察の基本となる機能がちゃんと組込まれているとの事、流石に大英帝国ですね。

キャビテーション・トンネルを使った実験の結果をもとに対策を練ったパーソンズさんは、1本だったプロペラ軸を3本にし、プロペラの回転数も低く抑えました。
実験と改修に3年を要しましたが、タービニア号はついに1897年、新装なったのであります。

タービニアのプロペラ

改修後のタービニアのプロペラ廻り

改修された「タービニア」は34.5ノット(時速64キロほど)もの驚異的なスピードを発揮します。パーソンズさんはこの超性能を華々しくアピールする場として、トンでも無い事を思い付くんであります。

観艦式で

1897年6月26日、英国スピットヘッド(ポーツマス軍港の外港)で「ヴィクトリア女王即位60周年記念観艦式」がとり行われました。

観艦式は軍事パレードの一種でありますから、国の威信が掛かったモノ。それも国王陛下の即位60周年ともなれば規模も大きく、同盟国をはじめとして世界中の海軍から有力な艦艇が参加します。

このときの観艦式には、大日本帝国から戦艦「富士」が参加しています。

富士 M30 英スピットヘッド

戦艦「富士」
英スピットヘッドにて

 

パーソンズさんはこの格式の高い観艦式で「タービニア」をデビューさせようと考えたのでした。もちろん、海軍や政府の許可などは出る筈がありません。
パーソンズさんがやらかしたのは「殴り込み」であります。参加許可ナシのまま、観艦式海面に「タービニア」を侵入させたのであります。

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スピットヘッドの海面には我が戦艦「富士」をはじめ、世界中の巨艦が2列に並んで威容を誇示しておりました。小さな「タービニア」はその巨艦たちの間を縫うように走り回ります。

疾走するタービニア

疾走するタービニア

 

皇太子殿下をはじめ、観閲艦座乗の賓客たちに見せつけるかのように加減速を繰り返し、阻止しようと躍起になるイギリス海軍の警戒艇を翻弄して見せたのであります。

このデモンストレーションは大成功を収めます。世界中の海軍関係者も見ていますから、頑固な(?)英国海軍も[タービン駆動」を採用せざるを得なかった、とも言えますけどね。

パーソンズさんは「タービニア・ワークス」なる会社を設立、2隻の蒸気タービン推進の駆逐艦を受注するのであります。「HMSヴァイパー」と「HMSコブラ」であります。

初のタービン駆動艦ヴァイパー

初のタービン駆動艦「ヴァイパー」

「タービン」とキャビテーションの障害を克服した「スクリュープロペラ」駆動の組み合わせは、この後の軍艦の主流となって行きます。

戦艦界の画期となる「タービン駆動・単一巨砲・超快速戦艦・ドレッドノート」が誕生するのに、このときから10年も掛からなかったのでありました。

スクリュープロペラの構造と形状

スクリュープロペラの基本形状は、複雑に変形した翼を1本の軸に強固に取付けなくてはならないという製造上の要求がありました。これは19世紀ではかなり困難な問題だったんです。

しかしこうした問題は技術の進歩とともに次第に解決されるモノでして、次第にシンプルで無駄のない外観を備えるようになり、私たちが普通に考える「スクリュープロペラ」の形態に進化してくるのです。

プロペラ形状の変遷

プロペラ形状の変遷

イラストをご覧いただくと、プロペラが誕生して100年ほどの間に形状がいかに変化してきたかお判り頂けると存じます。

初期のプロペラにはリングが付いてますが、これは強度のための支柱と考えてよいでしょう。
1860年のイラストだと翼を軸に接合する支えのようなものが見えています。1880年になるとこんな余分なモノは無くなり、現在と遜色のない形状になっていきます。

このようにプロペラは、すでに1800年代の後半には、現在のものとほとんど同じ外観を備えていたのであります。

さらに高性能へ

1900年代の初頭は「理論と実験」を通じてプロペラの性質が理解され、プロペラの基本的な形態はそのままでもより効率の高い「最適設計」への関心が高まりました。

与えられた条件のなかで最適な直径はどれ位か?そのときの翼数は何枚かといった関心です。
軸に沿ってプロペラを二段以上に配置した「タンデム・プロペラ」などの「発明」もこの時期で、「タービニア」もタンデム・プロペラを採用していますね。

そうした流れのなかで、特殊なプロペラのアイデアが生まれたように思われます。

コルトノズル

コルトノズル

ひとつ目は「二重反転プロペラ」で、二つ目が、プロペラをノズルで囲んだ「コルト・ノズル」です。

二重反転プロペラは同芯の二重軸を互いに反対方向に回転させ、それで駆動されるプロペラです。
通常のプロペラですとプロペラ面を通過した水流は、ネジレを受けたまま後方に排出されます。これがフネの推進力になるワケですが、捩れてる分エネルギーの損失があります。
これを二重反転構造にしてやれば、捩れが打ち消されてエネルギーの損失が少なくなって効率が良くなるって言うグッド・アイデアですね(グッドって久しぶりに使ったような気がするぞ)。

このアイデアは1909年が初出(だと思います)で1922年までには模型を使った実験で優秀さが証明されていますが、なにせ機構が複雑すぎて一般的にはなっていません。

2重反転プロペラ

2重反転プロペラ

今に至るまで実用の域には達しないのですが、唯一「魚雷」ではさかんに利用されてきました。
「魚雷」は正確かつ高速力で直進する必要がありましたからね、最近まで。

一方のコルト・ノズルって言うのは1934年にコルトさんが発明したんだそうです。
船体に固定されたノズルのなかでプロペラが回転します。ノズルはプロペラ翼と同様に「翼型」をしています。プロペラが回転してノズル廻りに水流が生じると、プロペラだけじゃなくてノズルからも「揚力」を得ることが出来るので、装置全体としての効率が上るって寸法です。

航空機で言うダクテッド・ファンみたいなモンかいな?フネならウォーター・ジェット推進との関係も知りたいところじゃが、どなたかご存じの方は居られませぬかいな?

コルト・ノズル

コルト・ノズルの揚力発生概念

ともあれ、コルト・ノズルの方は民間レベルで実用性を獲得しています。重量物を引っ張る曳船やトロール船には多く使われていました。
現在でも作業船などを中心に一部の船で使用されているそうです。

設計はめんどう臭いんじゃ!

プロペラはフネだけじゃなくて、発達の著しい航空機の分野でも重要なパーツでありましたから、盛んに研究されて実践からどんどん理論化されて行きました。
こうした理論の発達で大東亜戦争以前から「揚力線理論」などの方法を用いてプロペラを設計するようになっていました。
1920年頃から研究がはじまった「揚力面理論」は、揚力線理論の限界を超え、船舶用プロペラの計算精度を高める重要な研究とされました。しかしこの理論では莫大な量の計算が必要となり、計算機が未発達だった1900年代の半ばまではとても実用になるものではなかったのです。

日本では第二次世界大戦頃、航空の分野での守屋富次郎のプロペラ理論が完成していたのですが、実際に計算するには図式積分に頼るしか手立てがなかったそうです。儂、図式積分って何のことか判らんけど(笑)

一方で、船は普遍的な乗物ですからそのプロペラの数も膨大なモノとなります。卓上計算機もパソコンもスパコンも無い時代。手計算で微分や積分を繰返しながらプロペラを設計するという手法はとても現実的とは言えません。

そういう時にはアンチョコを使うのが技術屋さんの常套手段でありまして、それがこの場合は「プロペラ設計図表」です。

プロペラ設計図表っていうのは、翼数・ピッチ(翼のひねり)・翼面積を系統的に変化させた模型プロペラをたくさん用意しておき、それでテストを繰り返した結果を性能曲線として表したモノです。

プロペラ設計図表の例

プロペラ設計図表の例

この設計図表があれば、与えられた条件は図表のどの辺りにあるかを見つけて最適のプロペラ要目を簡単に探し出すことができるわけですね。

「設計図表」の考え方は古くからあったようで、1892(明治25)年にフルードによってその原形が示されているそうです。

この記事に多大なヒントを頂いている「ナカシマ・プロペラ」さんのホームページによれば、
「実用的で性能のよい最初の設計図表となったのは、1951年に発表されたトルースト図表である。トルーストは、ワーゲニンゲンB型と呼ばれる模型プロペラを用い、3翼から5翼の面積比35%から60%におよぶ広範な図表を作った。」という事なんですが、それはどうでしょうね。

同ホームページでは
「この種の設計図表は代表的な造船国で作られ、日本では1955年以降、運輸省の研究所が数種類の設計図表を作成し、現在でも多くのプロペラ設計者に利用されている。」
とも記述されていますが、戦前の大海軍国であった「大日本帝国」でプロペラの設計図表がなかったとはちょっと考えられません。今後の調査で見つかる可能性が高いと思います。

発見

「ラトラー」や「タービニア」がプロペラ推進の優位性を証明して以来、プロペラの形状そのものには大きな変化がありませんでした。
技術の進歩を促進するはずの二度の大戦争を経ても、です。

それが、やっと1973年になりましてついにそれまでのプロペラの形を一変させる「ハイスキュー・プロペラ」が登場したのでありました。

ハイスキュープロペラ

ハイスキュープロペラ

 

「スキュー」と申しますのは、プロペラ翼の後退角のことを言います。普通の(というか、これまでの)プロペラの翼にもプロペラの中心から計った角度で10度ほどの後退角(スキュー)が付いていました。この角度を極端に大きくしてやったものをハイスキュー・プロペラと呼ぶのです。

イラストは通常型プロペラとスキュー角72度のハイスキュー・プロペラを比較したもの。この二つのプロペラは実際に製作され、アメリカ海軍省の手で詳細な実船実験が行われたのです。

コチラはその当時の写真で、貨物船用に設計された、直径7.9メートル・スキュー角72度のハイスキュー・プロペラです。

直径7.9メートル、スキュー角72度のハイスキュー・プロペラ(貨物船用)

直径7.9メートル、スキュー角72度のハイスキュー・プロペラ(貨物船用)

アメリカ海軍省が行った実験結果はセンセーショナルなモノとなりました。「プロペラに起因する振動」が通常型プロペラの1/8~1/10にまで減少したのです。
実は回転するプロペラ翼は強力な圧力源であります。一軸のスクリュープロペラに付いている何枚ものプロペラ翼の内の一枚が、回転して船底に近付くと船体に大きな衝撃力が加わる事になります。

ハイスキュー・プロペラであれば翼の大きな後退角によって、翼の根本部分と翼の先端が船体に近付くタイミングがズレます。このズレによって圧力影響が分散されるのです。

この実験が行われた当時、船舶は巨大なエンジンを積んで激しい波浪の中を進むという悪条件があり、静粛性の確保は容易ではないと思われていました。
海軍的に見ますと、当時海上の交通路を脅かす最大の脅威は潜水艦(今でも)でした。ただ、潜水艦が海上の船舶を探知するのは基本的に「音」が頼り。潜水艦の追尾を逃れるには、プロペラの騒音を下げることが何よりも効果的だったのです。

伊400型

伊400型

逆に潜水艦だって、自艦の防衛手段は隠密しかないと言っても過言ではありません。海上から水中の潜水艦を発見するにも、基本的に「音」が一番の手段。

つまり難しいと考えられていた「プロペラの騒音を下げる」ことは海軍関係者の悲願だったのですね。
この騒音問題を一挙に解決する可能性を秘めたハイスキュー・プロペラは急速に普及していきます。1979年までに、ヨーロッパだけでも艦艇用に150機のハイスキュー・プロペラが使用されたといわれているほどです。

このハイスキュー・プロペラが一般のフネにまで普及しはじめるのは1980年に入ってからで、今では大半のプロペラに設計段階でスキューの最適化が為されるようになっています。

ハイスキュー・プロペラを成功に導いたのは、なんといってもコンピュータ応用技術の進歩だと言われています。
特に、大きなスキューがプロペラの推進性能や翼の強度に与える影響などは、従来のプロペラ計算の比ではなく複雑となります。1970年代の後半はこうしたコンピュータ応用技術が急速に進歩した時代だった、と考えることが出来ます。

ただし、厳密に計算された形状を忠実に再現する加工技術は、コンピュータ応用技術とはまた別モノです。
支那がいくら世界中の技術を模倣したところで、こういった加工技術、それを支える精密無比の工作機械を模倣することは至難の業なのです。

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