烈風1

「疾風」と「烈風」6~失敗作~

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一七試艦上戦闘機(A7M1=烈風)の試作第一号機は、開発開始から2年も掛かって昭和19年4月に完成、5月に初飛行して直ちに試験飛行に移りました。

ぜんぜん駄目じゃん

操縦性・安定性・視界・離着陸性能には一切問題ナシ。さすが世界的な戦闘機設計主務・堀越さん!と言いたいところなんでありますが、全くそんな声は上がりませんでした。

大事な速度が524.1キロ/時ほどしか出ません。この速度は零戦(21型)より遅え!のであります。
上昇力も酷くて6000mまで上るのに10分近くかかる体たらく。6000mまで6分以内って言う計画にぜんぜん及びも付きません。

この無残な成績に、海軍側は機体の仕上げが粗雑すぎるのではないか?と指摘。さすがに堀越さんと三菱はちゃんと「バリ取り」することにしたようです。バリ(笑)の他にも空気抵抗になるような雑な部分を改善して、再び試験してみると速度は570キロ/時越え。

バリ取りビフォー・アフター

バリ取りビフォー・アフター(笑)

 

仕上げを丁寧にしたら、50キロも最高速が早くなるって、元はどんな仕上げしてたんだよ!って聞いてみたくなりますが、三菱と堀越さんの「烈風」に対するいい加減さが良く分かるではありませんか。

ただ、この速度はまだ零戦52型なみ。計画値(640キロ/時以上)には及びませんし、上昇力など全くと言っていいほど改善されていません。

海軍は幾つかのやり取りのあと、一七試艦戦(烈風)を不採用、すなわち失敗作と認定しちゃうのであります。

52型甲のコクピット

零戦52型(甲)のコクピット

 

誇り高き堀越さんと大三菱がすんなり失敗を認めるワケがありません。ココでお断りしておきますが、私は三菱が嫌いなんじゃないですからね。初めて持った(たしか3万円で隣の兄ちゃんから買った)愛車が「ギャランFTO」だったし、ランエボもⅣだけど2年近く乗ってたし。

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「誉」真横から

「誉」エンジンを真横から

まあ、ともかく三菱と堀越さんは機体設計以外の「何か」が性能不足の原因だと言う前提で飛行試験の結果を解析します。結局たどり着くのは中島から提供されている「誉エンジン」の出力がカタログ値ほど出てないんじゃね?と言う疑問でした。

失敗の原因は

三菱では「烈風」の試作機から、提供されていた「誉」エンジンを降ろしてベンチテストを行う事に致しました。その結果は…

高度6000mでの出力が1300馬力ほどしか出ていない、という結果となりました。これは定格出力よりも20パーセントも低い数値で、これではスピードも上昇力もダメだろ、っていうワケです。
三菱はこのデータを海軍に提出し、堀越さんは「最高速度と上昇力不足の原因は「誉」だ~」として、自社の開発していた2000馬力超級エンジン「ハ43」への換装を海軍に要請したのです。

ハ‐43

ハ‐43エンジン

 

誉装備の「烈風」の開発中止を命じているのですから、海軍はすんなり首を縦に振りません。

「烈風」の開発開始時点で、堀越さんは強力に自社で開発途上だった「ハ‐43」(MA9A)エンジンの採用を主張しました。
「ハ‐43」は外径は大きく、重量もあって「誉」の特徴である軽量・小型ではありませんでしたが、馬力は「誉」より一割ほど大きく、余裕のある設計でもあり、この選択も無い訳ではありません。

ただ「烈風」の開発開始時点(昭和17年4月)では、「ハ‐43」はまだまだ試作機すらできていません。一方の「誉」は海軍の審査を通過して量産体制を整えている段階。
既に戦争に入っている状態で、新型戦闘機を造ろうという時に計画段階のエンジン装備を前提に出来るモノでしょうか?

烈風

烈風

 

三菱としては、せっかくリソースを全面投入して「新型艦上戦闘機」を造るわけですから、自社のエンジンを使いたい。その気持ちは判ります。まして、傑作の名を欲しいままにしている前作「零戦」もライバル中島のエンジン「栄」を使わされていますしね。

しかし、まだ試作もできてもいないエンジンと、既に量産に入ろうかというエンジンとでは比較にはなりません。
ココで三菱と堀越さんに出来る決断は、将来の「ハ‐43」完成を織り込んで換装が容易な設計にしておく、という一択でしょう。

ところが堀越さんは「烈風」開発開始の同時期に、零戦の自社製エンジン「金星」への換装を拒否しています。理由は多忙ですが、この拒否が三菱・堀越さん側と海軍側が気持ちの部分でズレてしまった原因かもしれない、と電脳大本営では推察しています。

この気持ちのズレこそが「烈風失敗」の本質的な原因であろう、というのが電脳大本営の見立てなのです。

「誉の性能が出ていなかった」は本当なのか?

「烈風」の試作機は海軍を通じて供給された中島製の「誉」エンジンを装備しました。試作機の性能が計算どうりに出ないので、堀越さんはエンジンの性能不足だと推定。
三菱の名古屋工場でベンチテストしたところ、カタログ値を20%ほど下回っていた、というのが堀越さんの主張です。
私は工業製品については素人なんですが、この主張が嘘っぽくてマトモには信じられません。

紫電改

紫電改

まず「誉」エンジンそのものは、多少設計値を下回ってもそれなりの性能は叩きだしています。それは同じ海軍の「紫電改」や陸軍の「疾風」が装備して高性能を発揮していることで証明されています。

「誉」の評判が芳しくないのは、メンテナンスが難しくそのために十分な性能を出せる、稼働率が良い部隊が少なかったことが原因ですが、ちゃんと整備していた部隊もありました。
つまり、「誉」は全体として見たらちゃんと性能が出ていた。堀越さんはカスの個体を掴まされたのか?という事になるのです。

エンジンに限らず、製造者は試験して納入するモノじゃないんでしょうか。まして、国運を賭けた新戦闘機のエンジンです。メーカー同士の直取引じゃなく、ウルさ方の最終ユーザーの御指名なんですよ?
中島側は海軍から「試作機に搭載されるエンジンだ」と言われていたはずです。
どう考えても、中島はベストのエンジンを供給した筈ではありませんか?

一方「押し付けられた」三菱と堀越さんも、納品時点でテストもせずに試作機に取り付けたんでしょうか?
常識的に考えたら大事な試作機のエンジンなんですから、数回にわたって性能試験を行うのでは?
設計主務の堀越か信頼のおける部下や、三菱のエンジン部門の技術者が立ち会って試験をやっているはずなんです。そしてその時には「誉」の性能は十分出ていた、と思われませんか?

三菱の大幸工場の爆撃被害

三菱の大幸工場(名古屋市)の爆撃被害

 

電脳大本営の推測でしかありませんが、堀越さんは三菱が性能試験をやった事を隠しています。ちゃんと性能が出たことを隠しています。

確かに、この当時(昭和19年春)の「誉」は本来の性能を発揮できていなかっただろうとは思います。しかしながら、それはエンジン側の責任ではなく燃料の問題でありました。

良く言われる「オクタン価問題」です。オクタン価って言うのは(ご存じの方は多いでしょうが)ガソリンエンジンのアンチ・ノッキング性能を左右するモノです。
ノッキングって言うのは、エンジンの燃焼室内の圧力や温度が高まり過ぎ、異常燃焼を起こしてシリンダーやピストンを壊してしまう現象です。
オクタン価が高い燃料を使う前提でエンジンを設計すれば、ノッキングを心配せずに高い吸入圧力や圧縮比を設定できます。吸入圧や圧縮比を高めてやれば、同じ容積に沢山の燃料を吸い込めるワケですから、単位排気量当たりの出力が高くなる、すなわち高性能エンジンが設計できるという事です。

ノッキングのイメージ

ノッキングのイメージ

 

余談ですが、私が若いころやっていたように、レギュラーガソリン仕様のクルマに(お金のある時だけ)ハイオク・ガソリンを入れたところでちっとも速くはなりません。害はないでしょうけど。
だって、「ハイ」なのはアンチ・ノック性能であって、エネルギーではないのですから。ガソリンの単位重量あたり発熱量はオクタン価に関わらず一定です。

ところがですね。逆にハイオクガソリンを使うように指定されている高性能車にレギュラーガソリンを入れると、街中で走る分にはサンデー・ドライバーでは気づけないかも知れませんけど、確実に出力が低下して故障しやすくなっているのです。

「誉」の設定オクタン価は100とも92とも言われています。この数値は「誉」の設計主務の中川技師が海軍・陸軍側に供給可能か何度も念を押したそうです。

ところが昭和19年にもなってくると、陸軍に比べて贅沢な燃料を使っていた海軍でも、オクタン価100とか92とかはとても供給できなくなっていました。
ハッキリした証拠を提示できないので、これまた電脳大本営の推測と申し上げるしかありませんが、三菱や中島が試験に使ったガソリンは87オクタンくらいじゃないの?と考えます。
これは大東亜戦争開始前後の時期に、海軍が92オクタン(航空九二揮発油)を使っていたのに対して、陸軍は87オクタンの燃料を使っていた、という記述が雑誌「丸」にあったことからの推定です。
すなわち87オクタンなら当時の国内の精製施設で製造可能だったのだろう、と。

「誉」の性能低下は本当だったとしても

つまり、堀越さんは試作「烈風」用にベスト・コンディションの「誉」を受け取っていたんです。
オクタン価の低い燃料を使わざるを得なかったので、カタログ値の通りの性能は発揮できていなかったかもしれませんが、堀越さんはそれも把握できていた筈です。
「誉」にはオクタン価の高い燃料を使うほかにも、ノッキング防止策として「水・メタノール噴射装置」も装備され、これは米軍にも「零戦並みのテクノロジー」と高く評価されるのですが、それはまた別記事にいたします。

出撃準備中の零戦52型丙

出撃準備中の零戦52型丙

 

ともあれ「誉」のせいで計算値通りの性能が出なかった、というのはこれは本当は設計ミスと言うしかないのではありませんか?
もちろん、その設計には海軍からの過剰な「要求」という名の干渉がありましたので、堀越さんだけの責任ではありません。

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問題は戦後のご著書「零戦」では、全く反省しておられないことなんです。堀越さんは一介の航空機技術者ではなく、大日本帝国海軍の艦上戦闘機(=甲戦)を設計する唯一の設計チームの主務なのです。それも長きに渡って航空界に君臨してきていたお方なのです。

だからこそ、戦後のご著書にも異論をはさむ人が少ない(兵頭二十八氏くらいでしょうか)のですし、「誉」の中川技師も素直かつ実直に「誉」の性能が出なくて悪かった、と詫びているんですよ。

中川良一

中川良一

 

これはご自分の名誉のために、貴重なる戦訓をお隠しになっている、と非難されても致し方ありますまい。

このベンチテストの結果をもって、前述のように三菱と堀越さんは自社開発の「ハ-43」エンジンへの換装を求めます。海軍側は「紫電改」の実用の見込みがついて来た事もあってこれを認めませんでした。

三菱側も簡単にはあきらめませんでした。折から計画されていた局地戦闘機型「烈風改」の設計資料を得るという名目を付け、費用は会社負担というリスクを取って、試作5号機と6号機への「ハ-43」装備を認めさせたのでありました。

「ハ-43」装備機の好結果は当然

三菱と堀越さんはムリを通して「烈風」試作機に自社エンジンの搭載を認めさせました。
電脳大本営は「烈風は設計ミスで予定性能が出せなかった」との立場ですから、「ハ‐43」に換装して性能が出ちゃうと困ったことになるんじゃね?とご心配下さる方も多かろうかと存じます。しかし、そんな事はございません(笑)

結論から申せば、「ハ‐43」装備の「烈風(A7M2)」は最高速度624.1キロメートル/時(337ノット)・上昇力高度6,000mまで6分5秒、零戦との空戦実験でも、空戦フラップを使用しての空戦性能は零戦を凌ぐと判定されるのであります。

烈風

烈風

 

がしかし。大成功じゃん!ちゃんと馬力が出るエンジンなら「烈風」はやっぱり素晴らしい設計だった、とはならぬのです。なぜなら、「ハ‐43」の最高出力は2200馬力、「誉」の一割増なのです。
小学生向けの算数の問題です。「バリ取り」後の試製「烈風」の最高速570キロ/時より一割速い速度はどれくらいか?
そう、答えは627キロ/時。

馬力と速度の関係は自動車でも船でもそうなんですが、馬力が倍になったからってスピードが倍になるってモンではありません。それは空気抵抗がスピードの2乗に比例して増えることが主な原因と考えれば良いかと思います。
*この辺り、たびたび当電脳大本営にも寄稿してくださっているH氏がお詳しいので、詳しく知りたい方は丁寧にお伺いしてみて下さい。

まあ、それでもエンジン換装した「烈風試作機」は吸入系統の抵抗の改善など、換装した後の改良も出来たはずで、「馬力一割増で速度一割増し」も可能だったはず。

つまり堀越さんの設計した「烈風」は2000馬力の小型高性能エンジンを搭載することを前提として設計されていたのに、2200馬力のエンジンでないと予定性能が発揮できない「欠陥設計機」であったのです。
いや、「烈風」が目指した最高速は640キロ/時ですから、2200馬力でもまだ足らない。

疾風vs.P51

疾風vs.P51

 

一方で陸軍と中島の自信作「疾風」は2000馬力の「誉」で660キロ/時(一型乙)出てるんですけどね。

設計ミスですよ、失敗作。間違いありません。
時期が悪かったとは思いますが、世界を見渡せばこの程度の失敗作は良くあることで、取り立てて三菱と堀越さんを責めるほどのことではありません。また、設計失敗の理由も海軍の過剰要求・過剰介入が主なモノでしょうから、堀越さんを責めるだけではいけないことも判ります。

私が(繰り返し申し上げていますが)問題だと言っているのは、堀越さんが戦後になっても、この経緯を隠し通して責任を海軍や大日本帝国の産業構造になすり付けていることです。

「ハ‐43」はちゃんと性能を発揮したんだろうか?

堀越さんは戦後になって自分の失敗を認めず、責任を中川さん(若き「誉エンジン」の設計者)をはじめとする他人に押し付けちゃいました。
堀越さん(の戦後のご著書)のお蔭もあって、「誉」はすっかり欠陥エンジン扱いされるようになってしまいました。大日本帝国の代表的高性能戦闘機「疾風」、大東亜戦争後半の苦しい時期に3000機以上も生産された名機のエンジンなのにね。

それでは(いろいろとイチャモンを付けておりますが)我が国が誇るべき戦闘機技術者であることは間違いない堀越さんが固執した「ハ‐43」エンジンはちゃんと企図した性能を発揮できたんでしょうか?

これは「ハ‐43」が実戦に投入されていませんので、何とも言えません。「ハ‐43」は中島の「誉」開発を察知した三菱が、実績のある「金星」を18気筒化(7×2→9×2の複列)したモノ。
名作「栄」(零戦・一式戦のエンジン)を18気筒化して、気筒当たりの馬力をとことん引き出した「誉」と全く同じ出自なのであります。

「烈風」以外で「ハ‐43」を搭載する予定の開発機だと、陸軍の新型遠距離戦闘機「キ83」が思い浮かびます。

キ-83

キ-83
米軍がテスト中

この機は途中から海軍がクチバシを突っ込んで(共同開発)きて、そのコンセプトすら揺れちまう…という不幸な生い立ちです。
三菱の久保富夫技師(代表作は百式司偵/堀越の4年後輩)を主務とするチームがそのハンディを乗り越えて良い機を造ってる(すべての大日本帝国設計航空機の中で最速)んですが、Wikiにこんな記述が。

また、日本機には珍しく排気タービンによるエンジントラブルに悩まされる事が少なかったと伝えられている。

ただし欠点として、エンジンの振動が気になることと、尾部もまた振動して安定を損なう傾向があることが指摘された。尾部振動については取り敢えず水平尾翼に支柱を付けることで対応し、増加試作機において抜本的な改良を行うこととした

「排気タービンによるエンジントラブル」は少なかった、って事はエンジン本体は?ですよね。そして「エンジンの振動が気になる」。
推して知るべしと申し上げておけば宜しいでしょう。

ご存じ「震電」も敗戦の間際に「ハ‐43」に故障が発生。この修理のために九州へ向かった三菱の技術者を待っていたところで敗戦となった、という記録が残っています。

震電

震電

おそらく「ハ‐43」も量産に入ったら「誉」同様の品質低下に陥ったでしょうし、試作用の念入りに整備してただろうエンジンでもこの体たらくですから、
「『誉』の後に来るものとして約束されるも未だその信頼性は実戦に対して不十分なり」
との「烈風」テストパイロットの小福田少佐の言葉がすべてを表しているんでしょう。
「誉」の評価と何ら変わるところはありません。

大日本帝国や堀越さんをdisるのが目的じゃない

以上、「烈風」と堀越さんについて私が書きたいこと、言いたいことはだいたい記述させていただきました。平知盛風に言えば「書くべきモノは書きつ」ですかね(笑)入水はしませんけど、寒いし。

実は、前回の「『疾風』と『烈風』5~金星零戦」で結構なご意見を頂戴してるんですね。
「金星エンジンへの換装を断ったのは堀越さんだけの決断じゃないだろ」って言うのがご主張でして、その辺りなら私もすんなり(証拠はないんですけどね)同意するんですけど。

烈風

烈風

ただね、私は「大日本帝国は負けると判っていて対米戦に臨んだ」とか「東亜の植民地解放戦争」とか「大日本帝国VS白人連合」とか言う考え方には拒否反応を起こしちゃうんです(笑)

大東亜戦争は大日本帝国が生存のために「自主的に」選んだ一選択肢で、アメリカとは戦端を開かない(相手の国内事情からも)方法もあったし、その方が勝利の確率は高かった。
アメリカと戦っても勝つまでは行かなくても、史実のような惨敗を避ける戦い方はあった。
南進して資源地帯を手に入れ、その地域を当面の間「植民地」とする方針だった。
もちろん、「白人連合」なんてモノがある筈もなく、遠く欧州では白人同士で殺しあってる。英米だって国益によっては分断可能である、ってのが「歴史の真相」じゃないかと思っていますので。

私はこれを、ご先祖や英霊方が遺して下さった貴重きわまる「戦訓」として今後に生かしていこう、じゃないとまた負けるよ!とずっと言い続けてきましたので。電脳大本営もその考え方で書かせて頂いています。

これは技術の分野でも同じなんです。

たとえば、高射砲の照準方などはアメリカとは大差がありました(大日本帝国が劣る)し、戦争が進むにつれてレーダー照準が実用化されると艦砲射撃でも雲泥の差となって行きます。特に海軍はこの技術差を隠している傾向があります。

技術的に優れているところも有りましたが、大きく劣っているところも有った。この事を正面から見つめて戦訓としなければ、将来の国防の障害となることは間違いないでしょう。

最近でも「そうりゅう級」潜水艦のスターリングエンジン。

そうりゅう級

そうりゅう級

エラく期待が大きかったんですけど、屁の役にも立たなかったようですよね。役に立たんどころか乗員の方には迷惑きわまる装置だったようですが(「戦争~の研究」グループ会員さんの情報です)、国産装置でもねえのにずいぶんたくさん作っちゃいました。

まあ「不出来に気づいて止めたんで良し」とはしますが、ちゃんと戦訓を汲んでいればもっと早くリチウム・イオン電池に換えられたと思いますよ。

しつこいようですが、最後に

堀越さんは「戦闘機のあり方」についてご自分の見識などありませんでした。堀越さんは優秀な設計「技能者」でしたけれども、見識のある技術者ではありません。
与えられたスペックをいかに実現するか、という点では優秀だったかもしれませんが、スペックがどんな戦い方を引き出すのか?もっと言えば、近未来の空戦はこうなるから、このスペックを実現するべき、という見識はクスリにするほどもありませんでした。

タダの設計技能者ならそれで良いでしょう。しかし堀越さんは「零戦」と「烈風」の仕様決定に際して、翼面加重の決定や仕様の優先事項決定を海軍に迫っています。
その上で、失敗作だ。証拠はありませんが「烈風」の馬鹿デカい機体を考えると、ワザとやったな?という疑念まで沸いてくるほどです。

そんな男が、戦後になって国の航空行政やら産業構造を批判する。批判しても良いけれども、反省が先に来なければイカンでしょう。

川崎の土井技師は同じような期間に、堀越さんよりも多くの軍用機を手掛けています。三菱よりよほど小さな会社で、バックアップしてくれる開発体制は(推定ですが)堀越さんより劣っていたでしょう。

堀越さんには件のパヨ老害「宮崎駿」が、「伝説の設計者」にすべく味方に付きやがりましたから、私のような敵も出現しなければならぬ道理であります。かなり力量が劣りますけどね(笑)。

設計者

パヤオの美化

 

功罪は公正に評価すべきなのであります。

さて最後の最後に、もう一つだけ、実際に出来た「金星零戦=零戦54型」のお話。
「54型」は昭和19年11月に海軍の指示を受けて試作機の開発を開始、翌年4月に完成。一方の「ハ‐43」装備の「烈風」は昭和19年7月から作業を開始して同年10月に完成しています。

同じ中島のエンジンから自社のエンジンに換装する作業ですけどね。

この2ヶ月の差の評価は電脳大本営をお読みくださった、皆様にお任せいたしましょう。

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