パールハーバーで朝食を

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史上初めての空母機動艦隊による「軍港空爆作戦」でありました大日本帝国海軍のハワイ作戦。いろいろな方々のご努力で、作戦の詳細な様相が解明されてきています。

肝心なことが抜けとるやん

しかしながら、各種の尊敬すべきご研究から、(電脳大本営的には)もっとも大切なところがスッポリと抜け落ちているのであります。

それは「食いもの」であります。電脳大本営が記事を書くにあたって大いに参考にさせて頂いている「戦史叢書」にも、艦隊の乗組員や九九艦爆や九七艦攻、あるいは零式艦戦の搭乗員が何を喰って出撃されたのか?については一切の記述がありません。

あまた出版されているいわゆる「戦記モノ」でも、このときの食いものについては、触れられているのを見たことが無いのです。

真珠湾へ向かう蒼龍、赤城より

真珠湾へ向かう蒼龍、赤城より

 

しかし、私は単冠湾からはるばる北太平洋を半分押し渡り、ハワイを目睫の間にした大日本帝国の兵士たちが、何を喰い給うて勇躍攻撃に移ったのか?どうしても知りたいと長年願ってきました。

と申しますのは、現代だってそうなんですが、当時は最も頼りになる兵器は「兵隊さん・水兵さん」だったのでありまして、その兵たちの士気を最もあげ得るモノこそ「食いもの」だと考えるからです。

もちろん、「食いもの」よりも女性の応援がもっともっと士気をあげることはあるでしょう(LGBTの人は「女性」を「それなりのパートナー候補」とでも読み替えてくださいね。また、女性兵士・女性仕官・女性提督の方々は「男」に読み替えといてください/あー、面倒くせぇ)。

択捉島ヒトカップ湾

択捉島ヒトカップ湾

 

しかし、輸送船すら「女は乗せない」と歌われた当時のこと、敵の太平洋を睨む大根拠地に殴りこむ艦隊に、女性が乗ってるワケがありません。大和撫子は男の戦場にむやみにでしゃばったりはしないモノであります。

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ってなワケで、やはり喰いモンでありますよ。

メニューは艦長の決定

そんなおりにある情報を聞いちゃいました。昭和55年5月10日付の「朝日新聞」の紙面に、「布哇作戦ニ於ケル衣糧関係戦訓」が載っていた、というのであります。

バカヒのネット閲覧サービスで探せば、出てくるんでしょうが、あんな糞新聞に金を払ってやる気がしません。
止むを得ぬので、「海軍食グルメ物語」という本に(極々一部ではありますが)記載されているこの「戦訓」を、孫ひきしてハワイ攻撃前の食事を再現してみましょう。

この本では、布哇作戦全般の糧食は判りませんが、航空母艦「瑞鶴」の「食」が紹介されているのです。

ハワイ真珠湾への出撃を前に「瑞鶴」は呉軍需部で弾薬・燃料などと一緒に次のような食料品を積み込みました。

精米81トン・精麦25トン・乾パン7トン・生獣肉(骨なし)5.5トン・骨付き生魚肉11トン・生野菜26トン。
もちろん、この他に細々した酒類や甘味品やその材料となる食材(小豆や砂糖など/お汁粉が出来るな)も搭載しています。

豊後水道で発艦訓練中の瑞鶴

豊後水道で発艦訓練中の瑞鶴

 

これらの材料で航海中の食事を賄うのですが、12月8日未明、出撃前の戦闘食はおにぎりとキンピラだったとされていました。

空母「瑞鶴」昭和16年12月8日戦闘食の献立

朝食:握り飯・ボイルドベーコン・きんぴら牛蒡・味付昆布・たくあん
昼食:握り飯・おでん(牛肉、大根、里芋)・たくあん
夕食:弁当・煮込(豚肉、人参、馬鈴薯、大根)・梅漬け
夜食:乾パン・栄養食

ハワイ近傍に忍び寄った「南雲機動部隊」の6隻の空母から、第一波の攻撃隊(艦戦43機・艦爆51機・艦攻89機、計183機)が発進したのは、日本時間(以下すべて日本時間です)12月8日午前1時30分です。

発進準備はその2時間前くらいから始まっていたと思われますから、「おにぎりとキンピラ」は12月7日の23時には配食されていたでしょう。「戦闘食」とは言っても、さすがに戦闘の真っ最中には食べる余裕はありませんから、「戦いに備えた食べ物」と考えるべきです。

戦闘食というモノは、予め主食とおかずが何種類か定められていて、それを組み合わせて提供されていました。その組み合わせは主計科で適当に…ってモノではなく、艦長が決めていたそうです。
上記の朝食から夜食に至るまでの戦闘食も「瑞鶴」艦長の横川市平大佐が決めたモノでありましょう。

合戦になる前の大事な時間に、艦長たるものが食い物の細かい献立まで決めてたのかよ!とか言うなかれ。この「献立」こそが横川大佐の部下掌握の有力な手段なのです。
言い方を変えれば、食い物の美味い不味いが水兵さんの士気を上げもすれば下げもする、って言うことです。
「戦闘食」ですから、食堂で座って食べる訳ではありません。「食べ易さ」という点も艦長の判断を左右したでしょう。

そう考えると、昼食・夕食におでんや煮込みが入ってるのは、「少し余裕が出来てる筈」という判断を、横川大佐がなさっていたということなのでしょうか。

こんな所からも
「南雲司令部は最初から二次攻撃隊を出すつもりはなかったし、敵艦隊との遭遇や追撃を受けることも考慮していなかった」
という推定も可能かも知れません。

主計兵も苦労が多い

「艦長決定」はもちろん瑞鶴以外の艦でも行われていた筈です。各艦それぞれ積み込んだ食材に合わせ、炊爨設備に合わせた独自のメニューから、艦長が組み合わせを選んでいたのだろうと思われます。

「食べ易さ」で申し上げると、主食はどの艦でも「おにぎり」が主役を張ったのではないでしょうか?

巡洋艦「高雄」の士官烹炊所の様子

巡洋艦「高雄」の士官烹炊所の様子 帽子の無い人は軍属。調理場で無帽はダメじゃん。

 

意外かも知れませんが、陸兵を含めて大日本帝国の兵隊さんは結構「戦闘中」の喰いモンにうるさかったようです。
アメリカ兵なんか、もともと旨くないアメリカ料理の、クソ不味いレトルト戦闘食でも文句も言わずに喰ってたらしいのですが…元来から美味いコメと繊細な料理に恵まれていた帝国の兵隊さんとは違いますわな。

その味にうるさい帝国の兵隊さん・水兵さんでも「おにぎり」と「たくあん」を出しとけば、まずクレームのおそれはなかった、と言います。それだけコメはおいしいって事なんでしょう。

ただ、この事が調理係たる主計兵には大変な負担になってしまいました。と申しますのは、戦闘食のおにぎりはかなり大きなモノが各人2個宛です。
空母「瑞鶴」なら乗員は1600名強ですから、少なくとも3300個ほどのおにぎりを握らなきゃいけません。私の推定ですが、10名強の「調理班」で。

大正期の兵員烹炊所(蒸気釜から白米を飯缶に移している)

大正期の兵員烹炊所(蒸気釜から白米を飯缶に移している)

 

炊き立てのコメを握り続けなきゃいけませんから、主計兵の手のひらは火傷も同然だったでしょう。ところが、「おにぎりマシン」などを考案しようとした形跡がありません。

「手で握る」方が美味しいと信じられてたからだったのか(笑)、主計兵の心意気なのか、機械を置く場所が無かっただけなのか、全く不明であります。
一つだけ、節を抜いた竹にごはんを詰め込んで、片方から押してやり、押し出されてくるご飯を包丁で切って行く、という試みがなされたようですが、かえって手間がかかり、実用化はされませんでした。

実際に使われたら、「ト(ところてん)式握飯(あくはん)機」とか言われたでしょうに、残念でなりませんwww

汎用おにぎり成型機

汎用おにぎり成型機(もちろん現代)

搭乗員は別メニュー

南雲機動艦隊がハワイに攻め寄せた、とは言っても最接近したのは190浬ですから、350キロほど。これでは、「瑞鶴」の乗員がこの記事の表題のように「パールハーバーで朝食を」というわけには行きませんね。

では、実際にパールハーバー上空を乱舞した攻撃隊の搭乗員たちは真珠湾上空で飯を食わなかったのでしょうか?

実は、海軍は航空機を戦力にしようと思い立ったのとほぼ同時期から、艦隊の将兵とは別枠で「搭乗員」の喰いモンを考えていました。
とは言いましても、航空黎明期のパイロットは士官ばっかりですから「本腰」は入っていません。

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真珠湾攻撃準備中の瑞鶴、後方翔鶴

真珠湾攻撃準備中の空母「瑞鶴」、後方は「翔鶴」

 

海軍では士官の食事は水兵さんや下士官とは違って「金給制」なんです。それが航空機が実用兵器となる見込みが立つと、操縦者がたくさん必要になります。

つまり、水兵さんがたくさんパイロットになるわけです。水兵さん(下士官含む)の食事は「現品給与」であります。
飛行機が長時間飛べるようにもなってきたこともありまして、海軍は機上で操縦しながらでも食べられる「航空弁当」の研究を本格化したのです。

布哇作戦当時は(搭乗員には不満もあったでしょうが)、そこそこに満足すべき機上食が用意されるようになっていました。

私はパールハーバーを攻撃した搭乗員たちのうち、一人くらいおにぎりか巻き寿司をパクつきながら爆撃した猛者がおられたんじゃないか?と想像しているのであります。

制度の上では、帝国海軍がマジに飛行機乗りの喰いモンを考え始めたのは大正14年の事と言って良いかと思われます。この年「海軍兵食調査委員会」で航空糧食を制度化することが、決定されたのです。

再現された五航戦の航空弁当

再現された五航戦の航空弁当
おにぎりの中身はたくあん・キンピラ・味付け昆布。ボイルド・ベーコン付き。

 

正式に制度として「航空糧食」を制定するとなれば、搭乗員の勤務(って言うか訓練)環境や高空(ってほどじゃ無いけどさ、当時は)での人間の生理を勘案したモノにしなければなりません。

結果を言ってしまえば「片手で喰える」「高空でも凍らない(凍りにくい)」ってだけのモノなんですけど、一応はちゃんと実験もやり、医学界などからも意見を求めてるんですよ。

不凍食を探せ(笑)

先人が真面目に(たぶん)やってるのに(笑)は不謹慎ですね。でも可笑しいんだもん。
航空糧食の制度化が決定された翌年の大正15年には搭乗員専用の糧食規定が出来ます。基本的には、一般の水兵さんより「ええモン」を喰わせてもらえるようになったんですね。
この時同時に「機上食」(これを航空弁当と呼びました。弁当箱に入ってなくても、です)も制定されたんですが、飛行機の進歩するスピードは海軍主計士官(のエライ人)の献立能力をはるかに凌駕しておりました。

機上食の内容が、「より早く、高く、遠くへ」のどれにもついて行けないんですね。それ故かどうか、電脳大本営では把握していませんが、昭和4年には次のような痛快な実験が行われています。

その実験とは、いろいろな食物(飲み物も)を機内に持ち込んで、氷点下15℃の上空へ上がり、2時間飛んでみよう!というモノ。

高度が1000メートル上がると、気温が6.5℃下がるのが気象庁御用達の公式であります。当時の航空機でも5000メートル位なら上がれただろうから、真夏じゃなきゃ、マイナス15℃は可能ですね。

タダなんとなく挿入(笑)

 

ただ、二時間は結構な問題です。当時の飛行機、高度を稼ぐのにやたらメッタら時間が掛かるし、そもそも航続時間が短い。
そんな困難を乗り越えて「実験」された料理の数々は…

瓶詰めの牛乳・お茶・折箱に入れた海苔巻き・稲荷寿司・紙に包んだまんじゅう・リンゴ・ゆで卵・缶詰の牛肉大和煮。

以上の食品は全てカチンコチンになってしまって、判定「不適」でありました。ちょっと持って行き方とか保管方法を考えろよな、先人たち。
ただ、こういう単純極まる実験って、価値を認めてあげなければいけません。人間には「思い込み」って言う技術発展の巨大な障壁が存在しますから。

この時、同時に持って上がった次の食品は「機上食に適する」という判定を得ているのであります。
すなわち、紙包みのサンドイッチ・魔法瓶に入れた梅干し粥・水筒に入れたウィスキー入りのココア。
特にウィスキーは凍らないですし、「たいへん宜しい」とされました。コラっ!飲酒運転容認しちゃあイカンじゃないか。

ウィスキーに限らず、海軍にも限らず(笑)大日本帝国の兵隊さんはどうも酒好きが多かったようで、前記の「瑞鶴」でも攻撃が成功裡に終わった後の夜食に「出た」ようです。赤飯も出たかどうかは不明ですが。

昭和10年になると

「みんなが調理担当」の陸軍(勝っても負けても、部隊がバラバラになる可能性が高く、かなりな小部隊にも野戦調理の技術を持った兵隊がいるように、との配慮/海軍は「バラバラ」になった時は端艇に載ってた非常食を喰うか、魚を釣るか、だもんね)と違って、海軍では専門の兵隊さんか軍属として雇われたコックさんがメシを作ってました。

長門の烹炊所、魚調理中

戦艦「長門」の烹炊所、魚調理中

 

その元締めが主計科。昭和10年の「主計会報告」という雑誌(海軍の部内限りの雑誌だったようです)に、航空糧食の研究結果が掲載されています。

航空生理学を基本にして、栄養管理を考えた詳細な研究だと言われていますが、結果は
「消化が良くて、栄養価が高く、少量で満腹感を得られ、片手でこぼれたり崩れたりせずに喰えるモノが良い」

って、なんだか研究しなくても出て来そうな結論でありました。

具体的には、のり巻き・鉄火巻き・いなり寿司・握り飯・サンドイッチ・クリームパン・バッテラ・ゆで卵・ウィスキーボンボン。

嘘じゃないですよ、ホントに「ウィスキーボンボン」(ヰだけど)って書いてあるんだもん。
若い方のために書いておきますと、チョコレートの中にウィスキーが入ってる奴ね。儂などのガキの頃は、いただき物のチョコレートアソートの中に、必ず入っていましたね。

やっぱり、海軍はウィスキー好きなんでしょうか?

真珠湾攻撃イラスト

真珠湾攻撃イラスト

少し遡りますが、大正期には欧米で「長距離飛行」へのチャレンジが盛り上がりをみせ、帝国へも幾人もの飛行家が飛来しています。

海軍の主計科はこの海外の飛行家が積んできた喰いモンもちゃんと調査しておりました(加藤勲主計少佐の報告から)

○マクラーレン少佐世界周航飛行(大正13年/イギリス)
ビスケット180個・肉エキス8缶・干し蒲萄11オンス(300グラムくらい)・チョコレートなど。

○ベルシュドアジー氏訪日飛行(大正13年/フランス)
サンドイッチ・冷肉・固形スープ・コラ酒・コーヒー・バナナ

○ピネード中佐訪日飛行(大正14年/イタリア)
ビスケット1キログラム・缶詰肉1.5キログラム・濃縮スープ300グラム・果物ジャム1キログラム・コニャック1.2リットル

○チェンバレン氏ニューヨーク=ベルリン無着陸飛行(昭和3年/アメリカ)
サンドイッチ10個・スープ2瓶・コーヒー1瓶・オレンジ6個

どうよ、大日本帝国の「航空弁当」に比べて。
なに?英米は呑まないけど、仏伊は呑みまくりですって。まあ、その通りなんですけれど、私は品目の単純さを比べて頂きたいんですよ。

参考までに東京帝大航空研究所の「航研機」が長距離飛行の世界記録(62時間22分)を打ち立てた時の「航空弁当」は
のり巻き・サンドイッチ・巻きサンドイッチ(飯の代わりにパンできんぴらや奈良漬けを巻いたもの)・おにぎり・いなり寿司・クリームパン・セロファンめし(セロファン袋に削り節、紅ショウガと一緒にごはんを詰めたもの)・バッテラなど。
主食系だけでこれだけあります(笑)セロファンめしは一食分しか食べて無かったそうですが。

キー77(A-26)長距離機

キー77(A-26)長距離機

 

もちろん日本酒や葡萄酒もたくさん積んで飛びましたが、消費したのは葡萄酒ばかりだったようです。

特殊栄養食

ね、欧米の飛行家たちに比べて種類が豊富でしょ?
これは大学の航空研究所だからって言うわけじゃあありません。「航研機」は陸軍が全面的にバックアップしてまして、実験中の食糧に関してもほぼ陸軍提供ですから。

海軍に話を戻しますと、搭乗員たちは飛行中だけじゃなくて、地上でも喰いモン特別待遇でして、「特殊栄養食」というモノも支給されていました。
たとえば「海軍ビタミン食」はビタミンA(視力向上)とB1(疲労回復)の糖衣錠でした。

これが悲しい事に、戦争の雲行きが怪しくなると「強力ビタミン食」となり、即効狙いの「薬物的な飲み物」へと変化していった言われています。

と、ココまで調べてきましたが、結局「パールハーバーで朝食を」摂った搭乗員さんは居られたのか?は解らぬままであります(書き出す前からこうなると思ってましたけど)。

でもねぇ、「爆撃しながら巻き寿司喰ってました」とは帰投後の報告書にも戦後の従軍記にも書けないでしょうからねぇ。

電脳大本営は「パールハーバー(上空)で朝食を」摂った我が勇士が居た、と信じてます(笑)
次にパールハーバー上空でメシ食うのは、Chinaを片付けてからね。あっ、「軍用機限定」の話だから…。

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-帝國海軍, 航空機, 航空母艦