満州移住ポスター

香港デモと満洲国と麻薬

2019/07/04

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香港の「民主化デモ」と満洲国ってどんな関係が?って思われるでしょうね。地続きであることは間違いありませんが、民族も違えば時代も違います。でもね、戦ってる相手はChina、ってところが同じじゃないですか(笑)

暴力的な香港デモの正体

香港で「逃亡犯条例」の改定に反対する「民主派」のデモがピーク時200万人の参加者というとんでもない数に膨れ上がり、香港行政長官の林鄭月娥(りんてい・げつが)女史は事実上の廃案(審議を無期限延期)を宣言せざるを得ませんでした。

香港の行政長官なんてChina共産党の指名みたいなモンですから、これはChina共産党が自分の意志を通せなかったことを意味しています。とはいえ、China共産党はデモの数に負けたわけではありません。迫るG20を睨み、「これ以上アメリカに攻撃の手段を与えると拙い」と判断して一旦引いたにすぎません。

ココを間違って判断すると、例えば調子に乗って我が国並みの公平な選挙制度を求めたりしたら、一国二制度どころか700万(か800万)の香港人が地球上から消え去る恐れ、無きにしもあらずであります。

ちょっとキツイ言い方ではありますが、次のようにお考えいただくべきだと、私は思います。

今回のデモ、コッチ(右と申しますか、保守系)側も含めてメディアはあまり触れていませんが、ずいぶん暴力的だったようです。

雨傘防御in香港

雨傘防御

警官隊とにらみ合った最前線では、投石はもちろん香港デモの象徴である雨傘まで武器になっていたそうです。傘は開いてたら身を護ることもできるけど、閉じてたら攻撃的な武器だからなぁ(わざとパヨチックな言い方してみました)。学生たちが投石用の小石を袋に入れている画像もありましたしね。

香港の学生たちが声高に叫んでる「警官隊の暴力的な制圧」も、程度問題ではありますがワケがあるのです。どんな国にも自衛権はあるように、垢の手先の警察官だって身を護る権利はある筈ですからね。

これをChina共産党はイライラしながら眺めていたと思いますよ。「トランプの圧力とG20がなかったら、見とれよ!」とかホザキながらね。

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*この記事公開直前の令和元年7月2日になって、香港で学生たちが議会に突入し、それを警官隊が催涙弾を使って排除したニュースが入ってきました。

返還の約束

返還当初とは違って、現在の香港はChina本土にとって経済的利益にまるきりなっていません。
China共産党が大英帝国と「香港返還交渉」を行ったとき、サッチャーさんに「明日にでも自力で取り返せる」と凄んだことは周知の歴史の一コマですが、当時の香港はアジアの金融センターとして確固たる地位を持っていました。

まだ経済的に未熟だったChinaはソレが欲しい故に「一国二制度」とかいう華をサッチャーと香港市民に呉れてやったのです(もう一点、将来の台湾吸収のための宣伝って意味合いも)。
China共産党政府は喜んで「一国二制度」を認めてるワケではありません。ぶっ潰せる機会を虎視眈々と狙ってる、といったほうが良いかもしれません。

香港返還式典

香港返還式典

だからこそ、非暴力の(合法的な)「雨傘革命」だった筈(最後のころは結構暴力的に見えましたけど)。
それをココまでやってしまったら「学生がやらかした権利擁護運動」では済まないように思われますし、China共産党や習近平にとっても、叩き潰さないと次々に同類が出てくる恐れがあります。

さて、と。電脳大本営本来の話にもっていきましょうか(笑)

そもそも、香港なんて大日本帝国の占領時の人口は60~70万人くらいだったんですよ。現在は700万とか800万とか言われていますけど、急増したのは「国共内戦」が激化して、共産党有利に展開するようになってから。
大東亜戦争中を描いた映画なんかで、香港を巨大な「魔都」のように描いているのを見かけますけど、ありゃ嘘っぱちです。60~70万の人口なんてタダの地方中核都市レベルです。まあ、それでも当時の南京よりはかなり多いけんどね。

つまり、香港住民の大部分はChina共産党を嫌って「英国領」に逃げ込んだ人々(の子孫)なんですよ。しかも、その中にはかなりの「悪人」もたくさん居ました。代表的なのが麻薬の売人であります。

阿片を吸引するChinaの人々

阿片を吸引するChinaの人々

清朝末期、Chinaには阿片が蔓延していたことは周知でありましょう。キッカケは、大英帝国が自国の植民地であったインドで栽培させたケシから阿片を作り、Chinaへ密輸して売りさばいたことにあったかもしれません。
これが阿片戦争の勃発原因となり、香港が大英帝国領になる遠因となるのでありますが。

よく考えてみましょう。大英帝国が貿易不均衡解消のために麻薬を違法にChinaに持ち込んでも、需要がなければ売れませんよね。

無知もあったのでしょうが、当時のChinaの人々は麻薬を受け入れて怠惰な生活を送りたい欲求を多量に持っていた、としか考えられないじゃないですか(差別発言じゃないからな、だれでも調べられる史実をもとに、普通に推定できる社会状況を書いているにすぎませんw)。

需要があれば、国内で売りさばく組織も出来てくるのが当然。
Chinaでは清朝末期から阿片(麻薬)密売組織が大きな力を持つように成長しました。China共産党は麻薬を認めませんでしたので、この密売組織の元締めたちは大挙して香港に逃げ込んだのであります。

満州国を見れば

同じようなことは、大日本帝国がChina人から満洲人(女真族)を解放してあげた「満洲国」でもっともっと大規模に起こっていました。

Chinaと麻薬と言えば、「阿片王」里見 甫(さとみ・はじめ)を思い浮かべる方もいらっしゃると思います。「南総里見八犬伝」の里見氏ですよ!超名門ですね。
超名門のボンが麻薬取引に手を染めやがって、などと短絡的なことを言わないの(笑)

阿片戦争での海戦

阿片戦争での海戦

里見はChinaの地下組織との繋がりや抜群のChina語力を見込まれ、帝国陸軍から特務資金調達のための阿片売買を依頼されたようです。
昭和13(1938)年3月には「阿片売買」のために三井物産と興亜院(占領したChina地域の行政などを主導する組織)の主導で設置された「宏済善堂」の事実上の社長に就任しています。

ここで、里見は上海でのアヘン密売を取り仕切った、とされているのですが。
里見が上海で連携していたのは「昭和通商」(三井物産・三菱商事・大倉商事の共同出資による商社で、実態は陸軍の特務機関)だけじゃなくてChina人の地下組織である青幇や紅幇などがメインです。

里見が歴史の日の当たらないところで蠢いて「いなかった」と言ってるんじゃないですよ。この人は戦後、皆さんの大好き?な「電通」をどういうわけか大きく成長させてますのでね、私も記事を書きたいと思ってる対象です。ただし、電脳大本営は陰謀史観がChinaやKoreaよりも嫌いですので(笑)

大日本帝国や帝国陸軍がカネのためにChina人に麻薬を売りさばいていた、などとパヨ系の歴史学者(と称するヌケサク)や、それを批判するアタマもないブロガーが主張するのでありますが、なんぼ麻薬でも不要なモノが売れると思われますか?

「アヘン王」里見甫

「アヘン王」里見甫

当時のChinaでは阿片をはじめとする麻薬が、日常生活で乱用されていて、需要がそれだけあった、ということなんです。帝国政府・陸軍の対応は後述いたします。

China大陸全土の話になってしまいましたけど、満洲に絞りましょう。満洲は当時China人軍閥の植民地みたいになっていましたから、軍閥ども(張さん一家とかね)が阿片を売りつけてカネをふんだくり易かったのです。

安倍晋三総理のジイ様である岸信介氏も、新進気鋭の官僚として満州へ渡っています。
岸はココで「官主導」と「民間主導」のバランスを取り、工業を中心とした「国づくり」の実験を行って一定の成功をおさめます。この経験こそが大東亜戦争後の我が国の復興に寄与したことは皆さまご存じの通りです。

岸はこの後に帝国本土へ帰って商工大臣となり、閣内から東條内閣の倒閣を策したりするのでありますが、その満州からの去り際の言葉が、ちょっと拙かったんです。曰く

「政治資金は濾過機を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過機が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから関わり合いにならない。政治資金で汚職問題を起こすのは濾過が不十分だからです」

岸信介

岸信介

純粋に聞けば、「汚いカネを受け取ったらアカン」ってことに過ぎません。ところが、これをパヨが読むと「濾過機を通す=麻薬密売で得た資金のロンダリング」になってしまうんです(笑)

岸祖父さんはこの時点では「役人」でありますので、堪忍してあげたいところではあるんですが。このころの高級役人は「政治家の供給源」というのが常識ですから、少し言葉を考えねばなりません。「トンビが鷹を産む」と言いますが、我が国の現在の総理大臣を見ると、「さもありなん」と思ってしまいまする。

麻薬専売制度

満州国が「独立」すると、満州国政府は阿片をはじめとする麻薬類を政府の「専売」といたしました。このことをもって、大日本帝国や満州国を「麻薬販売の利益で国家予算を賄っていた」などとdisる向きがありますが、阿呆を言うのも大概にして頂きたいモノです。

カネも仕事も殆ど持っていないChinaの民衆に麻薬を売りさばいて、どれだけの利益が上がるって言うのでしょうか?しかもその麻薬は輸入品がほとんどです。インド(大英帝国領だぞ)などからですけどね。

しかも、「麻薬専売は国際法違反だった」とかいう記述もチョコチョコ見受けます。どんな「国際法」なんですかね(笑)いつも言ってるように、「国際的に有効な法」ってのは二国間であれ多国間であれ、それは「条約」って形を取るものです。

条約である限りは、双方(か参加してるすべての国)が批准しなけりゃ発効しませんわな。批准は純粋な国内手続きですから、大日本帝国や満洲国が批准した記録が絶対に残ってる筈なんですけどね。見つけて来いよ、パヨチン。

奉天市街で満洲国の国旗が宣伝されている

「満洲国」独立と同時に国旗のパレードが行われました。この画像は奉天市。

大日本帝国が満州で「麻薬専売制度」を取ったのは、無知で無恥なパヨ珍聞が言うような「カネ目的」ではありません。逆に麻薬撲滅のためなのであります。

麻薬取引の悪いところは2点挙げられるでしょう。

一点目は麻薬には習慣性があって、しかも使用者のカラダを蝕んでしまうことです。国民に麻薬使用の習慣が広まってしまうと国の労働力を損なうことになってしまいます。カラダを蝕まれた労働者は税金を納めなくなりますから、国家の収入が減りますし、逆に「治療費」などがたくさん必要になって、この面でも国庫を圧迫します。

二点目は反社会勢力の資金源になることです。反社会勢力は税金を納めるかもしれませんが、社会のためにはなりませんね。

大日本帝国はこのあたりをしっかり理解していたようで、日清戦争後に併合した台湾では麻薬使用を漸減することに成功しています。

台湾は大陸からChina人(漢人)がたくさん流れ込んでいたのですが、この漢人に阿片が蔓延していたのです。清国本土は阿片戦争以来、阿片の取り締まりが厳しくなっていたので、阿片の常用者や販売組織が「化外の地」であった台湾に避難してきたのです。

これに対して大日本帝国が取った方策が「阿片専売」でありました。中毒になってしまった人々に、いきなり阿片の供給を絶ってしまえば、かえって社会もその人の健康も不安定になります。

そこで、既存のChina人阿片販売組織を排除して、台湾当局が専売権を握り、徐々に価格を引き上げて少しずつ阿片の消費を減らしていったのです。

この成功体験を、台湾と同じように中毒患者が流れ込んでいた満州でも活かす、というのは当然のことでしょう。

私が言ってるだけでは信じてもらえないかもしれませんので、これ以降はフレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ(Frederic Vincent Williams)というアメリカ人ジャーナリストの著書を紹介しながら、満州での「麻薬専売」について見ていきましょう。

良心的ジャーナリスト

フレデリック・V・ウイリアムズは1890年の生まれで、若いころは世界各地を放浪したり外人部隊に所属したりの冒険者のような生活をしていました。

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若いころの冒険で得た見聞を新聞紙上で公表するようになったことから、ジャーナリストとして飯を食うようになります。

日支戦争の勃発前からおもに極東情勢を取材し、その結果「共産主義」の危険性に注目するようになります。ウイリアムズは極東で「マトモな国」は大日本帝国だけであることに気が付くのでありました。

ただし、彼はジャーナリストとしての良心を豊富に持っていましたから、取材は公平に行っています。ウイリアムズの代表的な著作である「Behind the news in China(邦訳版は「中国の戦争宣伝の内幕」と言います)の序文を見てみましょう。

私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。

上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下し朝鮮、そして日本に行ったのである。

それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。
私は両方を見た。

世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。


いかがでしょうか、本文の方も読みたくなりませんか?

この本の第七章は『「阿片を蔓延させる日本」というプロパガンダ』と名付けられています。
ウイリアムズは「阿片を蔓延させているのはChinaである」とハッキリ言い言っているのであります。
少し長くなりますが、引用を続けます。どうかじっくり読んでみてください。

日本を悪しざまに言う顕著な作り話の一つは、外国政府の公文書の中にさえ見出されるようになっている。かつてはジュネーブの会議で作られ、今はランチの席で、都市の講演会で、公的なところ、その他で軽口のように話されている。

彼らはもっと知るべきだし、努力すればできるのだ。顕著な作り話の一つというのは、最初は満州でそれから北支において、(大日本帝国が)麻薬の使用を奨励し、助長しているということである。
私が昔サンフランシスコの新聞社で働いていた時期のことであるが、東洋からアメリカの港、それから我が国のチャイナタウンへと向かう暗黒街の麻薬のルート追跡という情報を追っていたことがある。近年になってからChinaや満州で、私は麻薬製造やその流通の源に到達して真相を突き止めた。

まず初めに言っておくが、近年誰もChina人が阿片を使うということを教えられてこなかった。彼らの多くがこれに熟達している。多くの麻薬常習者がいるからといって、これはまったく彼らの欠点と言うわけではない。
軍閥、つまり軍人兼政治家たちがこれに肯定的なのである。二三の軍閥だけというわけではない。省を支配する将軍たちは実際に麻薬を使い、阿片を吸う。それに熱中しており、習慣になっている。

日本がやってきて軍閥を武器で追い払った満州事変のときに、多くの特派員たちもやってきた。彼らは中国の将軍たちがくつろいで阿片のパイプを吸っている所で、戦いの進展の報告を聞いていると書いている。

 

当時のChinaの実態を知らないとビックリしそうですが、(満州事変以前は)満州地域も含めて、China大陸は軍閥乱立のいわば群雄割拠状態でした。その大なるモノが国民党(蒋介石)であり、張作霖ー張学良親子であり、China共産党であったのです。
「日本がやってきて軍閥を武器で追い払った満州事変」というウイリアムズの表現で、彼の取材と情勢認識の正しさが良く判るでしょう。

昭和35年、蒋介石と根本中将再会

麻薬組織のボスでもあった蒋介石 
案内しているのは根本元中将(昭和35年の訪日時)

 

蒋介石はかつては阿片の最大の商いをしていたことで特に実績があった一人で、さもなければ常習者だった。そして今度の事変が始まってからでさえも、莫大な量の阿片を隠し持っていると言われている。
1937年から翌年にかけて、蒋介石の人気が新聞やアメリカ、その他の世界の一部で絶頂にあったとき、Chinaでは哀れな苦力たちの処刑が広く公開されていた。彼やあるいは側近の配下の兵隊によるものである。

時に北京では、阿片常習の罪で「逮捕」された苦力たちであった。
私は彼らが死ぬところを見たことがある。ひざまずき、死を予感して北京城外の日干し煉瓦の壁の前にいた。兵隊たちが後ろに近づき、彼らの頭をポンと撃った。犠牲者は顔を前に倒れていく。手は後ろに縛られていた。

それは良い宣伝だった。本当に外部世界には恐ろしい宣伝である。しかし、それは多くの人々の心に最近になって植え付けられ、広められたアイデアであったのだ。

「新しい政府」は常習者の命を犠牲にしても、麻薬売買を抑圧する決定をしたというわけである。

蒋介石は阿片の売買で資金(の一部)を賄っていた、というわけですね。

売人蒋介石、麻薬を禁止する(笑)

しかし、Chinaを統一支配できる目途が付いてくると、表向き阿片の常用を禁止してしまった、それも使用者の「公開処刑」という極端な手段を使って、です。

まあ、「さもなければ常習者」はちょっとマトモには取れませんけどね。筆が滑ったってところでしょうか。そして次の文章が大問題であります。

Chinaの陰気な群衆は自分のかわいそうな友人たちの処刑を目撃している。そして処刑は抑止効果があると思わせられた。

しかし実際問題としてまもなく、撃ち殺されるのを見て彼らが自分の家に戻ったとたん、処刑を命じたまさしくその軍閥や役人の手先どもがちょこまかちょこまか小走りに人々阿片を売り歩いていたのである。

このようにして三週間もすると、別の一群の「吸引者」たちが駆り集められて、撃たれ、写真に撮られ、死んだことが海外の新聞に出る。
彼らの多くが最近の吸引者であることは疑いない。しかし鎮圧を命じ、使用者を死に至らしめたあの役人どもの手先によって、麻薬商売は続きに続いているのだ。

いったん阿片常用者を処刑すると、新しい常用者を「開拓」してカネ儲けして、また処刑。これは日本人にはあり得ない発想です。やられる方もどうかとは思いますけれどもね。
で、この処刑の画像が大日本帝国軍のChina大陸での蛮行の証拠写真、なんて使われ方をするワケであります。

まあ、そんなChina大陸の一角の「満洲」。漢族の土地ではなく、女真族が遊牧を行っていた清朝の故地「満洲」を大日本帝国陸軍(の一部)が漢族から解放したのが「満州事変」の実態なのです。

そして満洲の地を五族(日本・女真・モンゴル・半島・China)協和の王道楽土としようとするのです。日本が行政の主導権を握ったことによって、満洲国に掛けた理想を理解せず、「日本の植民地にしたのだ」というのがパヨチンの主張ですが。

女真族がChinaの漢人たちを支配した「清朝」でも、中期以降は漢人たちが行政権を握っていました。女真族が支配という仕事を漢族に投げてしまったからです。

清の建国の祖ヌルハチ

清の建国の祖ヌルハチ

失礼を顧みずに言ってしまうと、当時の女真人たちには、近代国家を運営していく能力に欠けていました。人としての能力全体が欠乏していた、って意味じゃないですよ。
ですから、現地の人たちが自分たちの土地を運営する能力を身に付けるまで「先進国」が代わりに統治してあげよう、ってワケです。

で、こういう考え方は第一次大戦が終わり、ドイツ帝国の植民地を解体するに当たって、国際連盟でも採用されていましたから、当時の国際標準なんです。パヨにとやかく言われる筋合いではありません。

日本人が入ってくる前の満洲は麻薬中毒者であふれていた。その製造と使用は大きく広がっており、公的に認められていた。しかしその製造と消費について何の記録も統計もなかった。

軍閥が追放されてから、日本が新満洲帝国の建設を始め、満州人の血統を持つプリンスが王座に就いた。
日本人が最初にやったことは麻薬売買の記録を正式に作ることであった。覚えていて欲しい。これは満洲で全く初めて作られたのである。

そして長い間の使用の結果の、驚愕すべき堕落の実態が完全に明らかにされたのである。平行して、出生・建築・病院・住宅・政府の各役所の記録が作られていった。これは法と秩序、治安と安定を確立させるためであった。

日本はこれらの発見を誇りに以って世界に発信した。しかし世界はおおむね学校や病院その他の数とかに目をやらなかった。国際連盟のあるジュネーブやアメリカは特にひどかった。

日本人は金字塔を立てていたのだ。

しかし、の麻薬統計資料を読まれておお喜びされ、日本は野蛮人であるかのように噛み付かれた。

これらの日本の敵は、世界に向けて彼らの「新発見」を言い立てたのである。それまでは攻撃のしようにも何もなく、できなかったからである。

満洲での麻薬中毒とその使用を止めさせるための叩き台を作るというアイデアに基づいて滿洲の日本人の骨身を惜しまぬ努力によって集められた統計は、これらの偽造者によって反日の材料に使われたのだ。その一人は現在もジュネーブの国際聯盟の代表の一人である。

彼はかつて日本でタイプライターを売っていたが、何か妨害行為をしたかの理由で国外追放になった人物である。驚愕と痛みもいくらか感じながら、日本は自分たちが作ったリハビリテーションのための仕事が、自分たちに襲い掛かってくるのを発見した。

日本人は宣伝が下手である。

逆襲する代わりに彼らはすねた。もし西洋世界が自分たちのしていることが理解できなかったのなら、「くたばりやがれ」というものだ。
日本人のまさに沈黙は、数百万の新聞社の目をぎくりとさせるような見出しとなり、彼らの明らかな罪悪の証拠として受けとられた。

Chinaというか蒋介石の一味(敵対しているChina共産党までも)は、大日本帝国に満洲を「盗られ」て有効な対応ができないほど弱体でありましたが、悪知恵だけはイッチョマエでありました。
すなわち、実際に吸引をやって麻薬まみれになり、自分たちが支配している人民から税金以外に麻薬代金も巻き上げているくせに「大日本帝国が麻薬を広めている」と宣伝することにしたのです。

China人どもは悪臭フンプンの悲しげな嘆願書のようなモノを世界に発信しやがりました。
「大日本帝国はChina人に阿片を吸い、ヘロイン、コカインを使うようにと薦め、Chinaの精神とモラルを破壊しようとしている!」
ってな内容です。
Chinaで暮らす事情通の外国人(特に西洋の)には、これはタダのジョークだったでしょう。南京政府にとっては、しかしコレはいつかバレるであろう悪行からの逃げ道でした。そのうえ「反日」のための絶好のプロパガンダ素材でありました。一石二鳥、使わないワケがありません。

誇り高く、誠実な日本人はChina人どもの単純な誤魔化しと宣伝によって、犯してもいない罪を背負わされ、世界から非難されることになってしまったのです。

もちろん、全ての日本人が満洲で麻薬に係わっていなかった、と言うわけではありません。いえ、本土(大日本帝国の元々の領土)から満洲に渡った人達の中には、「一旗組」がたくさん含まれていましたから、麻薬の売買に手を染める人も多くいたはずです。って言うか麻薬の売買のために満洲に渡った人もいたはずです。

でも、だからと言って大日本帝国そのものが非難される筋合いはありません。…とちゃんとウイリアムズも言っています。

ほかのどんな国民と比べても、日本人ほど女性や麻薬の売買を忌み嫌う国民はいない

しかし日本が満州を「占領」した後まもなく、若干のこういった連中や軍に随行する売春業者が入り込んできた。我国(アメリカ)で南北戦争に南部に入り込んだ一旗者と同じである。
こういったごろつきがいたことは日本も認めている。
彼らはChinaの軍閥が残していった麻薬取引などを引き継いだ。しかしそれは若干名であり、その取引量において「麻薬中毒習慣をChinaや満州で広めている」などと日本の国や政府を責めるぼどのものではない。

それにもかかわらず世界中の善男善女は、恐怖に陥って思考停止になったままで、「日本が哀れな国を征服しただけでなく、人々に阿片吸引を押し付けている」と信じ込んだ。

実際の問題として「満州国」としての満州は日本がスポンサーであり、Chinaやロシアの支配した時代よりはるかに素晴らしい改善を示めしている。
以前の「ご主人様の意のままだった満州」の人々のひどい恐怖を日本が解放しなければ、満州は再び軍閥に強姦され、匪賊に蹂躙されるのだ。

満州を繁栄させ、平和にし、満足できる国にすること、これは大日本帝国の独創的なアイデアであった。

皆さん、フレデリック・V・ウイリアムズなんてジャーナリスト、ご存知なかったでしょ?でも、現代のパヨチンメディアなど、足元にも及ばぬほどちゃんと取材して、バイアスの全く掛かっていない著作を書いてることはお分かりいただけると存じます。

そのウイリアムズが、でありますね。

日本人は宣伝が下手である。

と、何度も何度も書いています。ウイリアムズは「反日」の気分が盛り上がりつつあるアメリカ合衆国でこんなことを書き続けていましたから、真珠湾攻撃が起きた後に逮捕され、16ヶ月から4年という不定期刑を言い渡されてしまいました。

そんなつらい経験を持ちながら、ウイリアムズは大戦争に敗れて廃墟と化した日本を再び訪問しています。彼は日本では特に望んで長崎を訪れ、1956年に“The Martyrs of Nagasaki“(長崎の殉教者)という本を出版しています。

ウイリアムズの誠実なジャーナリスト魂が感じられるではありませんか。

さて、香港の民主化との繋がりでありました。電脳大本営は麻薬に着目したのでありますが、満洲も香港も「素行の悪いChina人」が悪の元凶だ、ってことは間違いありますまい。

現代の香港では「素行の悪いChina人」とは、おそらくChina共産党がデモに忍び込ませた「垢の手先」でありましょう。
*7月2日のフェイスブックでは私の敬愛すべき友人が一足先にこの危険を指摘しておられます。

香港の愛すべき抵抗者たちよ、Chinaの宣伝に負けるなよ。世界からの、就中私たち大日本帝国じゃない日本国の援助が確定的になるまでは、暴力は控えるんだ。

前回も書いたけど、その日は決して遠くないから。われら日本人も上手な宣伝を忘れずに、China滅亡まで戦いましょう。

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