97式戦闘機

ビラも放送も情報戦のウチ

2020/09/17

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大東亜戦争においては、ミッドウェイ攻略作戦が事前にバレていたように、「情報戦においては大日本帝国の完敗」と言うのが大方の評価になっています。

皇軍伝単10悪魔はルーズベルト大統領

皇軍の「伝単「」
悪魔はルーズベルト大統領の顔です

 

電脳大本営としては情報を「インフォメーション」と「インテリジェンス」に分けて考えていますから、「完敗」とは言えないんじゃないかな?と言うのが見解でありますが。

今回はそこまで堅く考えず、画像中心に遊び気分も多少入れて、情報戦を考えてみます。

戦場ビラは美麗イラストが満載

大東亜戦争開戦前の昭和15(1940)年8月、帝国首都の神田・淡路町にある「荒井ビル」3階に、とある事務所が開かれました。

この事務所には「田中商会」と言う看板があがっていましたが、無論カモフラージュです。

「田中商会」は日本陸軍参謀本部の秘密組織「伝単部」の事務所だったのです。

「伝単」とは、敵に対して投降をすすめたり、厭戦気分を醸し出すためにバラ撒く宣伝ビラの事です。

大日本帝国はインドやビルマにおいて、現地の人とイギリス人を離反させるため、オーストラリアではオーストラリア人とアメリカ人を反目させるための「絵入り伝単」を作成してバラ撒きました。

逆に英米軍の「伝単」は我が国内にも撒かれて、結構知られていますが、文章主体の面白みの無いものでした。

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上のビラは英軍がビルマで撒いたモノですが、皇軍のビラと比べるまでも無く、面白くもなんともありません。

ただ、食料不足に苦しむ皇軍兵士の食欲を刺激しやがって、非常にいやらしいモノです。

それに対して、大日本帝国が作った伝単は目立つようにカラー刷りでイラスト入りでした。

折り曲げると支那兵が婦女暴行しているところが見える、リアルなエロ伝単も作られました。

皇軍伝単 きわどい米軍向け

皇軍伝単 米軍向け

 

しかし、これは40万枚も刷って6万枚ほどバラまいたところで、軍司令部から「皇軍の威信を傷つける」と言う理由で散布禁止になってしまいました。

 

皇軍伝単7南方米兵向け女性が誘っている

皇軍伝単
南方戦線米兵向け
女性が誘っている

 

「田中商会」じゃねぇ、「伝単部」は日本に亡命していたインド独立運動の闘士のチャンドラ・ボースや、ビルマ独立軍のタキン・オン・サンなどにも協力を依頼し、伝単用の宣伝文を書いてもらいました。

『まず宣伝対象になる土地の風俗、習慣を研究しなければならない。絵にかいて現地にばらまくのだから、帽子から、着物、はきものにいたるまで、正確に、現地で使っているものの感じが出なければ、現地人に信用されない。』

とは、「田中商会」で伝単製作にあたっていた当時の人気イラストレーター、大田天橋さんの回想です。

皇軍伝単3ガダルカナル米兵向け

皇軍伝単ガダルカナル米兵向け
白い部分をくりぬいて指を突っ込んで遊ぶんだそうです(笑)

 

ビラそのもののデキも、品位も大日本帝国の圧勝ですよね。

さて、ココからが本題。
主人公は日本人ではないんですが、大日本帝国のために働いてくれたことは間違いありません。

ラジオでも完勝

伝単(戦場ビラ)の他に、ラジオも宣伝に使われました。

コチラも犬HKことNHKが帰国子女などをパーソナリティに据えた「ゼロ・アワー」という番組が、米兵に大人気となって大日本帝国の圧勝です。

番組の内容をみると、
「日本軍の捕虜になったアメリカ軍兵士が、連合国軍兵士に向けて呼び掛ける」
というのがスタート当時のメインだったようです。

しかし、番組中でもっとも米軍兵士の気持ちを掴んだのは、「女性アナウンサーが魅惑的な声で連合国軍兵士を茶化す」というコーナーでした。

この英語を操る女性アナウンサーたちは「東京ローズ」と呼ばれるようになりました。

彼女たちの発言内容に「トゲ」がある(茶化してるんだから)ので、《バラ》と呼ばれるようになった、って説もありますが、裏は取れてません。

如何に棘をいっぱい付けても、受信側が余裕たっぷりでしたので、送信側の意図とは違って「ご褒美になっちゃった」感が強いですね。

「美しい声で挑発的なセリフを言われる」という、ちょっとマゾヒスティックな「楽しみ」は、かなり米兵に浸透しちゃったようで、ダグラス・マッカーサーも番組を聴いた記録があるようです。

この「ゼロ・アワー」は昭和18年3月に放送が開始され、なんと最後の放送は昭和20年8月14日。
アメリカ軍が大日本帝国の占領を開始したのが8月28日。

「東京ローズ」は実際には複数人のパーソナリティでしたが、戦後すぐに「犯人捜し」が行われたほど、アメリカ軍に対する影響は大きいモノでした。

以下、ユーチューブからのパクリですが「東京ローズ」が進駐軍兵士を道案内(道案内を申し出る)する場面の「メイキング動画」です。何度も撮りなおしています。

この画面にある「09-09-1945」が実際に撮影された日だとすれば、米軍は上陸して2週間ほどでこんな映像の必要性を認識した、って事になります。

 

 

ローズ「お手伝いしましょうか? デパートが2ブロック先を左、その次のブロックを右に行った所にあります。そこへ行けば日本製品が買えるはずです」

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水兵「英語、お上手ですね」

ローズ「ありがとう」

水兵「なんだか聞き覚えがある声ですね」

女性「船中で聞かれて覚えていらっしゃるんじゃないですか?」

水兵「船中で…?東京ローズ?ありがとうございます」

ってな会話で水兵が去って行きますな。

実際の放送でも、しょっちゅう
「アメリカ軍の兵隊さん、お船は快適?今のうちにイッパイ寝ておいてね。沖縄に上陸したら、寝られないわよ。」
みたいな放送してますから、船中で聞く女性の声=東京ローズなんです。

このメイキング動画が、米兵の鑑賞に堪えるレベルで完成したのか、米兵の教育用?に放映されたのか、は全く不明であります。

ただ「東京ローズ」は、本人です。

実際の東京ローズは前述のように「複数の女性」が担当していたのですが、堂々と名乗り出たのは、ここに登場している
「アイバ・トグリ・ダキノ(戸栗郁子)」さん
だけだったのです。

さて、この動画の後半(6分50秒過ぎ辺り~)には戸栗郁子さんへのインタビューも採録されています。

動画はラジオのオープニングの定番セリフを言わされるところから始まっています。

インタビュアー「米海軍で『東京ローズ』として知られていたあなたのことをもう少し教えてくれませんか?」

戸栗さん「何を話せばいいの?」

インタビュアー「どこから来ましたか?」

戸栗さん「カリフォルニア州のロサンゼルスからです」

インタビュアー「何歳ですか?」

戸栗さん「29歳です」

インタビュアー「東京にはどのくらいいますか?」

戸栗さん「えーと、4年です」

インタビュアー「戦争が終わって、日本人としてもアメリカ人としても嬉しいですか?」

戸栗さん「そうですね」

インタビュアー「ありがとうございました、東京ローズ」

ココまでは、アホらしいくらいに「何も聞いてない」インタビューですが、こちらも何テイクか撮っています。そして…

えっ、コレってなんのインタビューなんだ?

テイク5くらいで、インタビューは新展開?を見せています。

インタビュアー「務めてる放送局は何処ですか?」

戸栗さん「ラジオ・トウキョウです」

犬HKのマイクに向かう東京ローズ

犬HKのマイクに向かう東京ローズ

 

インタビュアー「アメリカの放送局じゃないのですね?」

戸栗さん「違います」

インタビュアー「結婚してますか?」

戸栗さん「はい、結婚しています」

インタビュアー「いつ結婚されたんですか?」

戸栗さん「3ヵ月ほど前ですかね」

じつは戸栗さん、この年(昭和20年)の7月に日系ポルトガル人の男性と結婚したばかりです。

これで映像は終り。

この部分も米軍向けに流されたのかどうか?全く判りません。
ですが、内容的にはまるきり政治性を離れて「興味本位」です。

東京ローズはある意味「米兵のアイドル」になっていましたから、このようなインタビューもアリなのかも知れません。

また、この映像(後半の)がアメリカの従軍記者との取材独占契約によるモノって説もありますが、どうも違和感があるんですよね。

収監された東京ローズ

収監された東京ローズ

 

で、この「インタビュー」の後ほどなく、東京ローズはGHQに「反逆罪」容疑で逮捕され、巣鴨プリズンに11か月もの間収監されてしまうのであります。

 

戸栗さんはインタビューにお答えになっているように、カリフォルニア州ロサンゼルスのお生れ(1916年7月4日、なんと何処かの独立記念日じゃないか!)。

ご両親は大日本帝国の出身でも、アメリカに帰化している「日系2世」でありました。

ロサンゼルスの大学に在学していた昭和16年7月に、叔母シズさんの病気見舞いのために、来日していたものです。

戸栗郁子さんのアナウンス場面です

 

戸栗さんは「アメリカ人としての教育」を受けていましたから、当時の大日本帝国の社会には馴染めず、早く「帰国」したかったようです。

ただ、滞在予定は半年でしたし、12月にはご存知のように簡単に帰国できる状態では無くなってしまいます。

戦争が始まってから、昭和17年6月と昭和18年9月の二回、日米間に「交換船」が運航されていまして、戸栗さんもこのフネでのアメリカ帰国を申請したのですが、果たせませんでした。

ただ、アメリカ国内では「日系人の強制収容所送り」が実施されていましたから、帰らない方が良かったと思われます。

裁判

日本に残らざるを得なかった東京ローズこと戸栗郁子さんは、生活のために犬HKの放送でアナウンサーを務めることになりました。
当局からは何度も「日本国籍に」と勧められたのですが、すべて拒否しています。

このことが、アメリカの法律に抵触する原因となってしまうのです。

法廷での東京ローズ

法廷での東京ローズ

 

「アメリカの国籍を持ったままで、アメリカ軍の戦意を阻喪させるための謀略放送のアナウンスをしていたのだから、反逆罪だ~!」
ってな言いがかりに近い理由で、巣鴨プリズンに一年弱収監され、その後米本国に移送されて「国家反逆罪」で起訴されてしまいます。

判決は昭和24(1949)年9月29日。

「東京ローズ」の上司であった参謀本部・恒石重嗣少佐などが弁護側証人となり、
「戸栗郁子さんにはアメリカ兵の戦意を喪失させる意図はなかった」
等と主張したのですが、認められずに有罪となってしまいます。

言い渡された罪状は禁錮10年・罰金1万ドル+アメリカ市民権剥奪。
女性としては、アメリカ史上初の国家反逆罪と言われています。

この判決は、裁判が当時反日感情の強かったカリフォルニアで開かれ、陪審員がオール白人だった、など「東京ローズ」に不利な条件下で行われていましたので、判決直後から疑問の声が上がっていました。

しかし、戸栗郁子さんは従容とこの判決に従い、6年2ヶ月間の服役のあと、模範囚として釈放。
父の経営する輸入雑貨屋で働き続けたそうです。

東京ローズの名誉が回復されたのは1976年。

裁判で不利な証言をした元上司2人(日本人)が
「証言は事実でなく、FBIに偽証を強要され、リハーサルもやった」
などと告白し、コレを受けて翌年に(退任直前の)フォード大統領に特赦されたのです。

ジェラルド・フォード

来日したときのジェラルド・フォード大統領

 

コレで戸栗郁子さんとしてのアメリカ市民権は回復されたのですが、「東京ローズ」としての名誉回復にはさらに30年が掛かります。

2006年1月。アメリカ在郷軍人会が戸栗郁子さんを
「困難な時も米国籍を捨てなかった愛国的市民」
として表彰したのです。

退役軍人の日のパレード

アメリカ退役軍人の日のパレード

 

「東京ローズ」(の一人)としてアメリカ軍兵士を魅了した戸栗さんにとって、その兵隊さんたちに
「反逆者どころか、頑張ったじゃん」
と言ってもらったことは最高の名誉だったのかも知れません。

戸栗さん、この8か月後に永眠。

しかーし、電脳大本営の怒りは残る。

東京ローズのお一人である、戸栗郁子さんは軍籍には無いにもかかわらず、敵の戦意を喪失させるために大いに働いてくださった「アメリカ人」であります。

アメリカでアメリカ人としての名誉が回復され、退役軍人会からは表彰されたのに、我が国は何もしないのでしょうか。

死後になってしまいましたが、今からでも(遅すぎますが)勲章を差し上げるべきです。

我が国に大量の爆弾を落とす作戦を遂行しやがった奴にくれてやる勲章があったら、東京ローズ(並びに目立たぬながら、全力で大日本帝国を支えて下さった下士官・兵・軍属・民間の人々)にこそ、帝国の勲章は差し上げるべきであります。

儂、コレが、いっちゃん腹たつねん。

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