フィヨルドに憩うシャルンホルスト

呪われた?巡洋戦艦シャルンホルスト

2017/08/15

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『シャルンホルスト』は第2次大戦直前の1939年1月に竣工した、ドイツ第三帝国の最新鋭巡洋戦艦です。同形艦には『グナイゼナウ』があり、2隻は良く行動を共にしていました。

優美な巡洋戦艦シャルンホルスト

シャルンホルストの進水は1936年10月3日。竣工は1939年1月7日。排水量(満載)38,000トン、速力32ノット、全長230m、全幅30m。28cm54.5口径の主砲はわが大和型と同様に3連装砲塔3基に収められて前2、後1の配置。

主砲口径は他の戦艦に比して貧弱に見えますが、そこは伝統的に優秀な火砲を造るドイツのフネ…。
水線上の装甲も350mmでクラスの並以上、垂直防御こそやや薄いような気もしますが、ドイツ伝統の通商破壊用「巡洋戦艦」ですから高速力を利しての戦いには問題なし。

純白のシャルンホルスト

純白のシャルンホルスト

船体は純白に塗られ、これまたドイツ伝統のシャープなシルエット。第三帝国は水上艦艇を大小構わずによく似たシルエットで設計しているんですが、例えばビスマルクと比べても『シャルンホルスト』の方が優美に見えます。沢渡の贔屓だ、って言われればそれまでですけど。

呪われた?という伝説

兵器の、特に軍艦のカッコ良さにはうるさい電脳大本営に認められた美しさを誇るシャルンホルストには、美しすぎた故か?おどろおどろしい呪いの伝説が纏わりついています。

呪いの伝説が多すぎて「幽霊戦艦」とまで言われるほどなのです。
それは、早くも建造中から始まりノール岬でイギリス艦隊にボコボコに撃沈された後まで続いています。

しかし、電脳大本営的に申し上げれば『シャルンホルスト』はまれにみる幸運艦であります。それも大日本帝国の幸運艦『雪風』を大きく上回る大幸運の持ち主なのです。
沈められちゃったのに、激烈な太平洋の戦いを無事に生き延びた『雪風』よりどうして幸運なんだ、っていうお叱りが聞こえてきそうですので、順に説明申し上げることにいたしましょう。

電脳大本営が発見?した「シャルンホルストの奇跡」を最後に紹介させて頂きますので、お付き合いのほどをお願い申し上げます。

1940公試に出動する雪風

幸運艦なのか不幸艦なのか?雪風1940年撮影

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ヴェルサイユ条約破棄

第一次大戦を国内事情から「敗戦」で終えたドイツにとって、ヴェルサイユ条約は莫大な賠償金と厳しい軍備制限を伴う大変に過酷な物でした。

海軍は潜水艦と航空母艦の保有は禁止、保有できた旧式艦の代替は許されたものの、代艦は1万トン、28センチ砲以下の条件など。

ドイツ海軍は巧妙に英仏の目を誤魔化して新鋭艦の建造を進めていました。
ナチス党が政権を握ると風向きが変わり、1935年3月には遂にヴェルサイユ条約を破棄、大型艦の建造が可能になりました。

そこで計画された大建艦計画「Z計画」の中に、シャルンホルストとグナイゼナウの姉妹もあったのです。

船体建造中に事故多発

シャルンホルストの建造はヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠でおこなわれたのですが、船体を建造中に船体がいきなり横転した、という話があります。
作業に当たっていた工員60人がその下敷きになって死亡、110人が負傷。そして船体を再び起こすのに3ヶ月以上もかかったとも。
船体横転の他にも、建造中にボイラーが幾度も爆発事故を起こして死者を出し、艦長になる予定だった士官が心臓発作で突然死。
シャルンホルストは産れる前から呪われていた?というのが呪いその1。

でもね、シャルンホルストの建造過程は大型艦としてはきわめて順調だったようです。起工後に一時建造が中断した時期がありますので、そのことが歪んで伝えられたんじゃないかと思われます。
タービン機関の不調はドイツ軍艦の泣き所みたいなモノですが、爆発はしていません。また、シャルンホルストの初代艦長は病気のために短期間で艦を降りています。就任前に死んではいませぬ。

進水式で洗礼役の少女が謎の死

シャルンホルストの進水式は1936年10月3日に執り行われました。
白く塗装された船体に何重ものベールが垂らされ、ヒットラーやゲッペルスなどナチスの重鎮を始め市長や海軍代表から祝辞がおくられ、独逸国を上げての祝賀ムードが工廠を包んだのでありました。
ヨーロッパでは船の進水の際、女性が洗礼を授け祝福の言葉を述べて航海の安全を祈る習慣があったそうです(洗礼云々の表現は宗教的に正しいかどうか存じません、沢渡の勝手な表現です)。

シャルンホルストの洗礼役は抽選で14歳の少女が選ばれたそうです。

ところがこの少女が進水式からわずかに数日後、不思議な文字を書き残して自殺してしまったのです。不思議な文字とは「ルーン文字」で「私は魅せられました」「護りなさい」と書かれていた、と言われています。これが伝説2。

初代シャルンホルスト(装甲巡洋艦)

初代シャルンホルスト(装甲巡洋艦)

でもね、実際のシャルンホルストの洗礼親はちゃんと判っています。
先代の「装甲巡洋艦シャルンホルスト」最後の艦長だったシュルツ大佐の未亡人、たぶん進水式のころは50歳を過ぎてるオバハンなんです。
14歳の美少女じゃなくてすみませんね。勿論このオバハンは自殺なんかしてませんよ。

なお、「装甲巡洋艦シャルンホルスト」はWW1のフォークランド沖海戦でイギリス艦隊に待ち伏せされて姉妹艦グナイゼナウとともに撃沈されました。このときのドイツ艦隊の司令官がシュぺー中将。

シュぺー中将

シュぺー中将

WW2の装甲艦(ポケット戦艦)「アドミラル・グラーフ・シュペー」が南米で自沈に追い込まれるのには、因縁があったんですね。

しかし、伝説側はまだ諦めないようです。
シュルツ大佐未亡人に祝福されて船台を滑り出し無事水面に浮いた『シャルンホルスト』。
当然岸壁に係留されて工事が続くわけですが、不思議なことに船体が岸壁を離れて沖に流されてしまった、というのです。『シャルンホルスト』は自らに繋がれていた飾り船を、その乗組員もろとも海中に沈めてしまったのでした。呪いの3です。

グナイゼナウ

グナイゼナウ
シャルンホルストと一緒じゃん?
良く見てくれ、儂にも判らん。心配いらぬ、長門と陸奥の違いが判るドイツ人など居らんからな。

 

いやいや、これはおそらく姉妹艦グナイゼナウの進水式のエピソードでしょ。
グナイゼナウは船台から滑り降りた勢いで、反対側の岸にぶつかっています。シャルンホルストの進水式は平穏でした。飾り船云々の話は良く判りませんが。

霧に消えた巨艦

やがて竣工(1939年1月7日)した新鋭巡洋戦艦『シャルンホルスト』は単艦で静かにキール軍港を出撃、霧の北海に姿を消してしまいました。
イギリス海軍はこの新鋭巡洋戦艦の行方を掴もうとして偵察機を派遣しました。しかし、放った偵察機の半分が霧の中に行方不明になってしまったのでした。あまりの被害の大きさに、イギリス軍は追跡を諦めたのでした。呪いの4.

このエピソードは1940年2月の「ノルトマルク」作戦(ヴィルヘルム・マルシャル提督指揮でグナイゼナウ等と船団攻撃に出撃、戦果なし)だろうかと思われます。霧で偵察機が大量に遭難しちゃったって事でしょうが。
ダンチッヒの町を砲撃する任務を受けた『シャルンホルスト』は、砲撃を加えようとした瞬間に突然砲が暴発。主砲員9人が死亡。
そして更に別の砲塔では空調設備が故障して12人の兵が窒息死しました。呪いの5。

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これは事実かも知れません。あってはならぬ事ですが、現実には軍艦では良くある話です。

イギリスに祟ってるよね

ここで確認しておきます。『シャルンホルストの呪い』の話でしたよね。
呪い派の主張はさらに続きます(笑)

中立国ノルウェーに攻め込んだ(ヴェーザー演習作戦とそれに続く一連の戦闘じゃな)時です。
イギリスは小国ノルウェーを救援すべく(沢渡的に言えば、スウェーデンの鉄鉱石輸出ルートを止めるためじゃん、勿論ドイツ向けの鉄鉱石じゃ)戦艦や空母からなる精鋭艦隊を派遣したのですが、そこに『シャルンホルスト』を含むドイツ艦隊が立ちふさがったのです。これで救援が遅れた為にノルウェーはドイツに降伏(史実とはちょっと違う気がしますが、ここは流します)。

グローリアス1930

1930年のグローリアス 艦首がちぎれてるわけじゃないですよ。 我が龍驤と同じ理屈です(笑)

ノルウェーに駐留していたイギリス陸軍部隊は、霧に紛れ空母『グローリアス』と輸送船隊で脱出を試みました。
その時、『シャルンホルスト』が音もなく現れたのです。シャルンホルストの砲撃で『グローリアス』は撃沈されてしまいました。呪いの6。

その後『シャルンホルスト』は、イギリス軍の必死の捜索をかわして大西洋に進出しますが、イギリス軍の追っ手や偵察に何故か捕まりませんでした。
そして、イギリス本国から世界中の戦地へと向かう輸送船団の前に現れては10万トンもの艦船を葬り去ったのでありました。呪いの7。

英仏海峡

シャルンホルストの奮戦でもドイツの戦況は悪化してしまいます。
シャルンホルストなどの主力艦隊は、ドイツが占領していたフランスのブレスト軍港にいたのですが、このままでは封じ込められてしまう恐れが出てきました。ドイツ海軍は艦隊を本国に戻そうとしていました。

ブリテン島を大きく北側に回ってドイツに向かうルートが一番安全だと思われました。しかし、英軍の哨戒圏を長い間航海する事になってしまいます。その上、敵艦隊の大根拠地、スカパ・フローの目の前も通らなければなりません。

ドイツ海軍は「英仏海峡突破」を選択しました。

シャルンホルスト、グナイゼナウ、重巡プリンツ・オイゲンと駆逐艦6隻は白昼堂々、英仏海峡に向かったのでありました。
イギリス海軍は大慌てで魚雷艇や駆逐艦をかき集め、空軍にも応援を求めて追いすがったのですが、ドイツ艦隊は本国に逃げ帰ってしまいました。

プリンツ・オイゲン1940

プリンツ・オイゲン1940

 

プリンツ・オイゲンの活躍はコチラ

英仏海峡を敵艦隊が通り抜けるなどという事は大英帝国にとっては屈辱以外の何物でもありません。これ以前にはスペイン無敵艦隊に許したことがあっただけなのです。呪いの8。

う~む呪いの6から8までって『シャルンホルスト』の武勲なんじゃねえのか?基本的に事実だけど、不幸とか呪いとかじゃないぞ。
どっちかって言うと幸運のエピソードに思えるけどな。

クリスマス・イブの奇跡

英仏海峡突破で気を吐いたものの、ドイツの戦勢は日に日に傾きます。

シャルンホルストの僚艦も次々と失われてしまいます。シャルンホルスト自身も、1943年暮れにはノルウェイのアルタフィヨルドに潜み、出撃することもなくなってしまったのです。
北極圏に近いここでは、冬の間に晴れることなどめったにありません。低く厚い陰鬱な雲に覆われて静かにたたずむ白い巨艦。
この年の12月24日、クリスマス・イブに奇跡は起こりました。

厚い雲が一瞬切れて僅かに青空がのぞいたかと思うと一条の光が白い巨艦を照らした、というのです。

暗い静謐な極北のフィヨルドにたたずむこの巨艦が、無音のうちに神の啓示を受けたように白い光に包まれたのです。伝説9ですな。

なんだ「雲の切れ間から光が差した」だけじゃん。

ん、ちょと待てぃ!場所はどこと言ったかな?ノルウェイのアルタ・フィヨルドって、ずいぶん北の方じゃないか。時は何時?1943年12月24日。むむ。
これは完全にガセ決定じゃ。

グーグルマップで、見てみていただきたい。アルタ・フィヨルドは北緯70度にあるぞ!
こんな所(ノルウェイの人、ごめん)、真冬に太陽が昇るもんか。雲が切れようがどうしようが、太陽の光なんて絶対に差しません。

最後の戦い

一筋の光に照らし出された?翌日。
『シャルンホルスト』は、イギリス艦隊を奇襲するためにフィヨルドを出港しました。
このとき『シャルンホルスト』の乗組員が誰一人として気づかないうちにイギリスのパトロール船とすれ違っていました。パトロール船から連絡を受けたイギリス艦隊は小躍りしました。「見敵必戦」こそロイヤルネイビーの真骨頂です。

デューク・オブ・ヨーク

シャルンホルストを討ち取ったデューク・オブ・ヨーク

取るものもとりあえず攻撃へと向かいます。『シャルンホルスト』はすぐに発見され、戦闘が始まります。

圧倒的に不利な『シャルンホルスト』は、その快速を活かして戦場を離脱しようと試みました。

しかし、遠距離で放ったイギリス海軍の一撃が『シャルンホルスト』を捉えたのでした。

火災を起こした『シャルンホルスト』は格好の標的となりました。集中攻撃を受け数百発の命中弾を貰った『シャルンホルスト』は真冬の北極海にその姿を消したのであります。
1,669名の乗組員の内、脱出に成功したのは僅か2名だけといいます。これが伝説その10

ちょっと待って、Wikiだと生存者36名だぞ。儂はWikiはまず疑ってかかるタイプだが、ここはWikiを信ずる。また、この戦い(ノール岬沖海戦)のロイヤルネイビーは待ち伏せした感が強いと思いますよ。

白い巨艦の奇跡

しかし、『シャルンホルスト』はその身と引き換えに、随伴の駆逐艦5隻は全て脱出に成功させたのでした。そう、これこそ(電脳大本営が言いたい)「白い巨艦の奇跡」です。

シャルンホルストはその短い人生で、幾度も激烈な戦いを潜り抜けましたが、一度たりとて一緒に作戦行動中の随伴艦を喪失したことがないのです。
つまりシャルンホルストと一緒にいると沈まない。我が幸運艦、駆逐艦「雪風」との大きな違いがココです。大日本帝国海軍で言うたら撃墜王・坂井三郎氏が列機を落とされたことが無い、みたいなモノですね。

だいたい単独行動かグナイゼナウと2隻で行動していた、と言ってしまえばそれまでなんですけどね。
それでも1942年のチャネルダッシュ作戦(電脳大本営ではピンポンダッシュ作戦/英仏海峡突破)など、護衛の駆逐艦・大型水雷艇・魚雷艇・掃海艇まで、1隻の喪失艦艇も出していません。

コンビを組んでいたグナイゼナウだって、致命傷を負ったのはシャルンホルストとは「別行動」のキール軍港での修理中(空襲)です。

シャルンホルスト自身が、ノール岬沖で最期を遂げたときだって護衛の駆逐艦5隻は無傷に帰還しています。

ヨタ話で戦争を語るのはやめよう

戦争はある意味で確かに悲惨なことです。でも、国があり文化があり民族があり、それらを大切に思う人々がいるので戦争は必ず起こります。

せめてこの悲しい人間の営みを語るときに、ロマンで彩ってみたい、と言う気持ちは良く判ります。

でも、史実・事実に裏打ちされないロマンは小説の世界でやって頂きたい。いや小説に書かれていることを真実と思い込んでしまう人も多いですから、ちゃんと「ここは創作だ!」って誰でもわかるように書いて欲しいものです。

事実だけでも、十分にロマンがいっぱいなんですから。
例えば進水式の時の少女。

オバハンじゃアカンのか?ということじゃなく、あのオバハンが未亡人になったのは、ダンナがトンでもない大ロマンの主人公(の艦長)だったからなんです。このお話はずっと温めてるネタなんで、そのうち記事にします(ご存知の方は多いでしょうけど)。

ここまで私がしつこく申し上げるのは、ロマンの方に気を取られすぎて本当の戦訓が汲めなくなることを恐れるからです。

大日本帝国陸海軍だって数々の間違いをしでかしてます。
これをきちんと批判して、「どうすれば良かったか?」を考ええることこそ、来たるべき支那との一戦で勝を収める近道です。

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