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参謀本部はアカだらけ

2015/08/17

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フェイスブックでFBFが堀栄三参謀の話題を出されてました。
『マッカーサー参謀』と称された超有能な陸軍の情報将校ですね。

彼は海軍の「台湾沖海空戦は大勝利!」って言う嘘(国民に対して、だけでなく陸軍も騙してました)を見抜いて、(陸軍)参謀本部に指摘したんですが、握りつぶされてしまいます。

堀栄三

堀栄三

結果、陸軍はフィリピン防衛線で米軍の戦力見積もりを誤って苦戦することになります。
堀はこのことを
「参謀本部の内部の闇のようなものを感じた。」
と振り返っていますが、『闇』とはいったいなんだろうか?

今回はそんな単純な疑問から出発した私のいわば妄想です。

敗戦一年前の対外政略

昭和十九年の8月8日、参謀本部戦争指導班と陸軍省軍務課は、
「今後採るべき戦争指導の大綱に基く対外政略指導要領案」
を策定しました。

大東亜戦争の状況は、インパール作戦が惨めな失敗、マリアナ沖で連合艦隊が手も足も出せずに完敗。敵B-29爆撃機が北九州を襲い、サイパン(委任統治領で民間人、民間資本も多かった「準内地」)失陥。
ついに粘り腰の東條英機も首相辞任(7月18日)に追い込まれた事を受けての「要領案」だと思われます。
以下、Wikiより転載しました

今後採るべき戦争指導の大綱に基く対外政略指導要領(案)昭和十九年八月八日、省部主務者案

「註」本案により省部の思想を調整し上司の外部指導に資するものとす

一、対ソ、支積極方策      

1、概ね本秋頃を其の結実の目途としソをして帝国と重慶(延安を含む)との終戦を、已むを得ざるも延安政権との停戦妥協を斡旋せしめ且独ソに対し独ソ間の国交恢復を勧奨す。

2、速かに有力なる帝国使節を先ずソに派遣す。其の出発の時期は遅くも八月下旬と予定す。之が為日ソ経済提携等を提議し其の折衝の間帝国の新企図達成の為の機を作為するものとす、但し帝国の弱体を暴露しソの対日態度を悪化するが如きこと無からしむ。

別紙第三、対ソ交渉の為帝国の譲歩すべき条件

 日蒋和平の仲介若くは独ソ和平斡旋の為左記条件を以て日ソ国交を調整す。(本密約は独ソ不調に終る場合に於ても日ソ国交保全の保証たらしむ)

左 記

一、防共協定廃棄の用意あることを確約す。
二、南樺太をソに譲渡す。
三、満洲をソに対して非武装地帯とするか満洲北半部(概ね賓綏、賓洲線以北)をソに譲渡す。
四、重慶地区は全面的にソの勢力圏とし爾他の支那に於ける我が占領地域(現国民政府治下の地域)は日ソ勢力の混淆地帯とす。此の際汪、蒋、共合作促進に努め蒋応ぜざる場合に於ては中共を支援して重慶に代位せしむることを認む。
五、戦争間及戦後を通し日ソ間特恵的経済交易提携を促進す。

樺太も満洲もソ連に譲る?

簡単に要点をまとめて見ますと。

ポーツマス条約による国境

ポーツマス条約による国境

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昭和19年の秋を目指して(本案策定は8月8日である点、注意)ソ連に重慶(蒋介石政権)、延安(支那共産党)との終戦を斡旋させる。延安(支那共産党!)だけとでも可。
日本は独ソ間の和平を斡旋する。

そのために当月の末には特使を派遣する、そしてその条件としてトンでも無いことを言っています。「左記」の太字にしておいた部分ですね。

支那との終戦を斡旋してもらう(成否は別)だけのために南樺太・満洲国北部をソ連に譲渡。
重慶(政府の支配下)地区はソ連支配に任せ、他の支那は日ソ共同支配。
そのため汪(日本の傀儡政権)、蒋(介石政権)、共(支那共産党)に合体を呼び掛けるが、蒋介石が嫌がったら、共産党を助けて、支那を支配させる。

素直に読んだら売国

従来、この「対外政略指導要領(案)」はもう打つ手が無くなった参謀本部が妄想をたくましくした作文、的な扱いを受けてきましたが、素直に読んじゃったら如何でしょうか?

これって、現代の左傾メディアがツイートでもしてるように思えませんか?
現実感のないトンでも論ですし、対ソ譲歩一辺倒で、共産党大歓迎論でもあります。

大日本帝国は米・英・支と熾烈な戦争を戦っていて、ソ連と戦っている訳ではありません。
ソ連は大日本帝国のほとんど唯一の頼りになる同盟国の独逸を追い詰めつつありますが、南樺太や満洲国を無償で譲り渡す事がソ連の力を背後から削ぐ事になるとは思えません。

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支那大陸まで、支那共産党を通じてソ連に渡してしまうとは、いったい何を考えていたんでしょうか?

 ソ連の対日参戦を知っていた

 この決定に先立つ、昭和十九年の3月10日には参謀本部戦争指導班が従来から進めていた研究をまとめ、

「昭和十九年末を目途とする戦争指導に関する観察(第三案)」

という戦争指導方針を作成しています。
これは作戦部長の真田穣一郎、作戦課長の服部卓四郎、作戦課員の瀬島龍三、参謀次長の秦彦三郎に回覧されて同意を得ていました(大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌昭和 十九年六月二十三日の条)。

この「昭和十九年末を目途とする戦争指導に関する観察(第三案)」では
「ソの対日中立維持への期待度は日独の戦勢好転せざる限り長くも概ね本年末を限度とすべし」
と書かれており、昭和19年の春に彼等は翌昭和20年のソ連の対日参戦を予想していたのです。

瀬島隆三

瀬島隆三、左から参謀本部・東京裁判・伊藤忠の各時代

 

責任逃れの臆病者?

「ソ連に降伏・占領される前に共産主義者にゴマすっておこうかな?」と思わなかったと言いきれるでしょうか。
瀬島龍三が絡んでると、つい疑ってしまいます。

いやいや、それではまだ甘い。
日露戦争でふらつき、第一次大戦で疲弊しきったロシアで起こったこと。
この時点より少し後になりますが、大日本帝國との戦いに疲れた国民党支那で起きること。
これを日本でも起こしてやろう、そんな意図はなかったんでしょうか?

参謀本部の考えていることはレーニンの『革命的祖国敗北主義』そのものに思えてしまうんですが…

近衛上奏文も素直に読んでみよう

昭和20年の2月14日、重臣(基本的には総理大臣経験者のこと)近衛文麿が昭和天皇に拝謁しています。
東條英樹に至る歴代7名の総理大臣のトップバッターとして近衛は上奏文を手にし、これを読み上げました。
上奏に際して、メモを持って読み上げるなどは本来たいへん不敬とされるのですが、近衛は慎重を期したかったのでしょう。

有名な「近衛上奏文」ですね。
これも、従来は近衛文麿が戦争責任を回避するため・・・といった捉え方が主流です。

確かに、大東亜戦争の開戦までの経緯など、少々無責任で臆病な人に思えます。
戦後、近衛の自決をお耳にされた先帝陛下(昭和天皇)が「近衛は弱いね」と仰せられた事も、積極的な評価を妨げているのかもしれません。

しかし、戦前戦中の日本で、もっとも陛下と親しく話の出来る(家柄の)人物であり、多くの政界や軍内部の情報に触れうる立場にあったことも事実でありましょう。

「アカかぶれ」を見抜いていた

この上奏文で、近衛は
「軍部(主に陸軍を想定しているようです)は共産思想に染まっています」
とはっきり言っています。だから軍部は戦争を止めようとしません、コイツらを一掃して戦争に負けた方が日本のために良い、とも。

ご参考のためにWikiからコピペしておきました。
拙い現代語訳も添付してあります。
コチラのリンクで別窓で開きますので、ご参照用にどうぞ。

先帝陛下は
「もう一度戦果を上げないと、軍部は納得しないよ(もう一度戦果を挙げてからでないと中々話は難しい思ふ)。」
と、考えてみればわざと少しピントをずらしたような返答をされ、近衛の軍部粛清論を受け入れる事はなさいませんでした。

如何でしょうか?参謀本部がアカだと、東條英樹もアカの可能性は高いですよ。
と言うか、陸軍統制派が全部(少なくとも心情的には)アカだったなんて事も・・・

仮説としてお考えを

 もちろん、以上は「今後採るべき戦争指導の大綱に基く対外政略指導要領案」と「近衛上奏文」を表面的に読んで組み合わせて見たにすぎません。

戦後70年、幾多の優れた研究がこれらを表面的に読んだらいけない、と指摘してきた事も承知しております。

でも浅学の私は、近衛文麿がここまで嘘を吐く必要があったことなど誰も証明出来て無い、と思ってしまうのです。

参謀本部が(少なくとも心情的に)アカだらけだったと思うと、なんだか疑問点が幾つも解けてきそうに思えるんですが、如何なものでしょうか。

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-人物, 帝國陸軍, 政策・戦略・戦術, 皇室
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