大艦巨砲主義イラスト

日本一装甲のぶ厚い戦艦

2018/05/24

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戦艦って言うのは、海戦の役に立たない!って言われるようになって久しいんですけれど、やっぱり魅力がありますよねえ。戦艦と言えば巨砲、なんではありますが。

電脳大本営的戦艦論

主力艦の保有制限を話し合ったワシントン海軍軍縮条約でも、「主力艦」の艇意義はまず艦の大きさ(1万トン以上3万5千トン以下)であり、続いて主砲の大きさ(8インチ以上16インチ以下)でありました。
しかし、私の考える「戦艦の本質」とは強大な打撃力もさることながら、その分厚い装甲にあると思うのであります。

武蔵手前と大和

「武蔵」手前と「大和」

以前の投稿でも、この考え方を書いておりますが、シブヤン海での「武蔵」の粘り、ビキニ環礁での孤独な闘いに耐えた「長門」、もちろん「大和」の奮闘を思う時、やっぱり重防御って良いよなあと思ってしまうんですよね・・・

戦艦の定義

ウィキペディアによる「戦艦」の定義は

戦艦(せんかん、battleship)とは、大砲を主要兵器とする軍艦で、海戦による決戦の主力を務めることを主目的とし攻撃力と防御力ともに最強を狙った艦種を指す。強大な艦砲射撃の火力と、敵艦からの艦砲射撃や雷撃に耐える堅牢な防御力を備えている。第二次世界大戦頃までは、政府の政略や戦略をも左右する兵器として海軍兵力の主力とされ、「主力艦」とも呼ばれた。

となっています。

そう、戦艦は「攻撃力と防御力ともに最強」なんです。
ともすれば攻撃力だけを云々されてどれだけの防御力があったのか、を語られる事の少ない戦艦ですが、防御を軽視はしていませんでした。

桜花を抱いた一式陸攻

桜花を抱いた一式陸攻 母機に装甲が無いから、悲劇が倍増しちゃうじゃないか!

航空機など、防御力ほぼゼロの兵器を戦線に投入しても平気だった大日本帝国海軍も、こと艦艇の防御については世界標準を超えた能力を持つことにかなり気を遣っていました。

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一番分厚い装甲は大和じゃない

それでは、一番分厚い装甲を持つのはどの戦艦だったんでしょうか?

明治35年完成直後の 三笠

明治35年完成直後の 三笠

そんなの、大和級に決まってんだろ!などと言わないで、次の表をご覧ください。

軍艦の装甲はいろいろな考え方があり、戦訓からも変化していますが、一番変化が少ないと思われる舷側で比べてみました。

艦名 排水量
(基準トン)
装甲の厚さ
(舷側ミリ)
富士 12533 457
敷島 14850 229
三笠 15140 229
薩摩 19700 229
長門 39120 305
大和 64000 410

 

如何ですか?
戦艦「富士」の舷側装甲厚はなんと45.7センチメートル!大和級より4.7センチも分厚いんです。
これは「厚化粧戦艦・富士」と呼んであげるべきかも知れません。

富士 M30 英スピットヘッド

戦艦富士 明治30年 
英スピットヘッドにて

もちろんこれには理由がちゃんとありまして、戦艦「富士」を建造(イギリスで)した時はまだ材質が悪かったんですね。

もちろん鋼鉄を装甲として使うんですが、鋼鉄は堅くても割れやすいのです。そのために柔かくても割れにくい鋳鉄を内側に貼り付けた「複合装甲」を使っていたんです。

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「富士」が建造された後、米国人のハーベイさんと言う人が表面浸炭・焼入硬化処理をした装甲板、その名も「ハーベイ鋼」を発明しました。
「富士」の次の戦艦「敷島」はこの新発明「ハーベイ鋼」を採用しましたので、装甲は薄くても防御は薄くならなくて済んだ訳です。

その「浸炭」って申しますのは

浸炭(しんたん、英語:carburizing)とは、金属(特に低炭素鋼)の加工において、表面層の硬化を目的として炭素を添加する処理のことである。もとの用字は滲炭(代用字)。主に耐摩耗性を向上させるために行われる。

浸炭は炭素添加による、凝固時の固液共存温度幅の拡大に伴う偏析を抑止するため開発された方法である。それは素材を硬化させるための準備であり、硬化そのものは焼入れ・焼戻しに より行う。浸炭された金属は表層の炭素量のみが多い状態となる。焼入れに伴う硬化の程度は炭素量に強く依存するため、この状態で焼入れを行うと、内部は柔 軟な構造を保ったまま、表面のみを硬化させることができる。従って耐摩耗性と靭性を両立させることが可能である。
(ウィキペディアより)

要は鉄の表面に炭素を浸みこませると、焼入れ処理をしたとき上手い具合に装甲板になる、って事ですね。

浸炭

電脳大本営的に解説すると、炭素を大量に含むピッチに鋼鈑を漬け込み、熱と圧力を加えます。
こうすることで鉄の隙間に炭素が充満するんですね。実際にはこの工程を何度か繰り返すようですが、詳しい事は企業秘密みたいで、よく判りません。
要は表面はカッチカチで敵弾をはじき返し、内側が粘るから割れないという「一つで複合装甲」が出来ちゃう訳です。

一度技術的なブレーク・スル―が実現すると、その技術の発展には加速度が掛かるのが世の常です。
ハーベイ鋼を採用した敷島の次に「三笠」を建造する頃になると、独逸の名門クルップ社が「クルップ鋼」を開発しており、同じ装甲厚でも、三笠はさらなる重防御となったのです。

対馬沖海戦に間に合いませんでしたが、初めての国産戦艦「薩摩」には英国のヴィッカース社の装甲板が取り入れられます。

薩摩型戦艦安芸

薩摩型戦艦安芸

 

本当に装甲板の進化が戦艦の防御力を上げたんでしょうか?
当時の英海軍の計算だと、複合装甲と比べて ハーベイ鋼の耐弾性は1.4~1.6倍だそうです。
あれ?敷島は富士と比べて装甲厚を半分にしてるから、耐弾性も倍にしないと、などと思ってしまいます。
いやいや、そうじゃなくて軽量化した分で防御範囲を広げてますので、フネとしての防御力は確実に上がっているんですね。

さらに細かくなりますが、ハーベイ鋼はどんなに分厚くしても表面1インチほどだけ浸炭・焼入れするモノでして、厚けりゃ良いものでもありませんでした。

この表面焼入れがより深く出来る、って言うのがハーベイ鋼からクルップ鋼への大進歩だったんですね。
同じ英海軍の計算でクルップ鋼はハーベイ鋼の1.2~1.5倍の耐弾性だとされていました。
ヴィッカース鋼は生産性を上げて、製品の安定性も高めた点が評価されているようです。

こうして世界の装甲板の進歩に輸入で対応していた大日本帝国海軍でした。
それでも「大和型」を造るときには技術を習得して国内生産にこぎつけていました。ただし、少しきな臭いお話もあります。

正面からの赤城

一段飛行甲板に改装後の赤城を正面から

それはこんなお話であります。

昭和10(1935)年1月、第二次ロンドン軍縮会議の予備交渉に出席していた山本五十六がロンドンからの帰途、独逸に立ち寄りました。

山本五十六イラスト

山本五十六

山本はヒトラー総統との面会予定はキャンセルされたものの、海軍統帥部のエーリヒ・レーダー長官と会談。
この時、独逸海軍が建設予定であった空母「グラーフ・ツェッぺリン」用に、山本も艦長を務めた事のある日本海軍の主力空母「赤城」の技術・運用データを提供する、と約束したのです。

いくら同盟国とは言っても、世界で航空母艦を運用しているのは日米英だけって言う時代です。貴重な運用データをただで渡すはずがありません。

その技術の見返りが「大和型」用の装甲板の圧延技術だった、と。

冶金技術

実際、昭和10年いっぱいかけて、独逸の駐日海軍武官や海軍士官と空軍士官(日本には空軍が無かったので独逸国航空官と言う扱い)が赤城を視察しています。

装甲板の圧延については、大和級の設計に携わった造船官・福田啓二(平賀譲の弟子)が戦後になって大和級の砲塔に関し「装甲が継ぎはぎだった」と言っています。
ですから一概に否定は出来ませんが、事前に当時で最大の圧延機械も輸入しており、電脳大本営的には『どうだかなあ…』の噂であります。

まあ、それよりも大日本帝國海軍が、工事を中断して放置してあった「グラーフ・ツェッぺリン」の購入を打診した、って言う話の方が面白いんじゃないでしょうか。
この話はまた、次の機会に紹介申し上げましょう。

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-帝國海軍, 戦艦 海に浮かべる鉄の城
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