明治初期の横浜浮世絵に描かれた蒸気戦列艦に関する若干の考察-3

2019/05/09

-三代広重「横浜海岸鉄道蒸気車図」とフランス軍艦「ブルターニュ」-

3.原画の特定

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何にせよ、蒸気戦列艦が短命であったことは、本稿の主題である三代広重の横浜絵について考察を進める上では好都合である。
まず広重が作品を制作した1874年の時点で、日本に蒸気戦列艦が寄港していた可能性がほぼ皆無であることを改めて確認しよう。

一度は世界最多の61隻を擁した英国海軍については、「王立海軍博物館 (The National Museum of Royal Navy)」から、海軍本部(Admiralty)発行の公文書“Ships In Commission”の写しを入手した。1870年版に収録された就役艦船一覧(Abstract of H.M.Ships and Vessels in Commission)には、28隻の一等装甲艦が計上されているのに対し、蒸気戦列艦は1隻も記載されていない。
また、「英国海事博物館(National Maritime Museum)」の学芸員からは、件の横浜絵に描かれた戦列艦は、およそ130門の砲を搭載する最大級のものと考えられるが、広重がそれを制作した時期には悉く廃艦となっており、想像によって付け加えられたのではないかとの回答を得ることが出来た。

続いて、世界第二の保有国フランスであるが、半数以上にあたる21隻が1874年までに一線を退いている。また、「フランス海軍戦略研究所(Centre d'études stratégiques de la Marine)」に照会したところ、現存する記録には同国の蒸気戦列艦が日本に寄港していたことを裏付けるものはなく、1874年当時残存していた蒸気戦列艦は本国艦隊に集中的に配備されていたため、特段の軍事的緊張が存在したわけでもない日本に派遣されることはまずあり得ないとのことであった。さらに、広重の作品にみられる蒸気戦列艦は、約120門の砲を備える最大級のものであり、想像によって描かれたのではないかという見解が示された。これは、英国海事博物館のそれと共通しており、示唆に富む内容である。

英仏以外の西欧列強が保有した蒸気戦列艦は前述の通り微々たる数であり、また船体も比較的小規模であることから検討の対象から捨象した。

以上を整理すると以下のようになる。
① 三代広重が描いた戦列艦は、120~130門の砲を備える最大級の艦である。
② そのような艦は多くが既に退役しており、残っていたものも日本に寄港した可能性は極めて低い。
③ したがって、「横浜海岸鉄道蒸気車図」の船影は想像の産物であると考えられる。
とは言え、日本の浮世絵師が己のイマジネーションだけで蒸気戦列艦を描くことはまず不可能であろう。英仏の専門家が「最大級の蒸気戦列艦」と判断できるほど正確な描写がなされていることからしても、原画の存在が強く示唆される。
では、それが制作されたのはいつ頃であろうか?ここで、描かれた艦が最大級の蒸気戦列艦であるという見解が重要な意味を持つ。三層の砲列甲板を有し120門を超える砲を搭載する艦が建造されるのは、限られた例外を除き1855年以降なのである。よって、蒸気戦列艦が装甲艦にとって替わられる1860年代前半までの僅か10年弱が対象期間として浮かび上がる。

「王立海軍博物館」の学芸員は、もう一つ重要な情報を与えてくれた。それは、三代広重が描いた艦が、信号旗で飾り付けを行う所謂「満艦飾」を施されているということである。これをもって彼女は、何らかの式典がモチーフになっているのではないかと推測した。

こうなると対象はかなり絞り込まれる。1856年のクリミア戦争終結に伴う式典と、1858年にフランス皇帝ナポレオン三世が英国のヴィクトリア女王を招いて行った観艦式(詳細後述)が有力な候補となろう。
そこで、横浜浮世絵の有力な情報源として、先行研究で再三挙げられる「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」紙を対象に、「横浜海岸鉄道蒸気車図」に見られる蒸気戦列艦の原画となり得る挿絵がないかを洗い出した。

その結果、1858年8月21日版に掲載された、後者を描いた複数のイラストの中から、それを特定することが出来たのである。描かれているのはフランスが最後に建造した蒸気船列艦、ブルターニュであった。同艦は6,770排水トン、艦載砲130門を誇る当時世界最大級の軍艦である。英仏の学芸員の指摘は、将に正鵠を射ていたのだ。

*ブルターニュのイラスト

*横浜海岸鉄道蒸気車図 部分

上にイラストレイテッド・ロンドン・ニュース紙の挿絵と、「横浜海岸鉄道蒸気車図」に描かれた蒸気戦列艦を示す。
マストやバウスプリット、船首像の形状、排煙の描写、右隣に配置されたカッターなど、両者の一致は一見して明らかだが、興味深いのは四層の砲列である。本来、蒸気戦列艦の砲列甲板は二層ないし三層であり、例外は存在しない(帆走戦列艦はこの限りではない)。前者を二層甲板艦(2decker)、後者を三層甲板艦と称し(3decker)、二層甲板艦は3,000~5,000トンの船体に70~100門の砲を備え、三層甲板艦は5,000~7,000トン弱の船体に100~130門の砲を搭載していた。

*二層甲板艦 ナポレオン

*三層甲板艦 ヴィクトリア

然るに、広重が描いた艦は四層の砲列を有しており、筆者も、英仏の学芸員もこれを一種の誇張表現と捉えたのであるが、実際にモデルとなったブルターニュの砲列も四層だったのだ。同艦は三層甲板艦に分類されるが、前甲板と後甲板をつなぐ露天の渡り廊下にも砲を載せているため、あたかも四層甲板艦の様に見えるのである。
また、満艦飾のパターンも特徴的である。通常、信号旗は船首から船尾に向かって一列に並べられる。

*通常の満艦飾 ILN

一方、イラストのブルターニュはマストに沿ってほぼ垂直方向に信号旗を並べており、三代広重も律義にこれを踏襲している。
最後に、横浜絵の軍艦がバウスプリットの先端に英国の軍艦旗様のものを掲げているのも目を引く。

*英国軍艦旗 浮世絵では赤い部分と白い部分が反転している

これは、ブルターニュのイラストで同艦の後方に描かれたフリゲート艦のメインマストに翻るフランス国旗をブルターニュのものと見誤ったのであろう。フランスの国旗が英国の軍艦旗に描き換えられている点については、5節で触れるように、幕末・維新期の日本に対しイギリスが積極的な砲艦外交を行った影響によるものと考えられる。

以上から、三代広重はイラストレイテッド・ロンドン・ニュースの挿絵を、部分的なアレンジを加えつつも、基本的には忠実に写していることが明らかになった。
この事実を踏まえ、以下の2点を課題として論考を続けたい。

① なぜ三代広重は、わざわざ時代遅れとなって久しい艦を描いたのか
② 15年以上前の、しかも横浜開港以前の古い新聞のイラストをいかにして入手し得たのか

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-仏蘭西, 同盟諸邦の軍備紹介, 大英帝国, 本城氏執筆作品
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