親北ムン

帝国のインフラin半島

2019/08/01

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朝鮮半島の38度線以南を支配する非近代・非民主・非法治国家であるKoreaと我が国の軋轢はついに「対立」の領域に入ってきました。電脳大本営的には待望の展開ってところであります(笑)。

対立の基本

この対立の原因は表面的には社民党の女性?国会議員と売国新聞社の「記者と称する嘘つき」などによる捏造「追軍売春婦」問題に、Korea官民が悪乗りしたことなどによります。

捏造女性国会議員

捏造女性国会議員

アレをきっかけに、もっとカネを取ろうと「募集に応じて高賃金・好待遇で働いた労働者」問題がまたまたデッチ上げられました。

「日本からもっとカネを騙し取ろう」から「もっとカネを引き出せる」「日本はもっとカネを出さなきゃいけない筈」と非理性的な大半のKorea国民の妄想が肥大して「日・Korea請求権協定」はどこかに飛んで行ってしまったのです。

私たちもこのKorea国民の身勝手さや傲慢さに怒るあまり、日・Korea請求権協定の本質を忘れてしまいそうになります。この協定は「双方向」に大東亜戦争以前の財産権や債権をチャラにしようって「約束」でありまして(ウンコと我が国が約束をすること自体が変だ、っていう正論はココでは触れませぬ)。

ってことは、奴らが「戦時中の労働債権」を支払えって言うなら、私たちにも「朝鮮半島に残して、Koreaと黒電話国に接収されたインフラの代金を払え」「朝鮮半島からの引き上げ時に、朝鮮人に殺害されたり、財産を奪われたり、強姦されたりした邦人に損害賠償せよ」といった要求をすることが求められる、と考えるのが道理でしょう。
この酷い被害の一部を紹介した記事がありますので、ついでに読んでください。

半島出身労働者が技能もないのに好待遇で働いていた通称軍艦島

半島出身労働者が技能もないのに好待遇で働いていた通称「軍艦島」

「残してきたモノ」だけの代金だって、黒電話にはもちろんKoreaにだって払えそうもない巨額になるのでありますが…
ちょっとだけその辺に触れておこう、というのが本記事の趣旨であります。

「道にウンコを落としておかない」とか「ウンコを(たとえ醗酵させても)飲食物として使わない」「嘘をつかない」「他人さまとお付き合いするときには上から目線で喋らない」などの人間基準の常識を教えさせて頂いたことの方が、金銭的な価値に変換すると大きいのかも知れませんが、どうもこの「教育」はあの民族に根付かなかったようですので、高潔なる我らとしては請求し難いですよね(笑)

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ココは物的なモノの請求に絞りましょう。

「残してきたモノ」と言えばインフラでありますが、その代表と言えそうなのが、大日本帝国が朝鮮半島に作って差し上げたダムであります。
大日本帝国をいったん滅ぼしやがって、強大を誇った「連合国」が、その武力を使ってぶっ壊そうとして、どうしても果たせなかったほどの頑丈さでありました。
この建設費、現代の金額に直して払えよ!ムンとキム、払えるモンならなぁ(笑)

華川ダム

「華川ダム」という構造物が朝鮮半島にあります。Koreaの江原道華川郡を流れる北漢江をせき止めているダムでして、せき止められてできるダム湖の名前は「破虜湖」と言うんだそうであります。よみは「パロ湖」らしいです(後でKoreaの悪口を言いますので、覚えといてください)。

この華川ダムは、大日本帝国が半島を慈悲深く統治してあげていた昭和14(1939)年の7月に「漢江水力電気株式会社」が建設を始めたモノであります。
社名で分かるように治水目的は二の次で、朝鮮半島の一次電力源として計画されたダム。幾多の困難を克服して、昭和19(1944​)年の10月に竣工しました。

肝心の発電機はその何か月か前に一号機が稼働していたようで、完成の10月には二号機が発電開始。
その後1957年に三番目、1968年には四番目の発電機が動き始めています。

要は大日本帝国の工業化のための電力供給施設として大金が投入されたダムなんでありまして、これだけなら帝国の敗北に伴って「接収」されても「そうかいな」ってなモノ。
電脳大本営的な表現では「戦争に負けたんだからしょうがないじゃん」っていう範囲でありましょうが、半島で南北の戦争が起きた時、この華川ダムが大きな役割を果たしたのでありますよ。
このダムは特にミナミ側の防衛に、南北の戦争が終わった後も老体に鞭打って貢献し続けたのであります。

金日成

金日成
髪型が孫に似てるような…

 

昭和25(1950)年6月25日に、金日成(黒電話豚のお祖父ちゃん)の命によって38度線を越えた北朝鮮軍。いったんは南朝鮮軍を蹴散らしてアメリカを中心とする連合軍を釜山の橋頭堡に追い詰めたのですが。

時間とともにアメリカの物量に押しまくられて、亡国寸前。垢Chinaが金日成の支援に入り、国連軍を38度線まで押し返すのでありました。

そんな折の昭和26(1951)年4月8日、北半島軍とChina軍は華川ダムから深夜の放流を行いました。
下流にある「国連軍」を攻撃するためです。国連軍の兵員に損害はなかったものの、渡河用の浮き橋が5本も使用不能になってしまいました。

この愚行によって、ダムの治水能力には戦争の遂行に大きな影響力があることが、マッカーサーにもはっきりと認識できたようです。

早速、翌日にはアメリカ陸軍の「エース格」だった第7騎兵連隊をダム確保のために投入しますが、抵抗が激しく失敗。
4月16日から5日間だけ別部隊がダムを確保したのですが、水門を破壊する前にChina軍が逆襲してきて再占領を許してしまいます。

第七騎兵隊のカスター中佐

第七騎兵隊の「レガシー」カスター中佐

ならば、と金満国家アメリカは航空部隊を投入。B-29の編隊が華川ダムに向かいますが命中弾を得られず。
陸軍が失敗すれば海軍が出しゃばるのは、どこの国の軍隊でもありがちな事でして。半島周辺に展開していた空母部隊のうち、エセックス級の航空母艦「プリンストン」の「ADスカイレイダー」攻撃機の部隊がダム攻撃に参戦。
「プリンストン」のスカイレーダー隊はそれまでに54の鉄道路線・37の橋を修復不可能なレベルまで破壊していました(この数字はWiki丸引きです)。スカイレーダーはB-17重爆撃機とほぼパリティの爆弾搭載能力を誇る攻撃機ですが、単発ですから、小回りも得意なんですね。
しかも、開発の経緯は対日戦のため…「大日本帝国のインフラ」を破壊するために産まれたようなモンですから、華川ダム攻撃は「運命」なんでしょう。

A1スカイレーダー

A1「スカイレーダー」

スカイレーダー隊はティニー・ティムロケット弾(弾頭250キログラム・射程1500メートル)と2000ポンド(=900キログラム)爆弾を投下して、余水路水門の一つに穴を開けることが出来ました。
しかし、ダム本体にもロケット弾が命中したのに、破壊には至りませんでした。大日本帝国の土木技術の優秀さを思い知らされる結果となったのであります。

F4Uコルセアかなり激しい着艦

F4U「コルセア」
かなり激しい着艦です

アメリカ海軍は爆弾直撃でのダム破壊を諦めました。5月2日に至り、F4U「コルセア」戦闘機12機を護衛に付けたAD「スカイレイダー」8機にMk13魚雷を搭載。全機が「ダム攻撃」に成功いたします。

8機から発射された8本の魚雷のうち7本がダムの堰堤に命中(一本不発)しました。この魚雷攻撃によって、Wikiによれば「水門の一つを破壊し、他のいくつかも破損させて、洪水の脅威を緩らげた。」そうでありますが。

良くお読みください。破壊されたのは水門一つでありますよ。堰堤本体は無傷なんです(「無傷」は言い過ぎかも)。水をせき止めて貯めておく、というダムの基本機能は生きていました。

この攻撃は「朝鮮戦争における唯一の魚雷攻撃」として語られることが多く、土木工事の優秀さを指摘されることはほとんどありません。片舷に魚雷7本が一気に集中したら、どんな重装甲の戦艦も一たまりも無いと思いますけどね(笑)

オリンピック

朝鮮戦争は元の38度線を挟んでにらみ合いが膠着。ついに休戦となります。いまだに戦争は終わってません。

戦争状態が続いたまま、半島北の黒電話国は1986年に華川ダムの上流に「任南ダム」の建設を始めたのであります。
華川ダムと任南ダムは北漢江をせき止めています。北漢江は南半島国の首都を流れる漢江の支流ですから、北半島国がダムを決壊させて、南の首都を「水攻め」するためだろう、と言われたモノであります。

1951年5月の華川ダム攻撃Wikiより

1951年5月の華川ダム攻撃Wikiより

おりから、オリンピックを開催しようとしていた南は大慌てで「平和のダム」を下流に建設、華川ダムの補完としました。このダムがまたKoreaらしく「いい加減工事」だったようなのです。
電脳大本営は「オリンピックに参加する選手や観客の不安を取り除くために、とりあえず形だけ作った」疑惑を持っています。と申しますのは、平成14(2002)年に北の任南ダムに亀裂が入っているのが航空写真で発見されたんです。

すると、Koreaは大慌てで平和のダムの補強工事を行っているんです。
「いい加減工事」の任南ダムからの放流をせき止めるための「平和のダム」だったのに、任南ダムが決壊しそうだ、となると補強工事するって何なのよ(笑)。

そんなバタバタを横目に、大日本帝国が作った「華川ダム」は魚雷に痛めつけながらも、ヒビも入らず、漢江の洪水からソウルとかいうウンコ塗れの都市を護っているのであります。

アメリカ軍はその後、華川ダムを取り返します。戦闘は熾烈を極めてChina兵の死体が累々と横たわっていたそうです。Korea軍にできるのはこの戦場の後片づけしかありません。
ここでも「いい加減」なKorea軍は、China兵の遺骸をダム湖に放り込んで済ませてしまいます。

破虜湖安保展示館(Koreaのサイトから)

破虜湖安保展示館(Koreaのサイトから)

さらに、アメリカ軍が勝ち取った勝利はKoreaのモノって訳でしょうか。時のKorea大統領・李承晩の発案によって、華川ダムのダム湖は「破虜湖」と名付けられたのです。
「虜」とは敵のことですから、「敵を破った記念の湖」ってことでしょうが、なんともクソみたいなネーミングセンスですこと(笑)

この醜悪なセンスで、「勝利」の記念展示館まで作ってやがるんですよ。

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半島人にもアメリカ人にも無理だった

電脳大本営は、生粋の日本人であるワタクシ沢渡麻三(FBでは「桜勇気」のアカウントも使用)が書き始めたモノであります。
日本人でありますから、歴史的にはっきりしていることは、我が国に多少不利でも正直に書いてしまいます。

併合前のソウル南大門通り

併合前のソウル南大門通り 電気、使わんやろ?

と申しますのは、半島における電気事業は、特に大日本帝国が教えてやったモノではないのです。李王朝がまだ生き残っていた時代から、電気を普及させようとはしてたみたいなんですよ。首都の京城(ソウル)だけですけどね。

「日Korea併合」の前の明治32(1899)年のことであったそうです。李朝王家の保護をもらって、アメリカの企業家連合が「韓美電気」という会社を作って売電事業をスタートさせているんです。
ところがこの事業、電気代がバカ高いうえに設備費まで徴収するという、アメリカ人らしいボッタクリ。契約した者は京城市の約5万戸ある住居のうち、493戸だけだったそうです。

1936の南大門通り

昭和11年の南大門通り

当然のように経営不振に陥った韓美電気社を救ったのは大日本帝国でした。帝国資本の「日韓瓦斯電気」(後に「京城電気」と改称)が買収し、売電価格を改めて一般家庭にも広く電気を普及させてまいります。

昭和5(1935)年には京城とその周辺で、契約家庭が約9万5千戸になり、昭和14年には約14万8千戸に増加したのです。京城周辺だけではありません。ゆっくりながら、大日本帝国は半島全体の電化をすすめました。
昭和16年度末には「主要21都市」の電灯普及率が66%に達したのに対し、半島全体では17.4%です。
半島で暮らすようになった日本人(内地からの移住や転勤で)のほとんどが都市部居住ことをもって、「日本人優遇だぁ」とか抜かすパヨ学者がときどき沸きますが、人口が集積されてるところから普及していくのは電力に限らず、当たり前のことでありんす。

大日本帝国に「都合の悪い」数字、もっと出しときましょうか(笑)

併合前のソウル全景

併合前のソウル全景

昭和16年度末での半島主要21都市の「日本人家庭の電灯普及率」が、ほぼ100%だったのに対し、「半島人家庭の電灯普及率」は約23%でした。日Korea間に確かに格差は存在していました。
って言っても、元々のスタートが違うからねぇ。ウンコしかないところに、一から文明を扶植してもらってる側と、莫大な資本を投入して近代化してやってる側。差があって当然だと、儂は思うけどな(笑)

まだありますよ

私などがガキンチョだった頃は、「半島の南は農業国・北は工業国」と地理の時間に習ったモノでした。
北には良質な炭鉱があり、鉄鉱石もあって、それを大日本帝国が開発して残しておいたので、北黒電話国はKoreaに先んじて工業化できたのです。

国家レベルの地域を丸ごと工業化するのに、炭鉱や鉄鉱の鉱山を開発するだけでは全く足りませんよね。それらを原材料として鉄を作り、鉄を素材にして何らかの工業製品を作らなきゃいけません、この時代では。
そのためには「安定した電力供給」は必須です。

日本統治後のソウル全景

日本統治後のソウル全景

大日本帝国は、そのために半島北部にダムを造りました。水力発電を主力にすれば、石炭はすべて製鉄用や軍艦の燃料に回せますから。

良く誤解されているんですが、半島北部は水力発電の適地ではありませんでした。
半島北部の大きな河川は、ほとんど西に向かって流れているのです。ここは勾配が少なくて、冬には渇水となってしまいます。このため水力発電には不適だと思われていたのです。ある程度以上の勾配がないと、水を落としてタービンを廻すほどの落差が得られませんから。

「大日本帝国は半島北部の豊かな水力資源に目を付け…」などと、今でも歴史の教科書に書いてありそうですが、実際には活用できる水力資源など無かったのです。あったのは列島からやってきた優秀な頭脳と創意工夫です。

日窒コンツェルン(現在のチッソ)の創始者である野口遵(旭化成・積水化学工業・積水ハウス・信越化学工業の創業者でもあります)、野口の帝大の同窓で盟友の森田一雄、久保田豊といった経営者・技術者たちがユニークなアイデアを持ち寄り積み重ねて、ウンコしかない大地に近代産業の糞じゃない、基礎を築いたのです。

野口遵(日窒コンツェルン創始者)

野口遵(日窒コンツェルン創始者)

彼らは「西流する河川をせき止め、東に向けて日本海側へ落とせばいいじゃん」と壮大な規模の発想をしたのです。彼らが作った半島北部のダムで最大の「水豊ダム」のダム湖の面積は、なんと琵琶湖の半分にもなるのです。

これほどの巨大な湖から、得られる電力は100万キロワット単位にもなります。昭和初期の半島全土の電力需要は数万キロワットのオーダーですから、この発電能力は完全にオーバースペックです。
つまり一般家庭や既存の工場への売電では、工事費をペイすることは出来そうもありませんでした。

野口は昭和2年「朝鮮窒素肥料会社」を設立します。朝鮮窒素肥料会社は余剰となる電力の活用先として、興南工場群を建設してゆくのです。
「野口遵」という伝記本には
「むしろ中心は大肥料工場の建設にあり、電力開発は、興南工場の付帯事業とすらいっても過言ではあるまい」
とあるほどなのです。黒電話の爺が支配するようになってから、興南工場群の肥料工場はメンテナンスをしない(できない)ので力を失っていきますが、「水豊ダム」はChina・北国境で今でも現役で、黒電話の産業を支え続けているのです。

水豊ダム

この超巨大(当時は、ですよ)な「水豊ダム」の高さは106メートル・幅約900メートルで、総貯水容量116億立方メートル。建設当時は東洋一の規模を誇っていました。

昭和12(1937)年に満州国と半島の国境地帯で、義州府(現在の新義州市)から80キロほど離れた鴨緑江下流に建設されました。総工費は約5億円。
この金額は構想が進んでいた「東京~下関新幹線」に匹敵する巨額だと言われます。
ココからムリクリ現在の価値に換算してみましょうか。戦後に実現した、今でも私たちを運んでくれる「東海道新幹線」は世界銀行から国鉄(現JR)が融資を受けて完成したのですが、その額が8000万ドルでした。
当時のレートで単純計算して288億円、東海道新幹線は東京~大阪ですから、下関までだと三倍はかかるでしょうし、ソコに物価の上昇を上してみれば「兆」単位間近の天文学的事業だったことは間違いないと思われます。

久保田豊(水豊ダム建設技術者)

久保田豊(水豊ダム建設技術者)

その巨大な事業費はなんと民間出資でした。先に出てきた野口遵の朝鮮窒素肥料が全額を負担したのです。工事を受注したのは「西松組」と「間組」で、昭和19(1944)年3月に竣工しました。同時に発電能力60万kW以上を誇る「水豊水力発電所」も操業を始めています。
この60万kW以上という発電能力は当時の世界最大級でした。昭和15年の大日本帝国国内の水力発電は280万kWとされていますから、水豊水力発電所の壮大な規模が想像できるでしょう。

発電所に備えられた7基の発電機はそれぞれが約10万kWの発電能力を持っていて、これも世界最大級の能力でした。この発電機を受注した東京芝浦電気は、製造にあたり新工場を建設したほどの巨大事業だったのです。

昭和20年8月9日、ソ連軍が満洲へ侵攻してきます。垢い悪魔はドサクサ紛れの戦利品を狙っていたのです。水豊水力発電所の大能力を誇る発電機は格好の獲物。7基の発電機のうち5基を略奪していってしまったのです。
略奪された発電機は、ソ連邦カザフスタン共和国のイリティッシュ川上流のダムに据え付けられた、とされています。(グーグルマップで確認可能らしいです。私はまだやってませんが)

建設中の水豊ダム

建設中の水豊ダム

水豊ダムも、朝鮮戦争中にはアメリカ軍の爆撃目標となりました。華川ダム同様に雷撃も行われましたが、ダムの構造は堅牢そのものであり、決壊することはありませんでした。
ただ、この攻撃によって水豊水力発電所の能力は大きく棄損してしまいました。結果、北半島全体の発電能力も激減し、広域にわたって停電したといわれます。
朝鮮戦争の休戦後、金日成は水豊ダムと発電所の復興を国土再興の最優先事項とし、発電能力を増強して「工業国」として復活したのです。

金日成によって新たに設置された発電機は7基で、うち3基は北半島向けの60Hz、3基はChinaの北京に送られる50Hzで、残りの1基は50Hz・60Hzのどちらでも発電可能だそうです。

竣工から70年以上が経過した現在でも、大日本帝国が築き上げたダムの本体は大きな改修工事が行われた形跡がありません。大日本帝国時代のままに現役なのだと思われ、現在も北半島国の重要なエネルギー源の一つであり続けています。

水豊ダム(現在)

水豊ダム(現在)

野口遵たちが作ったダムは水豊ダムだけではありません。虚川江・長津江・赴戦江などにもダムを作って発電に供していましたが、これらの発電所もいまだに「現役」なのであります。

その強力な発電能力で北半島に莫大な電力と富と戦力をもたらした水豊ダムは、金日成(半島歴代王朝中最悪のキム王朝の始祖)によって国章に描かれているのです。つまり、「日帝残滓」を「国のマーク」にしたんですね(笑)

北の国章・モチーフは水豊ダム

北の国章・モチーフは水豊ダム

南のムンはそのことを知ってるんでしょうか?

まあ、知らんでも良いから、金返せよ。IMFに管理してもらった貧乏国や、世界最貧国相手に、耳揃えろ、とまでは言わん。
利子も含めて100兆円くらいで許してやろうじゃありませんか。同志諸兄姉、如何思われます?

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-China・Koreaの悪行
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