ツェッペリン飛行船団による英国本土戦略爆撃 ‐第一次世界大戦下の『バトル・オブ・ブリテン』-第3章:ロンドン上空の死闘 1916 前編

2018/06/22

第3章:ロンドン上空の死闘 1916(前編)

>目次はこちら
>2章後篇はこちら

1916年初頭、蒼空の決戦を目前に控えたドイツの飛行船生産能力は大幅に増強されていました。
ツェッペリン飛行船有限会社は、フリードリヒスハーフェンの本社工場を拡張し、ポツダムとシュターケンの2か所に分工場を建設。従業員の総数は8,000人に達します。
同社はこの年、24隻の戦闘用ツェッペリンを建造しましたが、これは2週間に1隻のスピードで新たな艦が作られていたことを示しています。

≪本社工場≫
*創業時は1つだったドックが3つに増えている

 

≪創業時(1910年)の本社工場≫

 

≪シュターケン分工場≫
*1916年に稼働、大戦を通じて12隻を建造

 

≪マイバッハ社のエンジン工場≫
*ツェッペリンのエンジンはここで生産された

生産される艦種は当初、P級の改良型であるQ級がメインでしたが、5月には最新鋭のR級1番艦が完成、年末までに9隻が建造されました。

初飛行 全長(m) 体積(㎥) エンジン スピード(㎞/h) 実用上昇限度 爆弾搭載量 建造数
M級 1914年5月 158.0 22,500 210馬力3基 83 3,000 0.5トン 12
P級 1915年4月 163.5 32,920 210馬力4基 92 3,500 2.0トン 22
Q級 1915年11月 178.5 35,800 240馬力4基 92 3,500 2.5トン 12
R級 1916年5月 198.2 55,220 240馬力6基 103 5,400 4.5トン 17

≪R級の諸元≫

同艦級は、P級の倍以上に当たる4.5トンもの爆弾を搭載して英国まで飛べるばかりか、速力および高度でも出色の性能を誇っており、ドイツ空中艦隊の中核を担うことを期待されていました。
シュトラッサーをはじめとするドイツ軍指導部は、R級をはじめとする飛行船群によって、今度こそ英国本土に壊滅的な打撃を与え、戦争を勝利に導こうと考えていたのです。

≪R級1番艦 LZ62≫

≪軍用飛行船設計の第一人者、デュール博士≫

片や、英国では一人の男がツェッペリンに対する復讐を誓い、防空システムの再建と強化に邁進していました。その名はウィンストン・チャーチル。海軍卿である彼は、本土防空の任に就く海軍航空隊(The Royal Naval Air Service、略称RNAS)を管轄する立場にあったのです。

チャーチルは開戦前からツェッペリンの脅威を認識しており、1913年11月にはドイツの飛行船から本土を守る邀撃戦闘機の必要性を説いていました。
しかし、その主張が実現されないまま戦争の危機が押し迫ると、彼は方針を転換し「攻撃は最大の防御」という考えに従って行動するようになります。1914年7月のコメントは、それを良く表すものと言えるでしょう。
「最新の航空戦術においては、英国の飛行機械が最優先すべき義務は、敵のそれと戦い、空からの攻撃を防ぐことに他ならない」
かくして開戦劈頭、彼は敵の虚を衝く行動に出ました。欧州大陸に展開した海軍航空隊を用いて、ツェッペリンの基地を先制攻撃したのです。デュッセルドルフやケルン、更にはフリードリヒスハーフェンまでもが目標となりました。
多くの場合ドイツ側の損害は軽微でしたが、10月8日には手痛いダメージを蒙っています。地上にあった陸軍の飛行船LZ25(陸軍名Z9)が格納庫ごと破壊されたのです。
これが14年の年末まで続けられた作戦行動のほぼ唯一の戦果でした。
やがてツェッペリンによる英国本土空襲が時間の問題になると、重点は攻撃から防御へと切り替わっていきます。

ツェッペリンの侵入を阻止する防衛計画は、他ならぬチャーチル自身により1914年の9月に発表されています。これは、航空機による三重の防衛線(欧州大陸、ドーバー海峡、英国本土)を設け、敵を撃退しようとするものでした。既に述べたように、当時の邀撃戦闘機はツェッペリンが飛行する高度に達するまで長い時間を要したため、最初の防衛線(大陸)が突破されても、残る二つで敵飛行船を捕捉・撃破することがその狙いです。

しかし、いざ実戦となるとこの計画は画餅に過ぎないことが明らかとなりました。夜間、高空で飛来するツェッペリンに英国海軍航空隊は無力だったのです。
度重なる空襲によって英軍の上層部は焦燥を深め、戦闘機で敵飛行船に体当たりする決死攻撃の実施や、報復として捕虜処刑を求める声が出る始末。
それでも、ウィンストン・チャーチルが最終的に選択したのは、あくまで戦闘機と高射砲によってツェッペリンを撃退するという、(現代の視点に立てば)王道中の王道だったのです。これは同時に、いばらの道でもありました。その実現には、時間をかけて防備を充実させる必要があり、目の前の苦難にはただ耐えるしかないからです。

彼は、灯火管制を導入するとともに、夜間飛行技術の確立に向けた研究を全面的にバックアップ、また、ロンドンとドーバー海峡沿岸部の防衛のために常時60機の戦闘機を待機させる計画を立案します。あわせて、高射砲部隊の拡充も進められました。
1915年5月、それらの実現を待つことなく、ガリポリの戦いにおける失態のためにチャーチルは海軍卿を辞任しましたが、本土防空体制刷新のために果たした役割は非常に大きなものがありました。

1916年、初夏。英国の防空体制は目覚ましく強化されていました。
海軍航空隊に加え、陸軍飛行隊(Royal Flying Corp、略称RFC)からも戦力が抽出され、本土に展開する邀撃戦闘機は、新鋭のB.E.2とその改良型を中心に総数60機。前章では性能に難があると書いたB.E.2ですが(最高高度が3,000メートルでしかなく、ツェッペリンの上昇限度を下回るうえ、そこまで到達するのに50分近くかかる)、それを補うべく、ある改良が施されていたのです。
それは操縦席の前方に背負い式に取り付けられたルイス機銃。これにより斜め上に弾丸を射出できるようになり、数百メートル上空を飛ぶ敵飛行船を攻撃できるようになったのです。B.E.2は安定性が優れているため、このような戦法にはうってつけであったことも付言しておかなくてはなりません。

≪本土防空任務に就くB.E.2≫
*操縦席の前に取り付けられているのがルイス機銃

銃弾も改良されていました。飛行船のガス嚢に充填された水素を誘爆させる目的で、炸裂弾と焼夷弾(銃弾の表面に薬品が塗られており、発射されると空気抵抗で燃焼する)が導入されたのです。
これらによって、英国の邀撃戦闘機隊はツェッペリンの手ごわい敵に変貌していました。

長足の進歩は、しかしハード面のみに見られたわけではありません。寧ろソフト面にこそ、その神髄があると言っても過言ではないのです。
ちょうど一年前、ロンドンがLZ38によって初空襲を受けたときのことを思い起こしましょう。戦闘機は15機が発進しましたが、敵艦を視認できたのはこのうちの1機のみ。帰投時には2機が夜間着陸に失敗してスクラップになっています。
(ちなみに1915年を通じて、のべ89機がツェッペリン迎撃のため夜間出撃しましたが、何の戦果も挙げられないまま、20機が着陸に失敗、操縦士11名が死傷しました)
ここから、①友軍機の誘導手段と②安全な夜間着陸技術が必要不可欠であることが明瞭に見て取れます。

前者については、当初、無線の活用が試みられました。なかなか先進的な発想ですが、残念ながら当時の技術水準ではうまくいきませんでした。そこで、巨大な信号旗を地上に敷くことになったのです。下にその例を示しましょう。

≪信号旗:クロイドン方面を索敵せよ≫

≪信号旗:貴機の下方に注意されたし≫

信号は、このようにT字の周囲に円を配しており、その位置によってそれぞれ異なる意味を持っていました。T字の縦棒の長さは12メートル強。高度4,200メートルからでも明瞭に見分けることが出来たそうです。

続いて夜間着陸技術です。これはまず、飛行士たちの経験や勘に代えて、計器飛行を徹底することから始められました。また、戦闘機の両翼には滑走路を照らし出す照明灯が取り付けられます。
先述したB.E.2の優れた安定性も幸いしました。着陸時には緩やかな操縦がキーであると分かったからです。
これらの努力により、夜でも安全に着陸することが可能となりました。
かくして英国海軍航空隊は、基礎的な夜間戦闘術を確立したのです。

生まれ変わったのは戦闘機隊だけではありません。高射砲部隊もまた、前年とはまるで違ったものになっていました。
有効射程が僅か高度1,000メートルの1ポンドポンポン砲に替わって主力の座についたのは、新鋭の3インチ高射砲。16年の初夏には200門以上が英国本土に配置されていました。
この砲の有効射程は、実に4,880メートル。R級を除くすべてのツェッペリンの実用上昇限度を上回っています。

特筆すべきは、高射砲として世界に先駈けて自動車化され、機動的な運用を実現したことでしょう。

≪牽引車により運ばれる3インチ高射砲≫

戦闘機隊と同様に、高射砲部隊もソフト面において大きな成功を収めていました。
それは初歩的な射撃管制技術の実現です。
高射砲部隊は、砲2門を最小単位として編成され、これに射撃観測班が付随していました。射撃観測班はツェッペリンの高度や速度、進路などのデータを割り出すUB2測距儀1基と、それらのデータを用いて目標の未来位置を算定し、砲の向きや角度、時限信管の設定を指示するウィルソン‐ダルビー照準儀2基を有しています。
後者は、当時としては最新の自動計算器であり、それまでの目測による当て推量とは別次元の命中率をもたらしたといっても過言ではありません。

≪高射砲の射撃観測班≫
*左から、ウィルソン‐ダルビー照準儀、UB2測距儀、敵味方識別用の望遠鏡

ドイツ空中艦隊と英国防空隊。両者が雌雄を決する時が遂に訪れました。
英国本土上空における死闘の幕開けです。

先手を取ったのはシュトラッサーでした。1916年1月31日、9隻ものツェッペリンからなる空前の大艦隊を編成すると、自らその1隻(L11)に乗り込み、真冬の荒天を衝いてリバプールを空襲すべく出撃したのです。

艦名 艦級 艦長 母港 乗員 爆弾搭載量(トン)
L11 P フォン・ブトラー ノルドホルツ 18 2.1
L13 P ハインリヒ・マティ ハーゲ 16 2.2
L14 P アロイス・ブッカー ノルドホルツ 17 1.9
L15 P ヨアヒム・ブライトハウプト ハーゲ 17 2.2
L16 P ヴェルナー・ペーターソン ハーゲ 17 1.8
L17 P ヘルベルト・エールリヒ ノルドホルツ 18 2.0
L19 P オド・ローウェ トンデルン 16 N.A.
L20 Q フランツ・Stabbert トンデルン 18 2.5
L21 Q マックス・ディートリッヒ ノルドホルツ 17 2.2

≪ドイツ艦隊の構成≫

しかし、英国上空の深い霧が、彼らの行く手を阻みました。各艦は位置を見失い、編隊もバラバラになってしまいます。
攻撃は盲爆となり、ツェッペリン艦は僅かな視界にどことも知れぬ街を捉えると各個に投弾しました。それでも、降り注いだ379発の爆弾は、地上に深甚なダメージを与えるには十分すぎるものでした。
犠牲となったのは中部に位置する複数の地方都市で、70名もの死者と、負傷者113名を出したのです。

≪破壊されたラフボローの市街地≫

一方、英国の防空戦闘機隊は22機が発進しましたが、こちらも霧に阻まれて為す術がなく、却って8機が着陸時にクラッシュし、操縦士2名が死亡しています。

ドイツ側も、悪天候によるアクシデントでLZ19を喪失しました。視界不良で味方からはぐれ、エンジントラブルにまで見舞われた同艦は、低空飛行で欧州大陸沿岸まで辿り着きますが、中立国であるオランダの領空に迷い込んでしまい、対空射撃を浴びて北海に不時着を余儀なくされたのです。
当時その近辺には英国のトロール船が一隻出漁中でしたが、この船はLZ19の救助要請を拒否して立ち去ったため、ローウェ艦長以下乗員全員が死亡しました。

≪沈みゆくL19と英国のトロール船≫

ドイツ軍にとってこの爆撃行の結果は到底満足のいくものではなく、天候が回復する春先まで新たな攻撃は控えることになりますが、同時に、英国防空部隊は依然として脆弱であるという認識を彼らに与えました。このことで、彼らは遠からず高い代償を支払うこととなるでしょう。

3月31日、シュトラッサーは7隻の飛行船を率いて出撃しました。目指すは、ロンドン。この日、陸軍の飛行船3隻も英国南東部を目標に飛び立ちます。春の訪れとともにドイツ空中艦隊は総力を挙げた攻勢に打って出たのです。
悪天候により、陸軍の飛行船は基地へと引き返しましたが、シュトラッサー直率の海軍飛行船部隊は航行を続けます。折も折、西部戦線では未曽有の消耗戦であるヴェルダンの戦いがドイツ軍有利のうちに進展していました。英国本土爆撃には、陸軍におくれをとるまいとする海軍の威信が懸っていたのです。
機械トラブルにより戦列を離れた2隻を除く5隻の飛行船は、午後7時過ぎにブリテン島上空へ侵入を果たします。その中には、シュトラッサー座乗のL14に加え、前年ロンドンを空襲して名を挙げたマティやブライトハウプトら経験豊かな名艦長の乗艦の姿がありました。ほんの数か月前、彼らが単艦で大英帝国の首都を恐怖のどん底に叩き込んだことを考えれば、世界を震撼させる戦果はすぐ目の前にあるように思われたことでしょう。

艦名 艦級 艦長
L13 P ハインリヒ・マティ
L14 P アロイス・ブッカー
L15 P ヨアヒム・ブライトハウプト
L16 P ヴェルナー・ペーターソン
L22 Q マルティン・ディートリヒ

≪ドイツ艦隊の構成≫

それからたった3時間後の事でした、ドイツ海軍司令部が予想もしない無電を受け取ったのは。
「宛:大洋艦隊司令長官 午後10時発信 我、ストウマーケットの高射砲台より攻撃を受く。12発の爆弾を以て反撃するも、被弾せり。既に転針を完了、目下帰還しつつあり。ハーゲ基地に午前4時に帰投せんと欲す。 発:L13」

L13の指揮を執るマティ艦長は、ロンドンへ向かう途中で、ストウマーケットという田舎町にある火薬工場を爆撃する任務を帯びていました。午後9時45分、街の上空に到達した同艦が工場の位置を確認すべく照明弾を投下したところ、待ち構えていた高射砲に射すくめられたのです。打ち出された26発の砲弾のうち、2発が命中、2つの気嚢が深刻なダメージを受けました。たちまち損傷部から水素が流出し、艦の浮力は見る間に低下していきます。
マティはロンドン攻撃を断念し、残された爆弾と不要な機材を投下してかろうじて高度を保つと、戦闘空域を全速力で離脱したのでした。かくして、からくも死地を逃れたL13は、翌朝3時30分に母港ハーゲに帰還しています。

ブライトハウプト艦長の乗艦、L15を待ち受ける運命はより苛酷でした。午後10時30分、同艦はロンドンの北西部に到達します。街区には厳重な灯火管制が敷かれていましたが、乗員たちは微かに目に映るテムズの流れを頼りにここまで来たのです。
15分後、帝都に配置された高射砲が猛烈な射撃を開始しました。最初の一斉射は早くもL15を捉え、船体の中央部に大穴を穿ちます。高度を落とした同艦の周囲に、邀撃戦闘機が群がりました。とりわけ、英軍の操縦士ブランドン少尉は、飛行経験が30時間そこそこであるにも拘わらず、愛機のB.E.2を駆って巨大な飛行船へ執拗にアタックを仕掛け、生まれ変わった戦闘機隊の力量を見せつけました。

≪ロンドン上空で集中攻撃を浴びるL15≫

しかし、ブライトハウプト以下熟練の搭乗員の手による巧みな操艦には一歩及ばず、間もなくL15は夜の闇の中に姿を消します。窮地を脱したかに見えた同艦ですが、実際には最期の時が迫っていました。複数の気嚢が深刻な打撃を受け、ドイツに帰還するのに必要な浮力はもはや残されていなかったのです。ブライトハウプト艦長はベルギーの占領地に不時着しようと海岸線を目指しますが、損傷を受けていた構造材が破断して船体が折れ曲がり、とうとうL15はブリテン島から24キロの海上に墜落しました。深夜0時15分のことです。ブライトハウプト以下18名の搭乗員は、溺死した1名を除いて全員が駆け付けた英国海軍の駆逐艦に救助され、捕虜となりました。
英国の防空隊は、遂に本土上空でツェッペリンを撃墜することに成功したのです。

≪撃墜されたL15≫

≪捕虜になったL15搭乗員の姿≫
*楕円右側の人物がブライトハウプト艦長、左側がクーネ副長
長方形右側は准士官、左側は機械整備士

残りの3隻の艦は、位置を誤認するなどしてロンドン中心部には到達できず、郊外や地方都市に爆弾を投下して帰路につきました。
この攻撃により、シュトラッサーは既存のツェッペリン艦による英国本土爆撃が、予想したほどの効果を挙げ得ないことを認識します。しかし最終的な勝利は飛行船によってもたらされるという彼の信念は揺るぎません。目前に迫った巨大飛行船、R級の配備に寄せる期待が、それをより強いものにしていました。シュトラッサーは攻撃の結果を誇張して皇帝に報告し、4月1日以降も連日の空襲を強行したのです。

一方、英国の防空隊も戦果に酔うには程遠い状況にありました。
この空襲による英国の損害は死者48名、負傷者64名に上ったほか、離陸に失敗した戦闘機操縦士1名が死亡しているのです。
更に、翌4月1日から5日にかけて連続して行われた空襲では、死者は36名、負傷者は163名を数えました。これに対し、のべ13隻が出撃したツェッペリンは1隻も失われていません。
ブリテン島の上空から敵飛行船を叩き出すための道のりは、まだ始まったばかりだったのです。

≪3月31日の空襲の被害≫

≪空襲犠牲者の葬列≫

この時期の英独航空戦は、双方ともに決定力を欠く状況にあったと言っても過言ではないでしょう。
それを端的に物語るのが、ドイツ飛行船部隊による春季攻勢の締めくくりとなった4月末から5月初旬の戦闘です。

4月24日、海軍の飛行船6隻がロンドンを目指し出撃しました。ところが、英国上空で艦隊は強い向かい風に直面、当初の目的を断念せざるを得なくなります。悪いことに、低空には雲が垂れこめており、代替目標を見つけることも困難な状況でした。
結果、各艦はそれぞれの判断で手近な地方都市に爆弾を投下して帰還しています。

艦名 艦級 艦長 戦闘行動
L11 P ヴィクトル・シャッツェ 南東部の地方都市を空爆
L13 P エドゥアルド・プローレス 爆弾投下なし
L16 P ウェルナー・ペーターソン 南東部の地方都市を空爆
L17 P ヘルベルト・エールリヒ 南東部の地方都市を空爆
L21 Q マックス・ディートリッヒ 爆弾投下なし
L23 Q オットー・シューベルト 南東部の地方都市を空爆

このため、この「空爆」は殆ど効果がなく、人的被害も死者1名、負傷者1名に留まったのです。

≪被害を受けたローストフトの建物≫

一方、英国の邀撃戦闘機は22機が発進するも、1機がL21を視認するのみ。高射砲部隊はL11に命中弾1発を与えただけでした。

翌25日、今度は陸軍の飛行船団がロンドンを空爆すべく飛び立ちます。この日は天候にも恵まれたにもかかわらず、襲来した5隻のうち、敵首都に肉薄したのはただ1隻。

艦名 艦級 艦長 戦闘行動
LZ26 N 英本土に侵入せず、帰投
LZ87 P ゼー・バース 地方都市を爆撃後、対空砲火の攻撃を受け帰投。損傷なし
LZ88  P ファルク 地方都市を爆撃
LZ93 P ウィルヘルム・シュラム 地方都市を爆撃
LZ97 Q エーリヒ・リナルツ ロンドン近郊を爆撃

しかし、その1隻こそは、1年前にロンドン初空襲を敢行したLZ38の艦長を務めたエーリヒ・リナルツが指揮を執る新鋭艦、LZ97に他なりません。

≪LZ97の同型艦(Q級)≫

テムズ川の支流を辿って帝都の夜空に姿を現した同艦は、午後10時45分に爆撃を開始しました。この時の様子を、副官のランペル中尉は次のように回想しています。

「『行くぞ!』艦長が鋭く言うと、最初の爆弾がロンドンに投下された!…投下された爆弾の衝撃波が、数千フィート上空にいる我々に届くまでの時間の長さは、全く忌々しいものだ。我々はいつも、不発に終わることを恐れている-爆発音が聞こえてくるまでは。…続いて、焼夷弾を投下する。これは地上に火災を生じさせ、我々に偏流と対地速度を算出する目印をもたらすものだ。」

皮肉なことに、LZ97の乗員は位置の計測を誤っていました。彼らはシティの直上にいるとばかり思っていましたが、実際にはそこから13キロ北東を飛行していたのです。このため、一時間以上にわたって続けられた爆撃による英国側の被害は、死者1名、負傷者1名と、比較的軽微なものでした。

今や、英国防空隊が反撃の火ぶたを切って落とす時です。サーチライトに捉えられたLZ97に向けて、14門の新型3インチ高射砲が約300発の砲弾を射出しました。このほか、多種多様な28門の砲も数百発を発射します。この猛烈な対空砲火は、しかし敵艦には打撃を与えず、却って地上の一般家屋16棟を破壊する被害をもたらしました。

≪砲火を浴びるツェッペリン≫

高射砲に続いて、邀撃戦闘機が攻撃に加わります。この夜出撃した22機のうちの1機、ハリス大尉が操縦するB.E.2が、サーチライトの照射を浴びるツェッペリンを捕捉したのです。この時、LZ97は高度2,900メートル付近を爆弾を投下しながら航行していましたが、ハリス機が高度3,600メートルまで到達した時には、さらにその600メートル上空に上昇していました。ハリス大尉は、頭上の飛行船に向けてルイス機銃を発砲しましたが、度重なる弾詰まりに悩まされているうちに獲物を見失ってしまいます。
間もなく、ロビンソン中尉のB.E.2が高度4,000メートル付近を飛ぶLZ97を発見、数百メートル下方からルイス機銃による射撃を浴びせようとします。ところが、この時も弾詰まりが繰り返し発生し、とうとう敵艦は夜の帳に姿を消したのでした。

背筋が凍る思いをしたランペル副長は、次のように書き記しています。
「銃砲弾が飛び交う嵐の中から、いかにして我々が生還し得たのか、何人にも理解しがたいであろう」
この戦闘は前夜のそれとは異なり、英独いずれもあと一歩で大きな獲物を手にするところまで行きながら、結局さしたる戦果も損害もなく終わったのでした。

新鋭艦多数を投入した春季攻勢は、ドイツ飛行船部隊司令部にとって全く期待外れなままに幕切れを迎えようとしていました。そのような中、ドイツ陸海軍混成の飛行船団による最後の攻撃が、悪天候を押して行われます。
5月2日、英国へ襲来した9隻からなる大艦隊のうち8隻は海軍の艦で、スコットランドのロサイスと、フォースブリッジ鉄道橋を狙っていました。陸軍の1隻が目指すのはマンチェスターです。

所属 艦名 艦級 艦長 戦闘行動
海軍 L11 P ヴィクトル・シャッツェ 沿岸部に数発の爆弾を投下して帰還
L13 P エドゥアルド・プローレス 地方都市を爆撃して帰還
L14 P アロイス・ブッカー 地方都市を爆撃して帰還
L16 P ウェルナー・ペーターソン 地方都市を爆撃して帰還
L17 P ヘルベルト・エールリヒ 地方都市を爆撃して帰還
L20 Q フランツ・Stabbert 地方都市を爆撃したのち、ノルウェー沿岸に不時着
L21 Q マックス・ディートリッヒ 地方都市を爆撃して帰還
L23 Q オットー・シューベルト 地方都市を爆撃して帰還
陸軍 LZ98 Q エルンスト・レーマン 悪天候のため作戦を中断、帰還

英国本土に到達した艦隊は強い逆風に直面、与えられた任務の遂行は不可能であると判断します。陸軍のLZ98はこの時点で反転し基地に帰投しますが、海軍の飛行船は攻撃目標を英国中部の諸都市に変更して攻撃を続行します。
しかし、低空に厚い雲が広がっていたため、爆撃の効果は乏しいものでした。この空襲による英国の人的被害は死者9名、負傷者30名です。

≪路面に穿たれた爆発痕≫

英軍の反撃が低調だったため、各艦は無事にブリテン島上空からの離脱を果たしますが、L20は不運にもエンジントラブルと強風のため北方へ流されてしまっており、残された燃料ではドイツへ帰還することは絶望的でした。
このため、同艦は止む無くノルウェーの海岸に不時着し、乗員は捕虜となったのでした。

≪不時着したL20≫

≪捕らわれた艦長≫

かくして、英独双方とも相手に決定的な打撃を与えられないまま、1916年春の航空戦は終わりを告げました。この後数か月の間、ツェッペリンが英国上空に姿を現すことはありません。
海軍の飛行船はユトランド海戦に動員され、また、夜が短くなる夏至の前後は、攻撃を中止する判断が下されていたからです。
しかしそれは、嵐の前の静けさに過ぎませんでした。最新鋭の巨艦R級が就役するこの年の夏こそ、英国を屈服させる好機であるとドイツ軍上層部は考えていたのです。一方、英国防空隊もその戦力を一層拡充しつつありました。
戦いの季節は、今や刻一刻と近づいていたのです。

≪R級設計図面≫

【概要】1916年1月末~5月初旬までの戦闘
・空爆回数:8回
・飛行船出撃数(延べ):42隻
・飛行船喪失数:3隻
・英国側被害
死者:116名 負傷者:308名 損害額:18万ポンド(現代の金額で約100億円)

続きはこちら
目次へ戻る

-同盟諸邦の軍備紹介, 独逸