ツェッペリン飛行船団による英国本土戦略爆撃‐第一次世界大戦下の『バトル・オブ・ブリテン』- 第3章:ロンドン上空の死闘 1916 後編

2018/09/22

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ブリテンの空に束の間の平穏が訪れていた1916年5月30日、1隻の巨大飛行船がフリードリヒスハーフェンにあるツェッペリン飛行船有限会社の本社工場を飛び立ちました。
全長198メートル、新型のマイバッハ製240馬力エンジン6基搭載。この艦こそ、1年以上を費やして開発されたドイツ飛行船部隊の切り札、R級の1番艦LZ62(海軍名L30)に外なりません。艦内には、まもなく79歳になろうとするツェッペリン伯爵の姿がありました。この老いた巨人は、生涯で最後にして最高の傑作となるであろう巨艦を、自らの手でドイツ空中艦隊へ引き渡そうとしていたのです。
離陸を終えたL30は、進路を北に取ります。向かうは海軍飛行船部隊の母港ノルドホルツ。伯爵の目には、長年の夢と挑戦が今まさに勝利の栄光で彩られようとしているかに見えたことでしょう。

≪R級1番艦 L30≫

≪L30に搭乗したツェッペリン伯≫

待ちに待った新鋭艦の就役は、シュトラッサーにも強い印象を与えました。
「この巨大な飛行船が有する性能によって、英国は飛行船によって征服されるという私の信念は強められた。都市や工場、造船所、港湾、鉄道その他に対する破壊活動は拡大されて行き、英国はその生存基盤を奪われるであろう。
…飛行船こそは、戦争を勝利のうちに終わらせる確かな手段となるものなのだ。」
R級は、8月末までにさらに2隻が完成し、海軍飛行船部隊に受領されています。

7月28日、10隻のツェッペリンが英国東部を爆撃すべく出撃しました。ここに1916年の英独航空戦は後半戦を迎えたのです。艦隊の中には就役したばかりのR級、L31も含まれていました。しかし、この空襲は殆ど戦果を上げていません。渡洋中に4隻が基地へ引き返し、のこる6隻も深い霧のために任務の遂行を諦めざるを得なかったのです。

所属 艦名 艦級 艦長
海軍 L11 P オットー・ミース
L13 P エドゥアルド・プローレス
L16 P エーリヒ・ゾマーフェルト
L17 P ヘルベルト・エールリヒ
L24 Q ロベルト・コッホ
L31 R ハインリヒ・マティ

≪英国上空に到達した飛行船(7/28)≫

続けて行われた、7月31日と8月2日の攻撃も悪天候やエンジントラブルなどにより徒労に終わります。飛行船が全艦無事に戻ったことと、新造艦のL31が実地で訓練を積む機会を得られたことが、僅かな救いだったと言っても過言ではないでしょう。

所属 艦名 艦級 艦長
海軍 L11 P ヴィクトル・シュッツェ
L13 P エドゥアルド・プローレス
L14 P クノ・マンガー
L16 P エーリヒ・ゾマーフェルト
L17 P ヘルベルト・エールリヒ
L22 Q マルティン・ディートリヒ
L23 Q オットー・シューベルト
L31 R ハインリヒ・マティ

≪英国上空に到達した飛行船(7/31)≫

所属 艦名 艦級 艦長
海軍 L11 P ヴィクトル・シュッツェ
L13 P エドゥアルド・プローレス
L16 P エーリヒ・ゾマーフェルト
L17 P ヘルベルト・エールリヒ
L21 Q アウグスト・Stellind
L31 R ハインリヒ・マティ

≪英国上空に到達した飛行船(8/2)≫

それでもシュトラッサーの闘志は衰えることはなく、海軍飛行船部隊は攻撃を続けます。
北東部を目標とした8月8日の空襲では、L24がハルに爆弾を投下し、物質的損害額1.3万ポンド(現在の日本円で約7.5億円)、死者10名、負傷者16名の被害を与えはしましたが、英国の経戦能力を奪うには程遠いものでしかありません。

所属 艦名 艦級 艦長
海軍 L11 P ヴィクトル・シュッツェ
L13 P エドゥアルド・プローレス
L14 P クノ・マンガー
L16 P エーリヒ・ゾマーフェルト
L21 Q アウグスト・Stellind
L22 Q マルティン・ディートリヒ
L24 Q ロベルト・コッホ
L30 R フォン・ブトラー
L31 R ハインリヒ・マティ

≪英国上空に到達した飛行船(8/8)≫

これに業を煮やしたのか、シュトラッサーは遂に自ら12隻の飛行船を率いて出撃します。8月24日のことでした。目指すは、ロンドン。

≪離陸するL31≫

このうち8隻が途中で引き返しますが、2隻のR級を含む残り4隻は英国本土上空へ侵入、爆撃を開始します。

所属 艦名 艦級 艦長
海軍 L16 P エーリヒ・ゾマーフェルト
L21 Q クルツ・フランケンブルグ
L31 R ハインリヒ・マティ
L32 R ウェルナー・ペーターソン

≪英国上空に到達した飛行船(8/24)≫
*シュトラッサーはLZ32に搭乗

≪地下鉄に難を逃れる人々≫

なかでも、マティが指揮を執るL31は、R級の名に恥じない水際立った活躍を見せました。同艦は午後11時30分に海岸線を超え、テムズ川に沿ってロンドンへ辿り着くと、その郊外南東部に襲いかかったのです。深夜0時30分のことでした。港湾施設や電気機械工場、軍需品倉庫に爆弾が降り注ぎ、周囲の住宅地も流れ弾を受け方々で火災が発生します。この間、僅か10分ばかり。
英国が受けた被害は甚大でした。物質的損害は13万ポンド(現在価値で約75億円 主に軍事及び民需用の産業施設が破壊されたことによるもの)にのぼり、9名の死者と、負傷者40名(住宅地への攻撃によるもの)を出したのです。爆弾投下後、L31は雲に紛れて姿を消したため、ロンドンの防空隊は手も足も出ずじまいでした。
かくしてドイツ飛行船部隊は16年の後半戦において初の本格的な戦果を挙げた訳ですが、これはその後に続く一連の血みどろの戦いの始まりに過ぎなかったのです。

≪ツェッペリンが投下した爆弾≫

≪L31の空襲で粉砕された住宅≫
*住人の夫婦と11歳の息子が犠牲になった

9月2日、ドイツ飛行船部隊は第一次大戦中最大の空爆を決行しました。各地の基地から海軍は12隻を、陸軍は4隻を、それぞれロンドンへ向けて送り出したのです。

所属 艦名 艦級 艦長 母港 乗員 爆弾搭載量(トン)
海軍 L11 P ヴィクトル・シュッツェ ハーゲ 15 1.7
L13 P エドゥアルド・プローレス ハーゲ 16 1.3
L14 P クノ・マンガー ハーゲ 16 1.4
L16 P エーリヒ・ゾマーフェルト ハーゲ 16 1.7
L17 P ヘルマン・クラウシャー トンデルン 16 1.4
L21 Q クルツ・フランケンブルグ ノルドホルツ 17 1.5
L22 Q マルティン・ディートリヒ トンデルン 15 1.8
L23 Q ウィルヘルム・ガンゼル ノルドホルツ 17 1.5
L24 Q ロベルト・コッホ トンデルン 16 2.2
L30 R フォン・ブトラー Ahlhorn 20 2.5
L32 R ウェルナー・ペーターソン ノルドホルツ 21 2.5
SL8 グイド・ヴォルフ ノルドホルツ 19 1.6
陸軍 LZ90 P マンハイム N.A. N.A.
LZ97 Q ダルムシュタット N.A. N.A.
LZ98 Q エルンスト・レーマン ウィルヘルムスハーフェン N.A. N.A.
SL11 ウィルヘルム・シュラム Spich 16 2.9

≪出撃した飛行船(9月2日)≫

ところがこの大艦隊は北海上空で強い雨と風に遭遇、散り散りになったうえに、多くの艦が自分の位置を見失ってしまいました。結果、陸軍の1隻(LZ97)は基地へ取って返し、海軍の6隻(L11、L13、L22、L23、L24、SL8)は敵首都の爆撃を諦め、手近な目標を攻撃することになります。
ロンドンを目指し各個に航行を続ける艦の前には、英国防空隊が立ちはだかりました。午前1時過ぎ、都心から東におよそ20キロの地点に迫った陸軍のLZ98は、ダートフォード砲台から3インチ高射砲の集中射撃を浴び、それ以上の進撃を断念します。
同じころ、もう1隻の陸軍飛行船が北方から敵首都へのアプローチを試みていました。ツェッペリンのライバル、シュッテ・ランツ社によって建造されたSL11です。ロンドン生まれのシュラム艦長は、巧みな操艦で高射砲弾をかわしつつ、午前2時ごろ遂に都心上空への侵入に成功しました。

≪建造中のSL11≫

≪ロンドン上空のSL11≫

そこでSL11を待っていたのは、ロンドン中の高射砲が打ち上げる凄まじい防御砲火の嵐でした。爆発音は街中に轟き、床に就いていた人々も驚いて目を覚ますほどだったといいます。シュラム艦長は直ちに反転を命じると、爆弾を投下しつつ北方へ向かい、高射砲から逃れようと企てます。
その時でした。闇の間から1機のB.E.2が現れ、攻撃を仕掛けたのは。

操縦士のリーフェ・ロビンソン中尉は、この戦闘を次のように報告しています。
「午前2時5分、サーチライトがロンドンの北東上空を飛ぶ1隻のツェッペリンを照らし出した。私は以前の失敗を覚えていたので、スピードのために高度を犠牲にすることに決め、ツェッペリンの方角に向けて下降していった。…私の機はツェッペリンの約250メートル下方にあって同じ方向を向いていた。回転弾倉一つが空になるまで機銃弾を撃ち込んだが、効果は無かった。そこで敵艦の真横に移り、弾倉もう一つ分を放ったが、やはりこれと言ってなにもおこらない。続いてツェッペリンの真後ろにつけると、今度は尾部の一点に集中して射撃を行った。…弾倉が空になる寸前で、そこから炎が生じ、光を放つのが見えた。…数秒後、艦尾全体が燃え上がっていた」

≪ロビンソン機の攻撃を受けるSL11≫

間近にいたL16の艦長は、報告書の中でSL11の断末魔を描写しています。
「多数のサーチライトが北へ向かう飛行船を捕捉していた。その船にはあらゆる向きから銃砲火が浴びせられていた。…ようやく都心を離れたところで、艦尾が燃え始めた。続いて巨大な炎に包まれ、落下していく。辺りは真昼の様に明るく照らし出された」

                                                  

≪炎上、墜落するSL11≫

こうしてSL11は炎の塊となってロンドン郊外に墜落し、シュラム艦長以下全員が死亡したのです。
この壮絶な光景はおよそ50キロ先からでもはっきり見ることが出来たと言われ、少なくとも6隻の友軍飛行船が視認しています。そのうち4隻はロンドン爆撃を諦めていませんでしたが、僚艦の惨たらしい最期を目にして意図を挫かれ、帰途に就いたのでした。
飛行船による空前絶後の一大爆撃行は、失敗に終わったのです。

歓喜の声を挙げたのはロンドン市民でした。SL11が火だるまになると、彼らは街路で歌い踊り、鐘という鐘は打ち鳴らされ、蒸気機関車は汽笛を鳴らしてこれを祝います。翌朝になると幾千人もの群衆がSL11の墜落地点に押しかけ、黒焦げになった残骸を飽きずに眺めるのでした。

≪回収されるSL11の残骸≫
*左上楕円内の写真はロビンソン中尉

ロビンソン中尉は一躍英雄になり、5日後には前線で武勲をたてた将兵に贈られる最高の賞であるヴィクトリア十字章を授与されています。
これらのエピソードは、ドイツ飛行船団がいかに英国民を苦しめていたかを物語るものだと言えましょう。

SL11の喪失は陸軍にとって耐え難いものでした。16名の訓練された乗員と、建造費9.3万ポンド(現在の金額で約53億円)の艦が失われたのです。この空襲による英国の物質的損害は2.1万ポンド(同12億円)でしたから、陸軍が英国本土爆撃は割に合わないと結論付けたのは無理からぬことでした。
一方、シュトラッサーの信念が覆ることは無く、以後英国に対する攻撃は海軍単独で行われることになります。

それから3週間後の9月23日、ドイツ海軍は12隻のツェッペリンを以てまたも英国を襲いました。
今回の作戦では、艦隊は大きく二分され、最新鋭のR級4隻がロンドンを、残りの旧式艦8隻が中部の地方都市を、それぞれ攻撃目標としていました。

所属 艦名 艦級 母港 乗員 爆弾搭載量(トン)
海軍 L13 P ハーゲ 16 1.3
L14 P ハーゲ 15 1.6
L16 P ハーゲ
L17 P トンデルン 16 1.5
L21 Q ノルドホルツ 17 2.0
L22 Q トンデルン 15 1.7
L23 Q ノルドホルツ 16 2.0
L24 Q トンデルン
L30 R アルホルン 20 2.7
L31 R アルホルン 20 4.2
L32 R アルホルン 22
L33 R ノルドホルツ 21

旧式艦からなる戦隊は、ノッティンガムを爆撃したL17を筆頭に、諸都市の駅や工場、市街地に爆弾を投下し、7万ポンド(現代価値で約40億円)の損害を与えると、1隻も失うことなく基地へ帰還することに成功します。

≪破壊されたノッティンガム市街≫

一方、ロンドンへ向かった新型艦の前途には、筆舌に尽くしがたい戦禍が待ち受けていました。敵の首都へ一番乗りを果たしたのは、3週間前に就役したばかりのL33です。
ブッカー艦長が指揮する同艦は、午後10時40分にテムズ河口北岸に上陸を果たし、そこからほぼ真西に位置するロンドンへと一直線に進みました。これは高射砲やサーチライトがひしめく防御網が最も稠密に構築されたエリアを押し通ることを意味しています。しかし、ブッカー艦長には成算がありました。R級が誇る高速力を最大限に生かし、敵の虚を衝こうというのです。
午後11時55分、ロンドンの心臓部まで15キロに迫ったL33は、最後の針路調整のために照明弾を投下します。慌てふためいたサーチライトが押っ取り刀で探照をはじめ、矢のように飛ぶツェッペリンをかろうじて捉えますが、高射砲が火を噴く前に振り切られてしまいます。その後、ベクトンとノース・ウールウィッチの高射砲台の間を潜り抜けた同艦は、午前0時をすこし回った頃よりロンドン東部に爆撃を開始したのでした。まもなく、英軍も反撃の猛射を始め、寝静まった街はたちまちにして戦いの巷と化します。

L33はおよそ30分の間に計1.6トン、42発の爆弾を投下し、多数の住居と工場を破壊しますが、蒙った損害もまた大きなものでした。同艦は高度4,000メートル付近を飛行していたにもかかわらず、至近弾の炸裂によりガス嚢一つを破壊されます。戦闘開始から、僅か数分後のことでした。さらに飛散した別の砲弾の金属片が4つのガス嚢に損傷を与えます。ブッカー艦長は直ちにバラスト水を放出して艦を身軽にするとともに、北西へ転針して戦闘空域から離脱を図ります。

しかし、L33の乗員の必死の操艦も虚しく、間もなく高度は3,000メートルを下回り、サーチライトと高射砲に完全に捕捉されます。
空を満たす光と音は、更なる敵を呼び寄せました。邀撃戦闘機です。
ブランドン少尉が操縦するB.E.2は20分にわたりL33を追撃し、ルイス機銃を用いて炸裂弾と焼夷弾を浴びせかけますが、目立った効果を得られないまま、弾詰まりのために取り逃がしてしまいます。

≪ロンドン上空のL33≫

L33の艦内では、乗員が高度を保つべくあらゆる努力を払っていました。動かすことのできる装備は、ことごとく投げ捨てられます。機関銃や弾薬でさえその例外ではありません。それでも、高度は見る間に下がっていきます。ブッカー艦長は何とか海岸線を超えて海面に着水したいと考えていました。英軍に艦を鹵獲させないためです。しかし、予期せぬ突風のために、とうとうL33は地上に叩きつけられたのでした。時計の針は午前1時15分を指していました。
幸い乗員に死者は無く、彼らは地上に降り立つとすぐに艦の破壊に取り掛かりました。そして、それを済ますと、手近な漁港目指して歩き始めます。小舟を奪って味方のところへ帰ろうというのです。さすがにこの無茶な試みは成功するはずもなく、まもなく駆け付けた警官によって、全員逮捕されたのでした。
(一説によると、これは第一次大戦中に武装したドイツ兵の一隊が英国を行進した唯一の事例だそうです)

≪L33の残骸≫

一方、マティ艦長のL31とペーターソン艦長のL32は、南側からロンドンに近づいていました。実戦経験が豊富なマティは、午後11時にドーバー海峡に面した南海岸に上陸、北西に針路をとります。午前零時15分、ロンドンから南へ20キロの地点に到達、ここで北に向けて舵を切り、15分後にメトロポリスの南部に到達したのです。

マティは直ちに攻撃を命じ、L31は高度4,000メートルを高速で飛行しながら矢継ぎ早に爆弾を投下していきます。これに対し、英軍の高射砲は有効な反撃が出来ません。直前に行われたL33の空襲で大火災が発生し、黒煙に視界を遮られていたのです。
相次ぐツェッペリンの攻撃にロンドン市民は為す術もなく、地下鉄の駅に避難して息を殺します。
南部を蹂躙したL31は、ロンドン橋の真上を飛んでテムズ川を越えると都心を通過、北部を爆撃して去っていきました。この間、およそ30分。英国防空隊はマティの乗艦に傷一つ付けることが出来ませんでした。

≪地下鉄駅のロンドン市民≫

≪L31の攻撃で破壊された住宅街≫

L31と共に英国南海岸に接近したペーターソン艦長のL32は、エンジントラブルのため1時間もその場で旋回を続けざるを得ませんでした。その後、北に向かって進み、ロンドンから東へ20キロの空域に出現します。時刻は午前1時過ぎ、ちょうどマティが空襲を終えて帰途に就いた頃です。
運の悪いことに、そこは防空網が最も強力な地域でした。L32は繰り返しサーチライトに捕捉され、高射砲の射撃をうけます。爆弾を落として応戦する同艦でしたが、追い打ちをかけるように敵戦闘機が襲撃を仕掛けます。これはソウリー少尉が搭乗するB.E.2でした。

ソウリー機はルイス機銃で対ツェッペリン用の銃弾を浴びせかけ、艦尾と舷側を穴だらけにしますが、回転弾倉2つを撃ち尽くしても目立った効果はありません。そこで彼は三つ目の弾倉を装填すると、一か所に的を絞って続けざまに打ち込みました。やがて敵艦の内部に火の手が上がり、まもなく全体が炎に包まれます。

地上からこの様子を目撃していた市民は次のように書き残しています。
「それはもう素晴らしい見ものだった。艦尾と側面で炎が燃え上がり、飛行船は墜落していく。堕ちる怪物のスピードにますます弾みがつくと、炎は長い舌の様に跡を引き、実に幻想的だった。」

L32の最期は、任務を終えて帰還するL17からも捉えられました。ロンドンから北におよそ200キロも離れたリンカーン上空から見た光景を、クラウシャー艦長は報告書で描写しています。
「南の方角に、激しく燃え上がる飛行船が墜落していく。…その姿は、地上を覆う霧の中に、船首を先にして消えていくまで見ることが出来た。」
L23のガンゼル艦長も、おぞましい光景を日記に記しました。
「ギラギラ輝く炎がテムズ河口の方角に見えた。激しく燃えながら落ちていく飛行船だ。」

ペーターソン艦長以下、L32の22名の乗員のうち、生存者は一人もありませんでした。

≪L32の残骸≫

「不沈艦」R級が一夜で2隻も失われたことは、ドイツ海軍飛行船部隊にとって深刻な打撃でした。出動した4隻のうち、L30は途中で引き返していますから、この空爆で英国に侵入したのは3隻です。そのなかで、生還を果たしたのがマティのL31のみとあっては、パフォーマンスの問題以前に、現状の装備と戦術でロンドンに攻撃を続けること自体が自殺行為に等しいことを示しています。
飛行船による英国本土爆撃は、大きな岐路に立たされたと言っても過言ではないでしょう。

他方、英国の損害も甚大でした。ロンドンおよび中部の諸都市が受けた被害は、物質的損害額で13.5万ポンド(現在価値で約77億円)、人的損失は死者40名、負傷者130名。

世界初の戦略爆撃は、いよいよ熾烈なものとなり、その本性を顕わにしていました。

それでも、ドイツ海軍飛行船部隊は英国に対する空爆を続けます。9月25日には7隻からなる艦隊が出撃しました。これは、前回同様に旧式の飛行船が中部の地方都市を、R級がロンドンをそれぞれ目標として分担するものでした。

所属 艦名 艦級 艦長
海軍 L14 P クノ・マンガー
L16 P エーリヒ・ゾマーフェルト
L21 Q クルツ・フランケンブルグ
L22 Q マルティン・ディートリヒ
L23 Q ウィルヘルム・ガンゼル
L30 R フォン・ブトラー
L31 R ハインリヒ・マティ

2日前の失血で、シュトラッサー以下の将兵はロンドン攻撃に慎重になっていました。敵の首都へ向かった2隻のR級のうち、L30はブリテン島の海岸を暫く飛行した後に引き返します。L31はポーツマス近辺から上陸し、地上の防空部隊と交戦しつつ進みますが、幾らも行かないうちに撤退しています。

旧式艦からなる戦隊は、ヨークやシェフィールドを爆撃し、約4万ポンド(現在価値で約23億円)の物質的損害を与えました。人的損害については41名死亡、31名負傷と記録されています。
これが、飛行船の喪失を伴わずに一定の戦果を挙げた最後の大規模な英国空襲になろうとは、誰が予想し得たでしょうか。

一週間後の10月1日、総勢11隻のツェッペリンが英国を目指して飛び立ちます。海軍が保有していた3隻のR級は、4日前に就役したばかりのL34を含め、全艦が出撃しました。苦戦を強いられたシュトラッサーは、総力を挙げた攻撃で早期に戦争の決着を図ろうとしたのです。

所属 艦名 艦級 艦長 行動
海軍 L13 P アイヒラー ブリテン島に到達せず
L14 P クノ・マンガー 中部の地方都市を爆撃
L16 P エーリヒ・ゾマーフェルト 中部の地方都市を爆撃
L17 P ヘルマン・クラウシャー 中部の地方都市を爆撃
L21 Q クルツ・フランケンブルグ 中部に侵入するも撤退
L22 Q マルティン・ディートリヒ ブリテン島に到達せず
L23 Q ウィルヘルム・ガンゼル ブリテン島に到達せず
L24 Q ロベルト・コッホ 中部に侵入するも撤退
L30 R フォン・ブトラー ブリテン島に到達せず
L31 R ハインリヒ・マティ ロンドン近傍で撃墜
L34 R マックス・ディートリヒ ロンドンの北100kmで対空砲火を受け撤退

ところが、北海上空の悪天候により、早くも4隻がブリテン島に到達出来ず艦隊から脱落します。
そんな中、飛行船部隊随一の名艦長マティの乗艦L31は、先陣を切って英国本土上空に侵入を果たしました。午後8時5分のことです。
狙う獲物は、ロンドンただ一つ。それがどんなに危険なことか、艦長として15回目の英国空襲に臨むマティ自身が知り抜いていました。しかし、飛行船で英国を屈服させるにはロンドンを叩く以外になく、彼にそれが出来ないのなら、他の誰にも成し得ないのです。

首都の北東100キロの地点に上陸したL31は、しばらく目標へ向けて一直線に進みますが、午後9時45分、中間地点で西に舵を切ります。これは、敵を撹乱するための迂回行動でした。やがて南東に転針した同艦は、午後11時10分、まんまとロンドンの北30キロメートルに姿を現したのです。
このとき、L31はエンジンを殆ど停止し、気流に乗って進んでいたため、地上の防空部隊は発見が遅れ、高射砲が火を噴いたのは午後11時38分でした。今や、マティの艦はロンドンの外郭に差し掛かっています。

そこへ駆けつけたのはテンペスト中尉が操縦するB.E.2でした。彼は、サーチライトに捉えられた巨大な飛行船めがけて全速力で突き進みます。発見時はテンペスト機よりも低空を飛んでいた敵艦は、見事なジグザグ航行で高射砲弾を避けつつ急速に上昇し、追い縋るB.E.2はこれを見上げる格好になります。
11時50分、テンペストは頭上のL31めがけてルイス機銃を放ちました。ところが何連射浴びせてもツェッペリンには何の変化もなく、却って船体に取り付けられた機銃から反撃を浴びる始末。そこでテンペストは自機を敵艦の防御用銃座の死角となる尾部斜め下へ導くと、ありったけの弾丸を叩き込みます。

テンペストの回想を引用しましょう。
「気が付くと、敵艦の内部に赤い光が見えた。まるで、巨大な中国風ランタンの様だった。
続いてギラギラと輝くものが船首から噴き出した。ようやく私は、敵艦が炎に包まれているのだと分かった」

こうして、マティ以下19名の乗員全員が、艦と運命を共にしました。生前、マティは同僚に次のように漏らしています。
「飛行船の艦長ではなく、魚雷艇の艇長として敵艦と戦いたい」
民間人を殺傷することに、彼は強い抵抗を感じていたのです。死が、「ツェッペリンの英雄」を葛藤から永久に解放したのでした。

≪L31の残骸≫

L31の悲壮な最期は、中部の地方都市を攻撃に向かった複数の艦からも目撃されました。そのうちの2隻は直ちに作戦行動を中断し、撤退しています。残りの艦の戦果もはかばかしくなく、この夜に英国が受けた損害は1.8万ポンド(現在価値で約10億円)。人的被害は死者・負傷者とも1名ずつ。
ドイツ海軍飛行船団は、完全な敗北を喫したのでした。

ここに至って、シュトラッサーはロンドンへの攻撃を一時中止する決断を下します。それでも、飛行船こそが英国を屈服させる兵器であるという信念が揺らぐことはありませんでした。彼は待っていたのです。
当時、ツェッペリン飛行船有限会社は全く新しい戦闘艦の開発を推し進めていました。後に「ハイトクライマー」と呼ばれるその艦は、高度6,000メートルでの戦闘行動を可能とすべく設計されています。これが完成すれば、最新の戦闘機も高射砲もたちまち無力化されてしまうでしょう。
シュトラッサーはそれに最後の勝機を見出していました。

マティの死からおよそ2か月弱の間行動を控えていた飛行船団ですが、新造のR級2隻(L35、L36)が就役したことを受け、11月28日に大規模な爆撃を行っています。10隻を投入したこの攻撃では、守りを固めたロンドンは目標から外され、中部の産業地帯を着実に叩くことが意図されていました。
新型艦を開発している間も戦争は続いているのですから、空中艦隊を遊ばせておくわけにはいきません。むしろその存在感をアピール出来なければ、飛行船部隊の存続すら危ぶまれる状況だったのです。
これまでの戦闘によるツェッペリン艦の損失は、いずれもロンドン爆撃によって生じていましたから、地方都市への攻撃目標切り替えはリスクを最小限に抑え、既存の艦を最も有効に活用できる戦術であると考えられたのも自然な成り行きではありました。

所属 艦名 艦級 艦長 行動
海軍 L13 P アイヒラー 中部の地方都市を爆撃
L14 P クノ・マンガー 中部の地方都市を爆撃
L16 P ハンス・ガイヤー 中部の地方都市を爆撃
L21 Q クルツ・フランケンブルグ 中部の地方都市を爆撃後、撃墜
L22 Q ハインリヒ・ホレンダー 中部に侵入するも撤退
L24 Q K.Friemel ブリテン島に到達せず
L30 R フォン・ブトラー ブリテン島に到達せず
L34 R マックス・ディートリヒ 中部に侵入後、撃墜
L35 R ヘルベルト・エールリヒ 中部に侵入するも撤退
L36 R ヴィクトル・シュッツェ 中部の海岸部に到達するも撤退

≪11月28日に出撃した艦隊の編成≫

この爆撃行の結果は、海軍飛行船部隊のそのような希望的観測をあっけなく打ち砕きます。艦隊は英国上空で防空隊の頑強な抵抗に直面し、殆ど戦果を挙げられないままに、2隻が撃墜されたのです。しかもそのうちの1隻はR級(L34)でした。
最新鋭艦ですら、地方の中小都市を攻撃するのに多大なリスクを伴う。これが16年末の戦場の現実だったのです。

≪戦闘機の襲撃を受けるL34≫

こうして、16年の英独航空戦はドイツ飛行船部隊の敗北を以て終わりを告げました。17年の英国本土空襲は、長距離爆撃機が主役となって進められるでしょう。飛行船は、補助戦力として引き続き重要な役割を担いますが、R級以前の旧式艦は後方に退き、「ハイトクライマー」が第一線に立つのです。

本章の終わりに、16年の英国本土戦略爆撃に関するデータを概観して締めくくりとしたいと思います。

▽1916年の戦闘
・空爆回数:23回
・飛行船出撃数(延べ):187隻
・爆弾投下量:125トン
・飛行船喪失数:9隻(うち6隻は9月以降)
・英国側被害
死者:293名 負傷者:691名 損害額:60万ポンド(現代の金額で約340億円)

▽1915年の戦闘【備考】
・空爆回数:21回
・飛行船出撃数(延べ):47隻
・爆弾投下量:37トン
・飛行船喪失数:1隻
・英国側被害
死者:181名 負傷者:455名 損害額:80万ポンド(現代の金額で約460億円)

この年、ドイツ空中艦隊は英国の抵抗を粉砕すべく強大な戦力を整え、投入しました。15年と比べた場合、空爆回数にさほどの違いはありませんが、出撃した飛行船の数は4倍にもなっています。空爆1回あたりの飛行船出撃数は15年が2.2隻、16年が8.1隻です。前年に比べて遥かに大規模な編隊を組んで攻撃を行っていたことが見て取れますね。

ところが、爆弾の投下量は3.4倍にしかなっていません。1隻当たりの爆弾投下量を求めると、15年が0.8トン、16年が0.7トンとなります。15年の前半に主力として運用されたM級が英国を爆撃する際の爆弾搭載量は0.5トン、16年を通じて活躍したP級は2.5トンであることを考えると、不自然な数字です。16年には、空爆を中断して撤退する艦が増えたことが示唆されます。

編隊の大規模化と、1隻当たりの投弾量の減少。これは明らかに英国の防空能力の向上を意味しています。
このことは、損害額の減少からも明らかです。15年にはマティやブライトハウプトがロンドンの心臓部を痛打しましたが、16年にはそのような「クリティカル・ヒット」は記録されていません。

但し、その分郊外の住宅地が受けるダメージは増加したかもしれません。人的被害が15年より大きいのはこれが一因でしょう。一方で爆弾投下量1トン当たりの死者は4.9人から2.3人に激減しているのも見過ごせません。避難誘導や灯火管制の強化・充実に加えて、ツェッペリンの爆撃精度の低下も影響していることは疑いありません。
ドイツの飛行船は高射砲や戦闘機に襲われて窮地に陥ると、少しでも身軽になるため爆弾を捨てるので、英国が防空力を強化すると爆弾投下量当たりの被害は少なくなるのです。

以上を総括すると、16年のドイツ空中艦隊は15年に比べ飛躍的に強化され、出撃数・爆弾投下量ともに大きく増加したものの、英国の防空能力の向上には及ばなかったと言えましょう。その結果、人的被害の増大は抑制され、物質的損害に至っては減少したのです。
そして、15年には我が物顔でブリテン島の上空を飛び回っていたツェッペリンは、16年末には常に敵襲に怯える存在になっていました。
ここに、飛行船の戦略爆撃による対英早期講和の目論見は潰えたのです。

翌17年の戦いは、ツェッペリン飛行船の兵器としての生存を賭けたものとなるでしょう。

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-独逸